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宗教 (教育新潮社)平成十四年 二月号
悲しさが少し消えて 嬉しくなりました。死んでしまったのではなく
おばあちゃんは 生まれたんだと聞いて、浄土真宗は 有り難いですね」
と、手続きをしながら、仰いました。
いつもお会いするご門徒ではなく、まったく関係のない銀行の窓口の
人に、浄土真宗は有り難いですねと、言われて、気づきました。
子供のころから、お浄土がある、仏様になると、繰り返し聞いて
いましたので、当たり前になっていました。
そして、誰もがみんな そのことが分かっている、知っているものと、
思い込んでいました。
しかし、多くの人が そうではなく、亡くなった人はどうなるのか
自分が死んだらどうなるのか、心配しながら生活しておられるのだと、
改めて気づかせていただきました。
近頃 お仏壇の無い家で 子供たちは育っています。
きっと多くの若者が、お浄土があることも、仏さまになった方が
はたらきかけていただいていることも、まったく知らずにいるの
だろうと、思います。
大切な方を亡くした人に、「浄土真宗は 有り難いですね」と言われ、
この言葉が、新鮮に聞こえ、とても嬉しく、有り難く味わわせていただきました。
私たちは、もっともっと 素直に お浄土があることを、
喜んでいいのだと思います。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1664回 良いことをするときには
令和6年 12月19日~
令和6年の正月は、早々に 大きな地震が発生、そこに
救援物資を、繰り返し運んでいた海上保安庁の飛行機が、羽田空港の
滑走路で事故に遭遇し、大変悲しい辛い年明けとなりました。
その事故原因調査が進められていますが、飛行機に設置されていた
ボイスレコーダの解析などから、残念ながら
滑走路手前で待つべきところを、
事故の原因だったようです。
普通は、機長、副機長が管制官からのことばを、再確認するものの
ようですが、被災地へ何度も救援物資を運んでいるこの飛行機を
最優先に、出発できるよう、周りが誰もが配慮してくれているとの、
誤解が、思い込みがあったようです。
人は 自分の為、自分の利益のために努力しているときなど、
どこか後ろめたさがあるためか、充分に配慮して行動しますが、
良いこと、人に為になることに邁進しているときには、どうしても
注意が散漫になることがあるようです。
周りのみんなが、自分と同じように考えて、心配りをしているのだろう
誰もが自分たちと同じ気持ちでいると思い、感じて、突き進んで
しまうことがあるようです。
良いことをするときには、ついつい間違いを起こしてしまうものです。
悲しいことですが、辛いことですが、人間はそのように出来ているようです。
そして、僧侶である自分もまた、仏さまの教え、仏法を多くの人に
知ってもらおうと、良いことをしていると思い、注意を怠り
周りの人や 相手の気持ちに無頓着になって、突き進んでいるのだろうと、
このニュースを聞きながら感じています。
良くないこと、自分にとって有利なこと、少し後ろめたいこと、
恥ずかしいことを 実行するときのように、良いこと、人の為になることを
するときには、油断せずに
かえってマイナスに
心にかみしめています。
何がご縁になるか分かりませんが、力まずに 淡々と お念仏の
味わいを 表現することで、後は 仏さまのはたらきに お任せ
することだと、意気込まないことが大切だろうと思います。
日頃、車で走るときも、横断歩道でないところを、歩行者が横切ろうとして
いるときなど、安慰に道を譲るのではなく、周りをよく注意をして
行動しないと、親切にしたことが、かえって悲しい結果を
もたらす事があるものと思います。
自分が、良いことをしていると思ったときには、慢心にならずに
充分に気をつけて、周りをよく見ながら、誰もが自分と同じ考えではないと
意識しながら、行動することが大事であると 改めて感じています。
第1663回 絵本の読み聞かせ
令和6年 12月12日~
大阪に行信教校という 浄土真宗の専門学校があります。
そこの校長先生だった方が、こんな話をされたことがあると
いいます。
子どもが夜寝る前に 親が絵本を読み聞かせて
寝かしつけることがあります。
その絵本の内容を 子どもに伝えようということよりも、
子どもに添い寝して
ちゃんと母さんは 父さんはここに居るよと
寄り添うことで、子どもは安心して眠りにつけるのです。
浄土真宗のお説教は この読み聞かせと同じようなもの、
辛いこと悲しいこと悩み苦しんでいるこの私に、心配しなくていい
いつも一緒にいるから
南無阿弥陀仏と 阿弥陀さまが
繰り返し繰り返し 聞かせていただくのだと、
教えていただいたと言います。
先日亡くなった 詩人の谷川俊太郎さんが、若いお母さんの質問に
こんな答えをしたと聞きました。
私は、夜になると、一日が終わることと、いつか死ぬことが怖くて
怖くて泣いていた子どもでしたが、娘も同じように「死ぬのが怖い」と
夜な夜な泣く子です。母親として、どんな言葉をかけてやったら
いいのでしょうか、という質問です。
これに対して谷川さんの答えは「抱きしめて、母さんも死ぬのが
怖いと
「大丈夫 大丈夫ではなく、母さんも怖いよと伝えること。
人は誰でも死ぬ。みんな怖いのです。
抱きしめてそのことを、子どもに伝えてあげたほうが良い」と。
詩人の谷川さんは、そんなときには言葉ではなく
しっかりと抱きしめて 一緒に泣いてあげることですよと。
言葉を大事にしている方が、言葉ではなく、寄り添い
抱きしめてあげることですとの意外な回答だったと言います。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も 阿弥陀さまがいつも一緒だよ
何があろうと、どんなことがあろうと、私が一緒だよと
呼びかけ、私を抱きしめてくださっている、そう味わうことで
どんなことが起こっても、何があっても、この人生は 安心です。
それには、繰り返しお聴聞することが大事なことです。
そして、阿弥陀さまと一緒になって、今は亡き、父も母も
祖父母も私の大切な人が、みんな揃って、私を見守り 抱きしめ
支え続けてくださっていることを、自分でお念仏し、耳で
南無阿弥陀仏の声を
安心して
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その呼びかけの声です。
第1662回 ハッピーバースデーだね
令和6年12月5日~
こんな話を聞きました。
とても熱心で、厳しく、しかし誰にでもやさしかった門徒総代さんの
お葬式の時のことです。
開式のアナウンスがあり、全員で合掌礼拝をして、キンを
打とうとした時のことです。
「ハッピーバースデーだね」と 幼いお嬢さんの元気な声が
会場に響きました。
葬儀のお勤めを始めましたが 子どもさんの言葉が、気になります。
確かに お葬式は、お浄土へ生まれた お祝いの会なんだと味わえます。
亡くなった総代さんは、自分が死んで居なっても
お浄土へ生まれて 仏さまになるのだよと、可愛いひ孫さんに
言い聞かせていたのだろうなあと、総代さんの写真を見ながら、
その思いに 気づき だんだんと有り難くなってきました。
お勤めが終わり、喪主の方が控え室へ挨拶にこられて
「先ほどは大変失礼しました。」と謝られます。
「何でしょう」と聞くと 「孫が 大きな声で
あんなことをいってしまって 大変申し訳ありません」と
恐縮しておられます。
「いやいや、きっとおじいちゃんが ひい孫さんへ お話をされて
いたんでしょうね。とても有り難い事ではないですか」と言うと、
「実は つい先日 あの子の2歳の誕生パーティーを
開いたばかりで、そのときにローソクを付けてお祝いしましたので、
今日 またローソクを見て 誕生会のことを 思い出し、
場所もわきまえず 大変申し訳なく思っています」と仰います。
お孫さんは そうだったのかもしれませんが、あれほど熱心に聴聞された
有り難い総代さんのことですから、死んだんじゃないよ、お浄土へ生まれて
仏さまといっしょに、お前達のことを 応援しているぞと、
お孫さんの口を通して 教えて頂いたんじゃあないでしょうか。
本当に有り難いことですねと。お話ししました。
お通夜は 娑婆のお別れの会 人間の卒業式とおしゃる方があります。
そして、お葬式は、お浄土の入学式 仏さまの就任式であると、
ですから、確かにお浄土へお生まれになって 仏さまになられたということは
喜びのお祝い ハッピーバースデー に違いありません。
仏さまは いろいろの人を通して そのはたらきを教えてくださっています。
ところが、それに、ほとんど気づかないでいるのが私たちです。
南無阿弥陀仏の声は そうした仏さまになられた方々の はたらきかけ
呼びかけの言葉なのでしょう。
耳を澄ませて 先輩方の呼びかけを 願いを、しっかりと聞かせていただき
生きがいある喜び多い毎日を 南無阿弥陀仏とともに過ごさせて
いただきたいものです。
第1661回 周りに迷惑をかけて
令和6年 11月28日~
仏教では「多くのお陰によって生かされている」と教えてくれています。
植物や動物の生命を奪うことでしか、人は生きることができません。
そのことへの「痛み」があってこそ「人間」であり、痛みを失ってしまえば
人間とはいえません。
(「無慚愧は名づけて人とせず」・慚愧は罪に対して痛みを感じ、
罪をおかしたことを羞恥する心。慚愧がなければ、人と呼ぶことは
できないという意味。涅槃経の言葉を 教行信証に引用)
慚愧がないことは、畜生という主体性を失った生き方(飼い主に
生殺与奪の権利を握られ)、欲に振り回されている存在(餓鬼)に
なってしまうと教えています。
それでは長生きをしても喜べず、むなしく過ぎる人生を送ることに
なるというのです。
私たちはすでに人間として生まれていると思っていますが、
仏教では、多くの「お陰さま」を、感じることができて初めて
人間と言えるというのです。
外見は人間でも、中身が餓鬼畜生のような在り方なら、間柄を
受け取れる智慧の目がないと、人は傲慢なる危険性があり、
相手に迷惑をかけ、苦しめる三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の
世界を生きることになるのです。
「人間」、それは、間柄を生き、あらゆるものと関係をもって
存在しています。
単独の存在を主張する人は、あたかも真空パックの中に
いるようなものです。三分間も経てば酸欠で必ず死を迎えます。
人間のありさまの過去・現在を、あるがままに見ると、
父母をはじめ、あらゆる存在の犠牲の上に今、現に存在して
いるのです。
いくら「誰にも迷惑をかけてない」と、うそぶいてみても、
人は周りに迷惑をかけずには生きていけません。
私たちの分別は、科学的思考を信条としていますが、
戦後の貧しさを克服して、物質的に豊かな国になった成功体験から、
仏教などなくても生きていけると、傲慢になっているのでは
ないでしょうか。
いくら科学・医学が進歩しても、人間は「老病死」を免れる
ことは出来ません。
迷いの人生の苦しみを超える仏教の教え、私たちの分別の
次元を超えた(異質な)仏の世界に触れることによって、
私のあるがままの姿に気づき、目覚めさせられるのです。
仏の心に触れるとき、「人間として生まれてよかった。生きて
きてよかった」という人生を生きることに導かれるのです。
田畑正久著 「生きることを教える仏教」本願寺出版社
第1660回 親の足を洗う
令和6年11月21日~
こんな話を聞きました。
ある会社では、入社試験に毎年、「これから三日の間に、
お母さんの足を洗って、その感想文を提出してください」という
問題を出すそうです。
学生達は、簡単な問題でほっとして、会社を後にしますが、
なかなか母親に言い出すことが、できない人が多いようです。
ある学生は、二日間、言い出せず、やっと三日目、ようやく
母親を縁側に連れて行き、その足を洗おうとし
その足の裏が、あまりにも荒れ放題で、ひび割れて
掌で感じて、絶句してしまったといいます。
「この荒れた足は、自分達のために働き続けてくれた足だ」と、
胸が一杯になり「ありがとう」と、つぶやくと
それまで、ひやかしていた母親は、声を詰まらせ「ありがとう」と
言ったまま
「私はこんなに素晴らしい経験をしたのは初めてでしたと・・・・」
今まで 自分の頑張り、努力したことばかりを意識していましたが、
自分のために、はたらいてくれた親の苦労に はじめて気づきましたと。
親鸞聖人が 29歳のとき、比叡山を降りて法然聖人のもとを
訪ねられたときも それまで、自分の力で修行をすることばかりを
考えていたのに、自分の努力以上の、仏さまの大きなはたらきかけに、
気づかれたのでしょう。
自力から他力への転換です。
お釈迦さまの時代、仏足頂礼 仏前にひざまずき、
仏足を自分の頂にあてて礼拝することを最高の敬意を表すことと
されていたようですが、これも、ことによると、教えを説き、各地へ
休むことなく厳しい旅を続けられて 痛んだその足を拝むことで、
そのご苦労を改めて気づき、味わい、感謝することを意図したのかも
しれません。
私たちは、自分の行いや努力、自分のことしか気づきませんが、
お念仏にあうことで、南無阿弥陀仏を聞くことで、私のために、
いかに多くのはたらきかけが、ご苦労があるかに気づかされ、
感謝する力が育てられていくのです。
感じる力が育ってくると、なんとありがたい人生であったかと
味わうことが出来るのです。
気づくことができないと、自分ひとり苦労して、何もいいことは無かったと
辛い苦しい人生だったとしか、味わえないで一生を終わるのです。
気づくか 気づかないか、感じるか感じないか、それで、まるで
違った人生となってしまうのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を聞く度に だまって私のために
はたらきかけてくださる 多くの有り難いはたらきかけが 力があることに
改めてはっきりと、気づかせていただきたいものです。
第1659回 願いを知る
令和6年 11月14日~
月忌参りをはじめ、本堂での法座では、いつも「正信偈」を
お勤めしています。
お仏事ですから、阿弥陀経などお経をお勤めするのが普通でしょうが、
親鸞聖人のまとめていただいた「正信偈」を、いつも拝読しているのには
大きな理由があります。
お釈迦様の教えは 八万四千の法門といわれるように数多くあると
言われます。
しかし、その多くは 出家して、厳しい修行をし、さとりを
開こうとする、お弟子さん達のために説かれたものと言われます。
ところが、私たちは 出家していません、修行をするような
気持ちもありませんし、また、その能力もありません。
そうした私たちをも、何としてでも救いたいと、阿弥陀さまは、
はたらき続けておられると、お釈迦さまは、教えていただいているのです。
わがままで、自分が生きるためと、生き物のいのちを奪い、
罪の意識もなく平然と生きています。
しかし、その報いで、私は必ず地獄にいく生き方をしているのです。
それなのに、阿弥陀さまは自分の国、お浄土へ生まれさせて、
救いたい、何としても仏にしたいと、南無阿弥陀仏のお念仏となって
はたらき続けておられるというのです。
親鸞聖人自身は 出家して修行をして さとりを得ようと
努力された方でした。
しかし、すでに末法の世、自分で努力しても、人間の力では
決してさとりを得ることの出来ない時代であることを知り、
お念仏の教えでしか、救われないことを、法然聖人に
出会うことで、はっきりと理解されたのです。
これはインド、中国、日本の優れた先輩たちが
自分自身で味わい喜び、伝え残していただいた、有り難い教えであると、
教行信証にまとめていただいてるのです。
ですから、正信偈のおつとめをするのは、数多くの教えがあるものの
今の時代、この私が救われる教えは、このお念仏の教えしか無い。
他の教えでは、助かることは出来ないと教えていただいているのです。
そして、ご和讚で詠んでいただいたように
安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし
お浄土へ生まれて仏と成って、はたらいておられる
両親や 祖父母・多くの先輩の方々は、お釈迦様のように
私のために この教えでしか救わる道はないと勧めて
いただいているのです。
いつも正信偈を拝読しているのは 先だった両親の
遺言を読み直すようなもの、親の願いを聞くことなのです。
なかなか親の願いに気づくことができませんが、
その思いに、願いに出会うことが出来ているのです。
遺言書を 読むように、親の願いを味わわせていただき、
お勧めいただいているとおり、お念仏して、同じお浄土へ
生まれるものとしての生き方をさせていただきたいものです。
第1658回 私は 私でよかった
令和6年 11月7日~
こんな話を読みました。お医者さんでお念仏の人、
田畑正久先生の本で「生きる ことを 教える仏教」
その中の「私は 私でよかった」という内容です。
日常生活で、われわれは 事に当たって 何か判断する時、
私にとって 善か 悪か、損か 得か、勝ちか 負けかを 考えます。
われわれが善いもの、得になるもの、勝ちになるものを
集めようとするのは、そうすることで 自分の人生を
充実したものにしたい
という心が 働いている
からだと思われます。
世間的には 自分を 充実させるもの として、良好な人間関係、
経済的安定、社会的評価や 健康等を 考えます。
しかし、それらは 相対的なものですから、どこまで
手にすれば 満足することに なるか わかりません。
人間を 一番 困らせるのが「 死 」です。
哲学者のフィヒテは「 死というものは、どこかに
ある
のではなくて、真に 生きることの できない人に
対して のみある 」と言われています。
フィヒテの言う「 真に 生きる 」とは、「 足るを知って 生きる 」
「 私は 私で よかった 」「 完全燃焼 できた 」
「
生きてきて よかった 」と いうような 生き方だと 思われます。
江戸時代の思想家で、医師でもあった 三浦梅園の書に、
「 人生 恨むなかれ 人知るなきを 幽谷深山 華 自ずから 紅なり 」
( 他人が 自分のことを 評価してくれなくても 嘆くことはない。
深山幽谷に咲く花は、誰かに 見られなくても 精一杯
見事な花を 咲かせている )
最後の「 華 自ずから 紅なり 」は、私は 私でよかったという
「 真に 生きる 」ことを 表現した言葉と
思われます。
「
真に 生きる 」ことのできない状態を、仏教では 餓鬼、
畜生と
表現することがあります。
餓鬼とは、いつも
何かを 取り込まないと 満足できず、
常に 取り込もう、取り込もう としている 状態を 示します。
畜生は 家で飼っている ペットのようなもので、
飼い主の顔色を うかがいながら 生きて、主体性が 無い状態です。
自らに 由ってない、自由でない 生き方です。
「
真に 生きる 」とは 足を 知って、主体的に 自由自在に
生きることを示しています。
自分に 与えられた 場を、「 これが 私の現実 」と
受け取れる人は、その場で
精いっぱい 生き切ることが
出来るでしょう。
あとは 安心して「 仏へ お任せ 」になるのです。
田畑正久著 「
生きる ことを 教える仏教 」本願寺出版社刊
第1657回 私が 仏になる
令和6年10月31日~
やがて、「仏に成る」ことが、なかなか理解出来
ないという方があります。
阿弥陀如来という仏さまは 一人も漏らさず必ず仏にしたいと、
宇宙的長い間自分で修行をし、南無阿弥陀仏を口にするものを、
お浄土へ必ず生まれさせ、仏にし 続けておられると、
お釈迦さまは説かれています。
それで、親鸞聖人は 念仏をしようと思うこころがおこった時
摂取不捨の利益、間違いなく仏の仲間であると、言われた
と歎異抄にあります。
仏教は 因果の道理 自業自得が説かれており、
自分でつくった原因は 必ず自分に帰ってくると。
そこで、生き物を殺さないこと、(不殺生)、盗みをしない(不偸盗)、
よこしまな姓の交わりをしない(不邪淫)うそをいわない(不妄語)、
酒を飲まない(不飲酒)など、慎むべきことが説かれています。
生き物を殺すと、その報いを受けることになると。
しかし、皆やっていることで、生きていくためには必要なことだと
何の心配もしていませんが、その報いを受けることは間違ないのです。
そこで、地獄にしかいけない自分であると、気づき、
仏さまの助けが必要であり、 阿弥陀さまは この私のために
お念仏を与えていただいたと、理解し、味わえるように
なったものを、真実に気づいた人、目覚めた人を、本当の人間、人間になったと
いうのでしょう。
私たちは人間に生まれ、すでに完全な人間になっていると
思っていますが、実は、そうではなく、いつも満足出来ずに、
欲望を追い求めて飢餓の状態、餓鬼の毎日であり、
動物のように養われ、本能のままに生きている畜生の生活、そして
絶えず対立し闘争する 修羅の人生、まさしく六道の餓鬼、
畜生、修羅、地獄のような苦しみの生活をおくっているようです。
自分の行いの報いで、自分の行き先は 間違いなく地獄であると
理解できたとき、阿弥陀如来のはたらきでしか、救われることは
ないのだと味わえて、南無阿弥陀仏と、お念仏を口にしようとするとき、
はじめて人間になったということなのでしょう。
親鸞聖人は、「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は
一定すみかぞかし。」とおしゃっていたと。
この私は、地獄にしか行くところがない 南無阿弥陀仏の
はたらきでしか、救われることはないのです。
本当の人間になり、お念仏を口にすることができれば、やがて間違いなく
お浄土へ生まれることが出来る、お念仏の人は もう仏の仲間であると。
私たちは、私、私と 自己主張をしていますが、
私の字から 人を引くと 仏になると 漢字ではみえます。
のぎへんから -(マイナス) 人 は、にんべんとなります。
私は 仏になれるのです。
本当の人間に成り、やがてお浄土で仏になる、それは
私の力ではなく、仏さま 阿弥陀さまのはたらきのお陰なのです。
そして今、感謝報恩のお念仏が出来る 仏の仲間の生活を
送っているのです。
今の状態から、もっとよくなる浄土へ生まれるのではなく、
地獄へ行くべき所を 救われてお浄土へ生まれ仏になれるのです。
第1656回 救われる私
令和6年10月24日~
こんな話を聞きました。
祖父の33回忌法要のために、四国に帰り、祖父が
長年書き綴ったものを、見るご縁がありました。
戦前のこと、成績が良かった長男に期待して 地元の学校ではなく、
海を渡った広島の学校に入学させ、その成長を楽しみにしていました。
ところが、昭和20年、原爆が投下され、広島の親戚が、探し回り
被爆して横たわっている長男を発見し、連れ帰ってくれましたが、
30分もしないうちに「おやすみ」と、一言残して息絶えてしまった
ということです。
電話も手紙も通じず、やっと、6日の後、遺骨になった我が子と
対面することになりました。
見取ってくれた親戚に、自分たち父や母のことを、何か口にしなかったかと、
何度も確かめましたが、「おやすみ」の言葉だけで、他には何も
言わなかったと聞かされ、子どものためと思って、遠い広島の学校に
一人で出してしまって淋しかったのではないか、恨んでいたのではないかと、
悔やまれ、それからは悲しく苦しい毎日だったとあります。
この子がどんなところにいようとも、なんとしても
助けなければいけない、救ってやらねばならないと、それからは
お聴聞を繰り返す生活をしていましたが、あるとき、ふと気づかせて
いただいたと。
自分が救おう、自分が仏となって救おう、救ってやろうと思っていたが、
あの子のご縁で、こうしてお聴聞させていただいているのである、
救われなければならないのは、若くして亡くなった子どもではなく、
この子をご縁として、私こそが救われているのではなか。
救う側ではなく、自分は救われる側であったと、
味わえるようになったと書かれていました。
本願寺第十四代ご門主 寂如上人は
引く足も 称える口も 拝む手も
弥陀願力の 不思議なりけり
こうして、お仏壇の前に座り、本堂にお参りし、おつとめをして
お聴聞し、お念仏を口にし、手をあわすという尊いご縁は、
私の力ではなかった、阿弥陀さまのはたらきのお陰であったと。
そして、そのご縁を結んでいただいたのが、若くして亡くなった
あの子であったと味わえるようになったと。
第1655回 後になって 気づく
令和6年10月17日~
あるお寺の掲示板に 「後になって気づく ことばかり」と
ありました。
あの時、ああすれば良かった、こうすればよかったと、後になって
悔やむことがあります。
歳を重ねてくると、若いころ気づかなかったことに、あれは
ああ、そうゆうことだったのかと、有り難く感ずることも
多くなるものです。
前もって 気づくことが出来ればいいのですが、後になって、
反省したり、悔やんだり、感激したりしています。
ネットに 前もって気づくには、どのようにすればいいですかと、
尋ねると、「経験者や先輩に聞くこと」との返事が返ってきました。
そういえば、親鸞聖人は 教行信証の最後に中国の道綽禅師の
『安楽集』の言葉「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」
と書かれています。
「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は
先人の生きた道を問いたずねよ」という呼びかけです。
訪え、尋ねることを、とぶらえ(訪え) 訪問する家庭訪問の訪の字が
使われています。
訪ねていって聞くということでしょう。
仏教は、お釈迦さまが説かれた教え、人生を深く見つめて悟られた内容を
多種多様に説いていただいています。
その神髄を、800年前の親鸞聖人は インド中国そして日本の優れた
先輩が理解し味わわれ、解釈していただいた内容を、教行信証に
まとめて表し、私たちに残していただきました。
そこで、仏法を聞く、お聴聞するということは、訪ねて
先人に、経験者に訪ね、聞くことなのです。
このお念仏の教えに遇うことが出来れば、後になって気づく
のではなく、今、前もって気づかせていただくことが出来るのです。
失敗し後悔するのではなく、気づいていなかった親切や思いやり、
温かい はたらきかけにも 気づかせていただくのです。
良いことも悪いことも、後で気づくのではなく、今 前もって
気づかせていただける、それが、お念仏に生きる人の特徴だと
いえましょう。
そして訪ねれば、訪ねるほど、有り難くなり、喜びがましてくるのです。
後悔や 反省することよりも、感謝の思いが深く味わえてくるのです。
何事も当たり前になって、気づいていなかった
仏さまのはたらきを、はっきりと感じ、味わえ、喜ばせて
いただけるのです。
それが、お念仏の生活、南無阿弥陀仏に遇えた人生です。
第1654回 ハチドリのひとしずく
令和6年 10月10日~
こんな話を聞きました。
「ハチドリのひとしずく」という 物語です。
森が燃えていました
森の生き物たちは、われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
と言って笑います
クリキンディは、こう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
南米のアンデス地方に伝わるお話だといいますが、
この物語を翻訳し出版されると、大きな反響があるようです。
多くの小学校では、この森の火事はこの後、どうなったのでしょうかと
子どもたちに問いかけると ほとんどの学校では
「ハチドリの姿を見て、森の動物たちも、火を消すことをはじめ、
森の火は、やがて消えました。」との回答がほとんどだといいます。
純粋な子どもたちは、先生の問いかけに、授業の時間ですから、
正しい答えは何かと考えて、そのように回答するようですが、
世間の現実を知っている、大人の世界では、はたしてどうゆう
答えが返ってくるのでしょうか。
大きな出来事だけではなく、身近な問題、小さな出来事でも
自分の出来ることを、無理だと思っても、無駄だと思えても
ほんの小さなことでも行動し、活動し続けていきたいものです。
そして、浄土真宗の門徒の私たちは、まず出来ることは、何か、
それは、声にだして、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と口にする
ことなのかもしれません。
その声が、少しでも聞こえてくると、やがて、仏さまの仲間が
増えていき、仏さまの願いが、はたらきが味わえる人の輪が、広がって
世界は少しづつ、変わっていくのだろうと味わいます。
ほんの小さな声の南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏でも、
仏さまのはたらきかけ、
くることでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1653回 墓 友 ~この世からの仲間~
令和6年 10月3日~
お墓を維持していくことが出来なくなったと、墓所を
整理する人が増えています。
少子化で、後を見る人がいなくなったとか、地方の
出身者が都会へ出て、もう故郷には帰って来ないなど、お墓が
あることが負担となっている人が増えてきたようです。
先祖から受け継いできたもの、粗末には出来ないものの、
なかなかうまく維持できず、どうすればよいのか、関係者に
とっては、お墓の存在は 切実な問題のようです。
また、お墓を持たない人は、お骨を海にまく散骨や、
樹木の元に納める樹木葬などが注目されてはいますが、
なかなか、そこまでは踏み切れず、それといって、新しく墓を
ひとりで建てるのは無理だと、仲間でお墓を
お墓に一緒に入る仲間を募って、お墓を
あるようです。
死んでからだけではなく、同じことなら、生きている間に
親しい仲間になろうではないかという、墓友の会というのがあると
テレビで放送していました。
親子や兄弟などの血縁関係ではなく、友達で一つの墓を建てようと
いうお墓の友だち、お墓の仲間・グループです。
お稽古事や、趣味の仲間、友だちは、元気で、生きている間だけのこと、
墓友は、生きている間だけではなく、いのち終わっても
ずっと一緒の仲間であると、まったくの赤の他人が、あの世までも
一緒しようという話です。
このテレビの内容を聞きながら、浄土真宗のご門徒は、みんな
墓友ではないかと思えてきました。
同じお墓ではないものの、同じお寺の境内の墓地に入り
そこに留まるのではなく、みんなお浄土で仏さまになる。
そして、仏さまとして、人々を救うはたらきをするのです。
テレビでは、墓友という新しい仲間づくりをする、斬新な発想と、
紹介していましたが、
存在していました。
この世だけではなく、お浄土でも共にはたらく仲間、それが、
浄土真宗の門徒ではなかったかと、味わっています。
そして、浄土真宗の仲間は、いのち終わっても
一緒に、よろこびをもって はたらく仲間です。
しかも、時代を超えて 両親や祖父も、ずっと前の多くの祖先とも
再開し、共に同じ 喜びと生きがいをもって、活躍できるのです。
そして今、やがて仏となる仲間と一緒に、生きているのです。
みんな一緒にお聴聞をし、御斎を共にし、共におつとめをし、
共に歌い、共に笑って、共に泣き生きているのです。
限られたこの世の短い間だけではなく、末通って、共に生きる仲間、
それが浄土真宗の門徒なのです。
第1652回 法座 & フォークソング
令和6年 9月26日~
ご法座の多くは 午後の1時半から始めていますが、
お彼岸法要と門信徒総会・降誕会の時だけは
午前中にスタートしています。
親鸞聖人の降誕会では 斎のあと それぞれが日頃鍛錬した
かくし芸や、カラオケを披露しあって楽しんでいますが、
彼岸会ではここ数回、福岡県甘木市から 石井太郎さんの
ギターとボーカル、
三原奈津子さんのピアノの、お二人を招いて
昭和時代の懐かしいフォークソングを聞かせていただいています。
午前中の法座だけで帰られた方もありましたが、
40人ほどの方が残っていただき
ドップリとしたって
その歌詞の多くは、周りの親切や思いやり、純粋な愛に
気づかずに、悩んでいた青春時代、歳を重ねて、少しずつ気づかせて
いただけるようになると、みなさんに支えられた有り難い時代を
生きてきたことを
本堂の椅子に、体を揺らすこともなく座って、静かに聞く姿を
見ていましたが、中には、眼を閉じて、歌詞に合わせて、
唇を動かす方が
なつかしい、なじみの曲を、一緒に口ずさんでおられるようです。
その姿を、じっと見つめながら、お念仏を喜ばれた有り難い
先輩の方々を思い出しました。
ご法話を聞きながら、いつもお念仏を口にされたいた懐かしい方々です。
未来への不安や思い通りにならない悲しく苦しかったのが青春時代、
それに対して、お念仏の人は 明るい未来と安心を
お念仏を口にしながら確認し味わっておられたことでしょう。
あるご婦人が、こころが洗われるような、心地よさを味わわせて
いただきましたと、お礼を言っておられましたが、
南無阿弥陀仏のお念仏もまた、心からの安心と喜びを味あわさせて
いただくものだと感じています。
こころにしみる音楽と、こころに新たな喜びを与えてくれる
ご法話、南無阿弥陀仏のお念仏、私に元気を与え、生きていく力を
与えてくれるところに、共通点があるように感じています。
第1651回 はじめての道 はじめての人生
令和6年9月19日~
山登りが大好きなご住職に、こんな話を聞きました。
学生時代は 高い山に登っていましたが、近頃は、そうもいかず
時間をつくっては、近くの山によく登っているとのことです。
慣れ親しんだ山であっても、別れ道では、右だったか、左だったか、
よく悩むものだそうです。
でも、そんなところには、テープでの目印や、岩にペンキで矢印が
書かれてあったり、迷うことがないようにと山の仲間が、ちゃんと
心配りをしてくれているのだそうです。
一歩一歩、登っていくのは大変ですが、新鮮な空気、眼に鮮やかな
赤や、緑、眼下に広がる豊かな自然に、なんとも言えない喜びがわいてきて、
どうしても、登山はやめられないものだそうです。
そして、山登りは 人生と同じように、荷物が軽いと軽快ですが、
どうしても捨てきらず、ついつい沢山の荷物をしょいこんでしまうと、
その道のりは、とてもきつく苦しいものになるといいます。
登頂まで何日もかかる高い山ですと、専門の案内人を付けないと
とても無理ですが、日帰りできる山でも、道案内や標識がなければ
迷ってしまうとても危険なものです。
ところで、この人生も、私にとっては、はじめての経験です。
どこへ向かっていけばいいのか、どこが目的で、どう行けばいいのか、
まったくわかってはいません。
その道を知った人に、経験した人に尋ねることができれば、少しは
安心ですが、尋ねることもなく、自分勝手に、どんどんと歩んで、
苦しんでいる人が多いものです。
人間について、深く深く考え抜いたお釈迦さまが説いていただいた、
そして、それを私たちにわかり安く、紹介し解説してくださった
親鸞聖人が示してくださった確かな道が、行き先があるのだと
先輩が先祖や親たちが、私たちに伝え残してくださって
いるのです。
ところが、それを知らず、気づかず、振り向かないで、一人悩み
苦しんでいるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏の教えに遇えれば、自分でやれること、仏さまに
任せておけば、大丈夫なこと、この限られた人生だけではなく、
いのち終わっても大丈夫な世界、有り難い価値観があるのだと
聞かせていただけるのです。
初めての人生、初めての道 知らない危険な山に登るのと同じことです。
重い荷物を背負い込んで、自分ひとりで悩み苦しむのではなく、先人たちの
経験を、教えを素直に聞く耳を持ち、豊かな有り難い人生を
喜びながら、一歩一歩、歩みたいものです。
第1650回 自分の姿を鏡で見る
令和6年9月12日~
近くの県にある親のお骨を近くに移したいが、どうしたら
良いのでしょうかと、美容師の方が、相談に来られました。
そこで、美容院と お寺 多くの共通点があるように思います。
定期的によく美容院に通われる方と、まったく無関心な方があるように、
お寺も定期的に、よくお参りいただく方と、まったく
ご縁のない方があるものです。
美容院にいくと、頭が軽くなり、こころも明るくなってくるものですが、
お寺も、お参りして仏さまのお話を聞くと、すっきりとして、
心も明るくなるものです。
お墓に花をあげただけで、帰る方がありますが、それでも、
少しは気持ちが
しかし、これはちょうど、美容室の花瓶に花をさし、
待合室で雑誌を見ただけで帰るようなもので、カットや髪を洗って
セットして
それと同じように、お寺も、ただ墓にお参りするだけではなく、
お話を聞いて、新たな価値観を、新しい視点を受け取ることがなければ、
余り有り難いものでは、ありません。
美容院の鏡で、素敵になった自分の姿を見たときのように、
仏さまの話を聞くことで、心の中が、新鮮な喜びを、感じられてきて、
すっきりとして、うれしくなってくるものです。
浄土真宗では、特に恩ということをいいます。
親鸞聖人の御命日を報恩講といい、よく歌ううたも、恩徳讃、恩という
言葉がよく聞かれます。
これまでいかに多くの方々の力、支えがあったかを気づかされて、
心の中が喜びでいっぱいになり、生きていく力がわいてくるものです。
美容院を出るときのように、世界が変わって見え、未来が明るくなるものです。
とはいえ、しばらく時間がたつと、その喜びは薄れてくるものです。
髪も伸びて、気持ちが悪くなるように、心もだんだんと重たくなって
どんよりとしてくるものです。
そこで、美容院に行って、綺麗にしていただくように、浄土真宗の方は
仏さまのお話を聞くことで、心の喜びがよみがえっていくものです。
ですから、ただお骨を預けるだけではなく、それをご縁に
お話を聞くことができる所に、ご相談されることをおすすめします。
第1649回 あんたが悪い
令和6年 9月5日~
こんな話を聞きました。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
仏教のことばが書かれた掲示板がお寺にはあります。
これは、山の断崖の大きな岩のくぼみに建てられた奥院
国宝の「投入堂」で有名な鳥取県三朝町(みささちょう)にある
天台宗の三佛寺(さんぶつじ)境内にある自動販売機に
掲げられていたことばだそうです。
自販機に掲示板というのは、なかなか斬新な有り難い発想です。
お前が悪いと 一方的に批判しているのが私たちです。
相手を指さし非難していますが、その手をよくみると、
人差し指は相手をさしていても、折り曲げられた中指、薬指、
小指の3本は、自分の方を向いているものです。
人を指している指は自分の目からよく見えますが、自分を指している
3本の指は意識しないので視界にはあまり入って来ません。
相手の悪いところが 見えたとき、気づいたことは、私の方には、
その三倍の問題があるのだと、教えてくれているようです。
相手の悪い部分と同じようなことを 自分もしていることに
気づいていないのが、私たちです。
もし、相手に怒りや憤りを思えたときには 一息入れて
自分の方には、気づいていない三倍の 悪い点を 回りに見せていると
理解した方がよいようです。
中国の善導大師は
経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし。
しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す。
『観経疏』序分義
仏法は 鏡に映すようなものだと言われていますが、
誰かの悪が見えたとき 自分自身の姿を 鏡に映すように
点検してみることが、重要なようです。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
第1648回 まだ仕事は残っています
令和6年 8月29日~
「老いて聞く 安らぎへの法話」という 本の中に
最後の仕事という項目が ありますが、
その一つで、「まだ仕事が残っています」というお話です。
本願寺派に雑賀正晃というとても立派な布教使さんが
おられました。
そのご法話で こういうお話を聞いたことがあります。
雑賀先生のお寺の檀家総代 Yさんが老齢で入院され、
もう末期になられた。
雑賀先生がお見舞いに行かれると、目に涙をためて、
「先生、もう私は何もできません。この家内と看護師さんの
お世話になるばかりで・・・・」と細い声で言います。
「いや、Yさん、あなたには まだ大事な仕事が残っています。」
「仕事って、どんなことですか」
「『ありがとう』って言うことですよ。奥さんにも、先生にも、
看護師さんにも、お見舞いの人にも『ありがとう』とお礼を言うのが
あなたの仕事です。もし声が出なかったら、手で、眼で
言ってください」
「あぁ、そうでした、そうでした。本当ですね。『ありがとう』
ございました」
「それにね、Yさん。どのようになっても、お救いくださる
阿弥陀さまにお礼申しあげることが第一ですよ」
「あぁ、そうでした、そうでした。なもあみだぶつ、
なもあみだぶつ、・・・・」
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
まだ、まだ先は長いと思っていますが、明日がしれないこのいのち
大切な人に、そして阿弥陀さまに ありがとうございますと
お礼をする一日でありたいものです。
第1647回 さいごの仕事
令和6年8月22日~
あるご門徒さんが言われました。
「わたし、歳がいったらもう何もできません。
あかんもん(だめなもの)になってしまいました」と
そこで私は「いや、いや。まだ大事な仕事が残っていますよ」
と、言って次のようなお話をしました」
大阪府吹田市の光徳寺さんの掲示板にこういう詩がはってありました。
病気になって 気付く 空の青さ 空の高さ 空の広さ
直海玄洋師
ある日、中年の女性が、この人は薬剤師さんでしたが、
この詩を見て感動します。
実はガンの宣告を受けて、悩んでいたのです。
さっそく住職の直海先生にお会いしてお尋ねします。
「私は、余命いくばくもないと宣告されてから、身の回りの
整理をしましたが、どうしても心の整理がつきません。
人間、何のために生まれてきたのでしょうか」
すると直海先生が、
「仏法を聞いて、仏の世界に生まれ、仏のさとりを
得るために生まれてきのです」
と答えられます。
女性は目の前が明るくなるのを感じました。
それから、彼女は何回も仏法を聞かれましたが、
ついにこの世のご縁が尽きて亡くなられました。
すると、ベッドの下から遺書が見つかりました。
私は間に合ってよかった。
みんな、手遅れにならない中に、仏法に遇うておくれ。
彼女は、自分自身のいのちの行き先をハッキリするという
大仕事をやり遂げ、さらに遺された若い人たちをも、
その人生の行き先に導くという さいごの仕事をされたのでした。
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
第1646回 お母さんの 一言
令和6年8月15日~
阿弥陀さまのお話をユーチューブで繰り返し聞きながら、
何故か、子どもの頃に見たモノクロの映画のことを断片的に思い出しました。
当時、「母もの映画」といっていたようですが、三益愛子という
俳優さんがいつも母親役で、食料事情も良くない戦後まもなく、
その日 その日、食べることにさえ苦労していた、大変な時代のこと、
苦労して苦労して一人息子を育てていた母親。
しかし、子どもの方は、その親の心が分からず、反抗し悪い仲間と
つるんで問題ばかり起こして、心配をかけつづけていますが、ついに
警察につかまってしまいます。
それでも見捨てることのできない母親、連行されていく子どもが、
そこに母の姿を見て、はじめて「おかあさん」と、呼んだ時、観客は、
みんな一斉に涙を流していたのを思い出しています。
「お母さん」との息子の言葉、涙する母親、一緒に泣いている
満員の観客。
どの母もの映画を見ても みんな同じような物語だったように思います。
今思えば、脚本家か監督か制作者なのか、浄土真宗のご法話を聞き
阿弥陀さまのはたらきに、反抗する人が、その有り難さに気づいて
南無阿弥陀仏と口にお念仏するそのことを、母と子の関係で
表現したのではないかと、味わっています。
反抗し 反抗し 困らせ続けた息子が 最後に一言 お母さんと
声に出す、それは、母親の苦労、心配に気づいて 有り難く
感じてた瞬間だったのでしょう。
出来損ないの息子が、親のきもちに触れて、お母さん と
呼んだときと同じように 南無阿弥陀仏と 声を出したとき、
こころから喜んでくださる方あることを、改めて味わっています。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 私を思い よびかけ続ける
大きなはたらきがあることを、そして、その有り難さを
感じたときに、口から漏れ出る 大きな願いのことばなのでしょう。
仏さまが、親たちが 最も喜んでいただくことば、安心することばです。
第1645回 未来は 前か 後ろか
令和6年8月8日~
こんな話を聞きました。
私たちは、未来へ、あしたへ向かって精一杯生きていますが、
未来は 明日は、どちらの方向にあるのでしょうかとの質問です。
多くの人が、前に進む 前向きに生きると 未来は自分の前にあると
イメージしています。
「眼の前に広がる」のが未来であり、「後ろは振り返らない」などと、
うしろにあるのは、過去のことです。
未来は 自分の前にあり、過去は、自分の後ろにあるものと思っています。
しかし、「この後のご予定は」等と言うとき、私たちは
未来を前ではなく「あと(後ろ)」に置いています。
三日後にまたお会いしましょうとか、五年後にはこうなるとか、
未来は 前ではなく、 後ろにあるように話しています。
そして、三日前に、一年前は などと、過去のことは 前と表現しています。
日頃使う言葉では、過去のことは 前方にあり、未来のことは 後ろ、
後方で表しているのです。
ですから、「以前」は、前は過去で 「以後」、後ろは、未来のことです。
私たちの気持ちの上では
前が未来で 後が過去なのですが なぜか 言葉では
逆の 未来を後ろ 過去を前の 表現をしています。
ヨーロッパの国では、過去は前にあり、全部見えるが、
未来は 自分の後ろにあり、何も見えないという表現をするところが
あるようです。
蓮如上人のお手紙である 御文章にある 後生の一大事 も
後生とは、これから先、未来のことを意味します。
見えているようで、見えないのが未来です。
浄土真宗では、お釈迦さまが説いていただいたように
精一杯生きている人は、必ずお浄土へ生まれさせ
自分と同じはたらきをさせる仏にすると、阿弥陀さまは、はたらきかけて
いただいている、後は任せればいいのだと、受け取っています。
これから、老病死 沢山の苦難が訪れるものの、心配はいらない
かならず、お浄土へ、そこには両親をはじめご縁のあった
多くの方々が、待っていていただく世界へ 生まれていくのですと、
呼びかけてくださっているのです。
その呼び声が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏なのです。
見ることの出来ない未来 阿弥陀さまにおまかせして
今できることを 精一杯 生きていきたいものです。
お盆が近づきましたが、地獄へ落ちた人は、地獄の釜の蓋が開く
13日に、お帰り頂くのでしょうが、お浄土の人は いつでも
私のために、遠くではなく、今、ここではたらいていただいているんです。
第1644回 気づかない 私が
令和6年8月1日~
大阪のおばちゃんが、左足のしびれが出始めて、病院にいきました。
診察したお医者さんは、「うーん、これは残念ながら、高齢のためですね」と
告げました。
「でも、先生、この右足も同級生ですぜ」と、返事しました。
先生も負けず、「心配せんでええ、まもなく右足もしびれてきます」と。
同級生という表現でいえば、右足だけではなく、私の手も頭も口も
心臓もみんな同級生なのです。
ところが、頼みもしないのに、みんなだまって働き続けてくれています。
夜になれば、私自身は、眠って休んでいますが、
一日も、一刻もやすむことなく、働いてくれた同級生も沢山います。
心臓はその一つです。
頼みもしないのに、やすむことなく働づめで私を生かしてくれています。
私が気づかないところで多くの臓器が、精一杯、黙々と働いて
くれていたのです。
そればかりではないといいます。
頼みもしないのに、阿弥陀さまは、この私のためにずっと
はたらきかけ続けていただいているというのです。
気づかないだけ、知らなかっただけで、私のために多くの同級生と
一緒になって、私を生かし続けていただいているのです。
そう気づくとき、感謝しても感謝しきれないことが、いかに多いかが
知らされてきます。
当たり前になって気づかないことが、なんと多いことか、南無阿弥陀仏は
その多くのはたらきかけに、気づき、心から、感謝することばであり、
仏さまが、そして私の体のすべてがもっとも喜んでくれる言葉なのです。
何事も当たり前では、何の感動もなく不平不満のつらく苦しい毎日になりますが、
多くのはたらきかけに気づき、味わうことができれば、なんと
ありがたく喜びいっぱいの、豊かな人生を味わうことができるものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その喜びを、感謝を表す言葉、
「ありがとうございます」という言葉にもよく似た、親たちが受け継いで
残してくれた 有り難いことばです。
私に、多くの はたらきかけがあることに気づかせてくださる
仏さまの言葉です。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1643回 感じ取る力
令和6年 7月25日 ~
「学仏大悲心」という大きな額が、講堂の正面に掲げられている
学校があります。
善導大師が説かれた、仏の大悲心を学ぶという言葉です。
学ぶということは
勉強する。学問をする。
教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。
習得する。経験することによって知るという意味がありますが、
そればかりではなく、 まねをするという意味もあります。
何をまねるのか、それは苦悩するものを必ず摂取して捨てないと
はたらき続ける仏さま、阿弥陀さまの大悲心を学び、それを、ほんの
少しでもまねることだと言われます。
お念仏の教えは、仏さまの話を聞くこと、お聴聞することが大事と
いわれますが、これは、仏の大悲心、仏さまのはたらきを聞く
ということです。
それは、頭で理解したり、何かを覚えたりすることではなく、
全身で、仏さまのはたらき、仏さまのお慈悲のぬくもりを
感じとることを意味します。
必ず救う、ひとり残さず救うという、摂取不捨の光明に
照らされていることを、この身に感じることが出来るように
育てられていくことなのです。
そうした、大きなはたらきかけがあることを、感じることが出来る
ようになると、自分ひとりで生きているのではなく、
実は、生かされているのだという、大きな喜びと安らぎを感じることが
出来るようになっていくものです。
いくら仏教を深く学んでも、お慈悲のぬくもりを感じることが出来
なかったら、なかなか喜びは味わうことが出来ません。
仏さまのはたらきを、感じることが出来ると、そのはたらきの
まねをさせていただくこと、ところが、自分中心の私には、とても
とても、仏さまのようには、できないということに、気づかされて
いくと、人生は大きく変わってくるものです
仏さまのはたらきは、目にはなかなか見ることはできませんが、
仏さまのお話を繰り返し、繰り返し聞くことによって、仏さまのはたらきを
ほんの少しずつでも感じることができるようになっていくものです。
仏さまのはたらき、真実が、ただ一つのことば、南無阿弥陀仏となって
私に絶えず、喚びかけてくださっていることを、感じ取れていくのです。
第1642回 誰の安心のためか
令和6年 7月18日~
ある布教使さんから、こんな話を聞きました。
近くのお寺に招かれて、ご法話にいったとき、
控え室でお茶をいただいていると、帽子をかぶった紳士の方が、
お参りになる姿が見えました。
その姿をじっと見ていると、坊守さんが、あ、あの方の奥様はとても
有り難い方で、今日もお参りになりましたねと、おっしゃいました。
本堂でご法話中、その紳士がうなずきながら熱心にお聴聞されており、
隣の奥様も、にこやかな笑顔でお聴聞いただいていました。
うらやましいご夫婦と拝見していましたが、一席を終わり休憩のあと、
本堂にいくと、その紳士の隣には、別の女性が座っておられます。
どうゆうことだろうと、気になっていましたが、その女性は、
どちらかと言えば、暗い顔をして、あまり反応がないを方でした。
控え室に帰って、ご住職に聞きました。
あの紳士の奥様は、最初に横に座っておられたかたですよね、
後半、横に座った方はどなたですかと聞きますと、住職さんは
どなたのことですかね。聞き返されます。
帽子をかぶった立派な紳士の奥様のことですよと、言いますと、
いえあの方の奥さんは、もう何年になりますかね、ご往生されましたよ。
大変有り難い方で、婦人会の役員もしておられましたが、
ガンにかかられて亡くなられました。
奥様が元気なころは、ご主人は、まったくお参りになりませんでしたが、
病気になった奥様が、私がいなくなったら
必ずお寺でお話を聞いてとご主人に頼まれたそうです。
あまりにも熱心なので、わかったわかった、私がお寺に行けば、
あなたは安心出来るのでしょうから、必ず参りますよと、返事を
されたそうです。
そうすると、奥様は、私が安心するのではなく、残された貴方が
安心できるから、どうか、お参りしてくださいと、真剣に頼まれたそうです。
その奥様のことば通りに、あの方はお寺でお話を聞かれるように
なったのです。
亡くなっていく人を安心させるのではなく、生き残った自分のことを
心配してくれた奥さんのご縁で、お聴聞されるようになりました。と
お念仏の教えは、先立つ親や、連れ合いを安心させる教えではなく、
自分自身が安心を得られるもの、この人生を堂々と生き抜く力を
与えられていくのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は、心配しなくていい、間違いなく
お浄土へ生まれさせ仏にするぞ、一緒に仏として はたらいてくれと
真剣に呼びかけ、はたらきかけていただく仏さまの言葉です。
誰の安心のためなのか、この私の安心のための教えです。
第1641回 いつも一緒の阿弥陀さま
令和6年 7月11日~
近頃 ご門徒のお宅へお参りするのがとても
楽しくなりましたと、いうご住職に会いました。
どうしてなのか、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてくると ああここにも、
阿弥陀さまが はたらいておられると味わえるようになったからですと。
朝目覚めたとき 南無阿弥陀仏とお念仏して、ああここに阿弥陀さまが
顔を洗いながら 南無阿弥陀仏 ここにも阿弥陀さまが、
食事のときも、着替えのときも、おつとめをするときばかりではなく、
南無阿弥陀仏といつも私と一緒の 阿弥陀さま。
ご門徒のお宅にお参りすると、お経さんの本をちゃんと
準備して、待っていただいており、一緒に合掌し、いっしょに声を出して
おつとめをしていただくと、ああ、このお宅でも阿弥陀さまは
間違いなく はたらいておられるのだと、確認出来て有り難く
嬉しくなり、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
自分の口から出た 南無阿弥陀仏は勿論ですが、近くの
どなたかの口に南無阿弥陀仏が出て、聞こえてくると、
阿弥陀さまのはたらきが、なお一層はっきりと、感じられます。
日差しが 暑い中、境内のお墓参りにおいでの方を見ても、阿弥陀さまが
あの方を、お墓まで導いていただいていると、
法座の時に、沢山の方が本堂に座っていただくと、目でも見えて
とても心強く、頼もしく、お堂いっぱいに南無阿弥陀仏が聞こえてくると、
有り難く嬉しくなってくるものです。
ところで、若いころ、親しい友と また明日ねと 別れる時など
バイバイ、グッドバイといっていましたが、その意味を訪ねてみると
実は、「神様があなたと一緒にいますように!」とか、
「神さまの御加護を!」という意味なのだといいます。
いつも、神様があなたを守ってくださいますように、
というキリスト教の祝福の言葉だったというのです。
そういうことなら、浄土真宗では、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は
いつも阿弥陀さまが一緒という意味なので
別れの時、「では、またあした 南無阿弥陀仏」でいいはずです。
私たちが 気づいていなくても、忘れていても、阿弥陀さまは
いつも私のことを見守り、励まし、導いてくださっているのです。
寝ても覚めても、居ても立っても、嬉しいときも悲しいと時も
悔しいときも、悲しいときも、いつも阿弥陀さまがいっしょ
阿弥陀さまは、私といっしょに、はたらき詰めであります。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏となって。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
第1640回 浄土真宗にないもの
令和6年 7月4日~
築地本願寺の晨朝のご法話で、こんな話を聞きました。
京都でタクシーに乗ったら、運転手さんが話しかけてきました。
京都は、どこへいってこられましたかと、聞かれ
本願寺ですと答えると、そうですか、それでは突然ですが
クイズですと。
京都には 数多くのお寺さんがありますが、他のお寺にあって
東西本願寺さんだけにないものがあります。
それは何でしょうかとの問題、質問です。
お寺には必ずあるのに、本願寺だけにないもの、それはなにか。
浄土真宗には、戒律はない、座禅はしない、たたく木魚はない、などと
つぶやいてみましたが、
運転手さんは いえいえ、外からすぐ見えるものです。
思いつかずに、黙り込んでいると、
正解は 入り口の門に、敷居が無いことです。
確かに、山門を入るときに敷居をまたぐことなく、スムーズに
門をくぐって入っています。
多くの人は 門の前で立ち止まり、軽く頭をさげてから、
入っていかれますが、足下を気にするはありません。
お参りの方は、年配者が多く、安全のために 敷居をなくしたのだろう、
今はやりの「バリアフリー」の先取りなのではないかと思っていましたが、
どうも、それだけではないというのです。
普通の寺院は、山門から中は 別の世界、一段高い敷居は、
外の世界と境内を分ける結界であると言うことです。
また木造建築では、敷居は、強度をたかめるためには重要なはたらきを
しているものだそうです。
そこで、またいで通るもの、踏みつけて劣化させないためにも敷居は、
踏まずに、またぐものだといわれるそうです。
山門をくぐって神聖な別の世界に入っていくのが一般の寺院ですが
浄土真宗の寺院だけは ひとり残らず、一人漏らさず
必ず救うという阿弥陀さまの教えを伝えるお寺であるために
結界である、敷居はないのだそうです。
当たり前になって、気づきもしませんが、敷居のないのが、
浄土真宗である 他力のお念仏の教え、そして、浄土真宗の
お寺であると、教えていただきました。
よくお寺は敷居が高いといいますが、浄土真宗のお寺には
敷居がないのです。
いつでも自由に入ってこれるのが、開かれた貴方のお寺なのです。
第1639回 かっこいい大人に
令和6年6月27日~
東京都知事選挙に、異色の候補者が登場し、善戦しています。
ユーチューブという動画配信を使い、情報発信をして有名になった
広島の安芸高田市の市長だった石丸伸二という青年です。
街頭演説では、「かっこいい大人になってください」と、
歩道いっぱいに集まった人々に呼びかけています。
一人ひとりに投票権があり、政治に直接参加できるのに
投票したところで、どうせ変わりはしないと諦めています。
しかし、みんなで投票することで、東京を動かし、日本を動かして
いきましょう。
東京のみなさんは いま日本全国から期待され注目されているのです。
かっこいい大人の姿を、子どもたちに見せてやってくださいとの演説です。
その言葉を何度も何度も、ユーチューブで聞きながら、浄土真宗の
お念仏の教えも かっこいい大人の姿を、次の世代に見せ、
残していくものではないかと、感じました。
多くの人が、死んだら終わり、死んだらすべてなくなると
思い込んで生きています。
しかし、阿弥陀さまは 私たちを、自分の国お浄土へ生まれさせ、
一緒に はたらいてほしいと、呼びかけておられるというのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にする人に 仏に成って
すべての人のために、はたらいてくださいと願われているのです。
生きていくためには、どうしても自分の家族や仲間のために、
努力せずにはおれず、利己主義にならざるを得ません。
しかし、やがていのちが終り、仏になったら、
みんなのために はたらいてほしいとの仏さまの願いとは、
いったい何を意味しているのでしょうか。
一人ひとりが、損得ぬきに、自分の出来ること、勤めをはたし
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口に、にこやかに喜びながら、
いきいきと、堂々と生き抜いていく。
お金や財産などすぐに消えてしまうものだけではなく、
おかげさまでと感謝して、楽しく自信にあふれた、
かっこいい大人の姿を見せていくことが、次の世代に対しての
最高の贈り物となることでしょう。
かっこいい大人になる これがお念仏に生きるということなのでしょう。
第1638回 因を知り 感じる力
令和6年6月20日~
仏教では、因果の道理が説かれています。
因果とは、原因の「因」と結果の「果」で、行いや考え方に
よって、それに応じた結果が出るというのです。
子どものころから、勉強しなければ良い結果は出ない、
努力することこそが大事だと、教えられて頑張ってきました。
病気になるのも、歳を取るのも、自分自身で
その原因をつくっているのだと思い込み、精一杯生きています。
ところで、今、私は、将来のために行動し、様々な原因、
因をつくっていますが、因果関係でいえば 今、結果、果も
受け取っています。
ご恩という言葉がありますが、恩という字は、原因の因と、心と書きます。
現在は 結果であるとすれば その原因を、因をはっきりと知り、
感じとることを、恩を知るということなのでしょう。
今この状態を、なにもかも当たり前と思っていますが、
数多くの人々のご苦労やご縁により、今ここにいるのです。
因果関係を 過去に遡って正しく見つめ、感じる力が
育てられてくると、私の人生は平凡ではなく、とても素晴らしく
有り難いことと味わうことが出来るものです。
これまで育て導いてくださった、両親をはじめ、
気づいていない沢山の人々、いのちを投げ出して、食物となった
動物や植物、そして自然、感謝しても感謝仕切れるものではありません。
どうかご恩を味わう力を持ってほしいと、先輩達は、南無阿弥陀仏の
お念仏を伝え残してくださったのでしょう。
私たちは、明日のこと、将来のことを心配しているにもかかわらず、
知らず知らずに地獄へいくような悪い原因ばかりをつくり続けて
いるといわれますが、心配はない。大丈夫だよ。
南無阿弥陀仏の人は 間違いなくお浄土へ生まれさせ仏にする、
すでに、阿弥陀仏がその原因を完成されているので、心配はないと。
阿弥陀さまは、あなたの未来は大丈夫、任せておきなさい
それよりも、いままで気づいていない、数々の因や縁を、感じ取る力を、
ご恩に気づき 今を喜び、感じ取り、味わえるように
なってほしいと、呼びかけ、はたらきかけていただいているのです。
南無阿弥陀仏は、将来ではなく、今を喜ばせていただく、
報恩のことばです。
第1637回 かんしゃくのくを 捨てて
令和6年 6月13日~
かんしゃくの く(苦)を捨てて 日を暮らす
かんしゃく から、くをとると かんしゃ(感謝)になります。
ご本山の常例布教に出講中のご講師が、ご本山にいる間は
腹を立てることもなく、有り難い日々を送らせていただいています。
何故かというと、それは 腹を立てる相手が近くにいないからですと、
にこやかにお話くださいました。
自分の不甲斐なさに立腹することもありますが、多くの場合
そこに相手がいて、自分と違った主張をしたり、行動したり
思い通りにならないことに、イライラしてしまうものです。
その相手がいなので、腹の立てなくていいとの意味でしょう。
一方 かんしゃくの苦を取った感謝の方は、そこに相手が
居ても居なくても、しかも現在だけでなく、過去も未来も、
有り難く感じ味わうことができるものです。
食事の前の、食前のことば 「多くのいのちと みなさまのおかげにより
この御馳走を 恵まれました。深く御恩を喜び ありがたくいただきます。」
この言葉を通しても、食事の度に 感謝することもできるものです。
ネットで 「感謝する」と検索してみましたら、
日本予防医学協会という
「人生は 感謝するだけで 好転する」とありました。
外国の心理学者の実験で、「小さなことでよいので、感謝できることを
5つ書き出す、それを続けてもらうと、感謝することを毎日考えた
グループは、何もしなかったグループと比べてみると、
感謝することで、幸福度が高まる 体調がよくなる
人間関係がよくなる 生産性が高まる、よく眠れるなど、
様々な良い効果が期待できるということです。
また感謝すると体内で何が起っているのか
科学的研究の結果から、感謝することで、セロトニンや
ノルアドレナリン(情動や感情に作用)、サイトカイン(抗炎症および免疫力)、
コルチゾール(ストレスホルモン)、血圧、心拍数 、血糖値など、
様々な体内のシステムのバランスが取れる、そして、心身の多くの
機能に好影響を与えてくれることが分かってきたと書かれています。
昔から、感謝することは大切!と言われていましたが、心身の健康に
大きな影響を及ぼすことが科学的に実証されてきているのです。
そして、お聴聞をしている人にとっては、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の
お念仏は、感謝を表すことば です。
先輩達は 感謝することで こころと体に、いい影響があることを知って、
私たちに、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏のお念仏を残して
くださっているのでしょう。
第1636回 まずは 仏さまに
令和6年6月6日~
こんな話をききました。
子どもさんが持ち帰った算数のテスト用紙をみていると、
×が、ついたところがありました。
理解出来ていないのはどんなところかと、問題をみてみると。
りんごを4つもらいました。
お友だち三人で分けたら、一人、何個づつになるでしょうか
という問題に、答えを 1個と書き ×がついていました。
一個と3分の一、分数や小数以下のことが 理解出来ていないと
思い、子どもに聞いてみました。
子どもは こう答えました。
「お友だち三人で 一個づつ分けて、一個は仏さまにあげたので、
みんな一個づつだよ」と、いいます。
「だって、もらったリンゴだから、仏さまにあげなきゃ
いけないでしょう」との答えです。
算数の問題だから、仏さまのことは、考えなくて
いいのと言おうと思いましたが、
なんだか こころが温かくなり、そうだね、いただいたものは
まずは、仏さまにもあげなきゃねと、
そのままにしました。
理科の時間に 氷が解けると何になりますかの問いに、
「氷がとけたら 春になる」と答えた子どもがいたという
話を聞きます。
同じように、頂いたリンゴは 仏さまに、まずはあげるのだという
子どもに 嬉しく有り難く感じました。
近頃 仏壇のある家では、子供たちは育っていません。
自分たち家族だけ、生きている人間中心の生き方を
していては、気持ちのやさしさや 思いやりのある子どもは
なかなか育ってこないのではないでしょうか。
氷がとけたら 春になるとの答えと 同じように、
いただいたものは、まずは ほとけさまに上げるとの
答えも、正解にしたい、こころ暖まる、有り難い答えだと味わいました。
子どもの純粋なこころを、大人たちがだんだんと、損だ得だ、
勝った負けた、比較し競争していくことを教え込んでいます、
例え損をしても、負けても、間違いと言われても
思う存分、心豊かに生きる力を、持ち続けてほしいものだと
思っています。
それを、先輩たちは 仏さま お仏壇 お墓
などを通して、伝えようとして
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も そうした
先輩たちの願いのこもった ことばなのでしょう。
第1635回 孫たちのために
令和6年 5月30日~
目には見えない 仏さまの はたらきについて こんな話を聞きました。
家には 大きな梅の木があり、毎年その実で、梅干しをつけています。
食卓にいつも置いてある梅干のその実は 父親がまだ小学校高学年の頃に、
おばあちゃんといっしょに植えたものだといいます。
おばあちゃんとお寺参りした帰りに、苗木屋さんの出店に立ち寄った時、
おばあちゃんが選んだものだといいます。
杖をつき背中が曲がった ばあちゃんが、梅の苗木を選んでいると
店のおじさんは 「桃栗三年柿八年、梅はすいすい十三年、・・・
梅は実が付くまで時間がかかるから、ばあちゃんが
生きているうちには
実はならんよ、こっちにしておいたら」と、桃の苗木を進めたそうです。
おばあちゃんは わしのためではなく孫たちのために植えるで
これでええよと、梅の苗木を買ってかえり 一緒に植えたのだと、
父親に何度も聞かされました。
写真でしか見たことのない ひいおばあちゃんが、
植えてくれたものが 梅干しになって、いつも食卓におかれているのです。
ずっと昔の 遠い遠い ひいおばあちゃんが 今でも 私たちのために
はたらきかけていていただいているのだなあと、食べる度に思います。
そう考えてみると、庭にある柿の木も 桃の木も 数多くの花も、
私の知らない 多くの先輩方が、孫やひ孫のために、植えて育てて
くれたものばかりなのでしょう。
そして、この建物も、掛け軸も 置物も、陶器も、敷物も
昔からあって、みんな当たり前で、有り難いなどと感じてはいませんが、
私の周りには、仏さまになった多くの先輩方の思いが、
今でも 生きて はたらきかけ続けているのです。
こうして今、お寺にお参りし、お念仏をしているのも
私自身の力だけではなく、多くの先輩のご縁によって、はたらきかけ、
その力によって、手を合わせ 南無阿弥陀仏と口にしているのです。
仏さまのはたらきかけは 目で見ることはできませんが、
私が気づかないだけで、いつでもどこでも、私のために
体の外からだけではなく、内側からも、はたらきかけ よびかけ
続けていただいているのでしょう。
ぼんやりと生きている私に、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
と呼びかけ、そのはたらきかけに気づかせて
いただいているのです。
気づかなければ 当たり前で、何の感動もない平凡な毎日ですが、
多くの方々の、大きな思いに包まれていると気づかせていただくと
本当に有り難いことばかりです。
ありがとうございます。みんなみんな御蔭さま
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏です。
第1634回 お任せします 有り難うございます
令和6年 5月23日~
朝のおつとめの後、なにげなく外を見ると、
紙袋に、ちり取り、そしてゴミはさみを手にした近所のおばあさんが
道路のゴミを 拾っておられる姿が見えました。
まだ、朝の出勤前で、人通りの少ない時間、捨てられたたばこや
紙くず、ペットボトルなどのゴミを、つまみ取り紙袋に入れながら、
歩いていかれます。
近頃、通りが綺麗になったと思っていましたが、こうして、
一人もくもくと掃除をしていただく方があったからだと、気づきました。
この方は、お念仏とご縁のある方ではないようですが、
すると赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。もう最悪の状況です。
彼は思いました、「ああ最悪のバスに乗ってしまった。」すると、
その泣き声が近づいてきました。
赤ちゃんを抱いたお母さんがバスを降りようと、入口近くにいる
彼に近づいているのです。
「
バスの運転手が下りようとしているお母さんに聞いたそうです。
「その赤ちゃんはどうされたのですか?」
「熱があって泣いているのです。」
「でも大学病院はバス停が3つ先ですよ。」
「この子が大泣きして迷惑をかけているので、ここから病院まで
歩いて行こうと思うのです。」
こんな会話がすぐそばの彼に聞こえてきたそうです。
するとバスの運転手は、やおらマイクで乗客に語りかけました。
「この赤ちゃんは熱があるそうです。あと3つのバス停で病院です。
それまで我慢していただけませんか?」と。
その後バス内は大拍手が起こったそうです。
お母さんは泣きながら乗客達に有難うとお礼をしたそうです。
その時サラリーマンは思ったそうです、
「自分は最高のバスに乗った。」と。
この運転手の言葉の働きが仏法です。
視点が変わると世界が変わるのです。
仏法の視点を持つ時、今までとはまったく異なる世界が広がります。
閉塞した世界が広い世界に転じられるのです。
みなさんも通信教育で仏教を学びませんか。
家事やお仕事をされながらでも学ぶことができます。
まず、いつでもどこでも短時間で仏教・真宗が学べるようにと、
スマホやタブレットで学習できる入門課程を用意しています。・・・・と
損得勝ち負けだけの価値観で生きていますが、
仏教の教え、お念仏の教えに出会うと、違った世界が見えてくるものです。
お聴聞 お聴聞といいますが、新たな価値観を知らされていくのです。
それがお念仏の教えです。
別室で、おときを準備いたしておりますので、そちらへどうぞ、
こほりおほきにみづおほし
(『高僧和讃』曇鸞讃 『註釈版聖典』585頁)
氷が多ければ多いほど とければ水が多いように、渋が多い渋柿の方が、
甘柿にくらべて甘みが強くなるものです。
私たちも 悩み苦しみ悲しみ、怒り腹立ち煩悩が多い人ほど よろこび多い
人生へと転じられて、味わい深い人生に変えられていくことでしょう。
仏さまのはたらきを 光であらわしますが、干し柿も 光や風のはたらきで
大きく変化させてもらうのです。
氷も 光や風 暖かさでとけてくるものです。
仏さまの大きなはたらきを 繰り返し聞かせていただき お念仏の生活を
はじめてみると、煩悩一杯の私が、渋一杯の柿が、少しづつ甘みが強くなる
よ
渋が甘みに変えられていくように、煩悩が喜びに変えられていくこの教えを
素直に受け取って 悩み苦しみ悲しみから 転じられ、有り難い充実した
人生を 南無阿弥陀仏とともに 送らせていただきたいものです。
「アンパンマンのマーチ」一節です。
その歌の出だしは
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも とあります。
人生は それぞれの受け取り方で大きく違ってくるものです。
何が しあわせで 何が よろこびか
探し求める 一生を みんな送っているのでしょうが、
それが分からずにいる人が 現代は 多いのではないでしょうか。
先輩たちは それを 宗教で確認していたのでしょうが
本物の宗教を知らない人が多い 現代の人々は
一生わからないまま 終わっているのではないでしょうか。
「終活」という言葉が、よく聞かれます。
「子どもに迷惑を かけないように」と、自分の世代で
すべてを解決して終わらせておこうということでしょうが、
一番大事なことは 子どもたちに しあわせとは何かを
確認する方法を しっかりと残え残しておくことでは
ないでしょうか。
いろいろの宗教がありますが、自分の親たちが口にした
南無阿弥陀仏の教えを 子どもたちに、伝え残すことが
父や母、そして祖父母や 多くの先輩が最も喜んでくださる
ことではないでしょうか。
お念仏の人は 死んで終わりではなく お浄土へ生まれ
仏となって この私をずうつと導いてくださっているのです。
それに気づかずにいる私ですが、お聴聞をすると、
仏さまのお話を聞くと、そのことを
繰り返し 繰り返し 教えてくださいます。
それは 先輩たちの呼びかけ、阿弥陀さまと一緒になって
私が進むべき方向を、目標を 生きる目的を知らせていただいて
いるのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を口にし、耳に聞くことで
何のために生まれ 何が幸せかを はっきりと確認し
生きるよろこびを ほんとうのしあわせを 知ることが出来るのです。
【仏教のことば】
「生苦」は「生まれる苦」と言いましたが、
…「誕生」がどうして苦なのでしょうか。
仏典は主に二つの理由を挙げます。まず、
①
「誕生は後の苦(老・病・死など)の原因となるから」です。
もう一つは、②「誕生はそれ自体、苦痛を伴うから」です
(岡本健資『季刊せいてん』124号P58)
【仏教のことば】
「〈わかる〉ではなく〈聞く〉である」と聞いても、
それを聞かずにわかろうとしてしまうのが「わからない!」
の理由です。
(石田智秀『季刊せいてん』126号特集「信心がわからない」P48)
9月13日
【仏教のことば】
われ称(とな)え われ聞くなれど 南無阿弥陀
つれてゆくぞの 親のよびごえ
【仏教のことば】
辛いとき、悲しいとき、嫌なとき、嬉しいとき、
あらゆるときに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と
念仏するならば、それによって私たちは真実に
呼び覚まされていく。
絶えず呼び覚ましを私たちにもたらす声が念仏である
(梯實圓『浄土教学の諸問題』上P71)
【仏教のことば】
あらゆる悪と人々を救ふ世界を見出したのが浄土真宗である
…仏を信じたとて、病気が回復したり、貧乏が金が
儲かつたりするやうな利益はない。
されど如何なる境遇にありても「安らかさ」と
「ゆたかさ」とが恵まれてある。 (梅原真隆『人生と宗教』P18)
9月16日
【仏教のことば】
経典にも「仏心とは、大慈悲心これなり」と出ているように、
「慈悲の心」とは、一切衆生を平等無差別に救わずには
おかないという、末通った深い愛情ひとすじの「仏の心」である。
(花岡大学『親鸞へのひとすじの道』P208)
··
【仏教のことば】
阿弥陀仏は私の心に信心の喜びを与えてくださるばかりでなく、
更に、私の寿命のある限りは称名念仏の声として、
私の生活の中にいつでもどこでも現われましょうという
お慈悲から「乃至十念」の称名をお誓いくださった
ものであると味わわれます
(灘本愛慈『やさしい安心論題の話』P177)
今回も 本願寺派総合研究所からの【仏教のことば】の紹介です。
【仏教のことば】
念仏の行者とは、わたしを念仏の行者たらしめている
本願力の不思議を信知し、感動しているもののことである。
(梯
實圓『教行信証の宗教構造』P72)·
2023年8月7日
【仏教のことば】
「この源空(法然聖人)の信心も、阿弥陀さまからいただいた
信心じゃ。そして、善信さん(親鸞聖人)の信心も、
阿弥陀さまからいただいた信心。だったらまったく同じ、
一つと言うべきでしょうな…」
(『いつでも歎異抄』P71「後序」意訳) 2023年8月8日
毎年のご正忌報恩講で 親鸞聖人ご伝絵をご紹介していますが、
法然聖人のところで、先輩同僚と 信心についての論争のところです。
自分の努力で起こす信心ではなく、阿弥陀さまからいただいた信心
そこで、師匠の法然聖人の信心も、お弟子の信心もみな一緒のくだりです。
【仏教のことば】
ほんとうの宗教はこの自分の中に最も危ないものを
蔵していることが知らされることであります。
浄土真宗の御念仏とは正しくこの私の中に鬼を
見出すことといえます。
危ないことを危ないと知らされると、危ないことに
気をつけることとなります。
(稲城選惠『人生の道標』P158)·
2023年8月9日
【仏教のことば】
浄土真宗の仏事は、阿弥陀仏のお徳を讃えるとともに、
亡き人を、阿弥陀仏と同じさとりを開かれた仏さまとして敬い、
そのお徳を讃えるということでもあるのです。
追善供養ではないからといって、亡き人への思いを
軽んじるということではありません。
『季刊せいてん』115号P52) ·
2023年8月11日
【仏教のことば】
仏の国に往き生まれていった懐かしい人たち。
仏のはたらきとなって、いつも私とともにあり、
私をみまもっていてくださる。このお盆を縁として、
すでに仏となられた方々のご恩をよろこび念仏申すばかりである。
(『拝読 浄土真宗のみ教え』P53) ·
2023年8月12日
【仏教のことば】
「…私が死んだらお浄土へまいらせていただきます。
…けっして遠いところへ離れていくのでもなければ、
子供と別れていくのでもありません。
ほんとうのさとりの身となって永遠に子供のうえに
生きることができるのです…」(山本和上のお母様の言葉)
(山本仏骨『親鸞人生論』P222) ·
2023年8月14日
第1597回 さるべき業縁のもよほさば
令和5年 9月7日~
今回もご本山総合研究所からの【仏教のことば】のご紹介です。
どの言葉を見ても、お念仏の教えに遇えた人の有り難い言葉です。
【仏教のことば】
人間というのは自分が思っているほど一つに決っていない。
固定的な善人、悪人というようなあり方にはなっていない。
…状況や環境次第で、この私自身がどちらにでもころぶのである。
(相馬一意『本物に出あう』P138)
新聞やテレビで見る容疑者を見て、悪人と批判していますが、
一歩間違えば 誰もが同じ過ちを犯すのかもしれません。
【仏教のことば】
経典を読む(読誦)ということは、本来、清らかな悟りの世界から
ひびいてくる仏陀のよび声を聞くことであり、それによって
真実の何たるかにめざめしめられることである。
(梯實圓『浄土教学の諸問題』下P278)
【仏教のことば】
よく、成仏というと死ぬことだと思われていますが、それは違います。
「仏に成る」ことを成仏と言うのです。
(松﨑智海 『鬼滅の刃』で学ぶはじめての仏教 P22)
【仏教のことば】
必ず浄土に往生する人生を生きるということは、尊い命を
生きるということです。
そこには感謝と喜びをもって生きることができる、これこそが
浄土のこの世におけるはたらきといってよい、私はそう思います。
(勧学寮編『今、浄土を考える』P70)
【仏教のことば】
諸行無常という言葉を、知らない方はいないと思います。…
しかし、それは知識として知っているだけではないでしょうか。
本当にこの世は諸行無常なのだということの納得がなかなかできないのです。
(淺田恵真『お念仏の真実に気づく』P91)
第1596回 疑り深い私のために
令和5年 8月31日~
私たちは 疑い深い性質を持っています。
常識の範疇だと素直に受け入れるものの、常識を超えていると
そんな馬鹿な だまされるものかと、疑い拒否します。
そんな私を 何とか信じさせようと、
お釈迦様は いろいろと苦心して 教えを説いて
いただいています。
仏説無量寿経の中には、
これまで沢山の仏さまが、この世に出て多くの人々を
救っていただいたこと、そして世自在王仏という
仏さまの時代に 一人の国王が、すべての人々を一人残らず
救いたいとの大きな願いを建て、
その理想の国をつくるために 多くの仏さまの世界を
手本にしたいと、さまざまな仏さまの世界を見せてもらったこと。
その数が 10や20ではなく、210億もの仏さまの国を
見せてもらい、その中から特に優れたものを選び取るのではなく、
疑い深い 私たちのために、五劫という長い長い宇宙的時間
考えに、考えて、48項目の設計図を建て、その完成のために
また宇宙的長い間修行して これまでにない最も優れた
お浄土が完成したと説かれています。
その設計図の17番目には すべての仏さまが、
自分(阿弥陀仏)のことを、誉め讃えるような 最もすぐれた
はたらきができる仏に成りたいというのです。
過去の仏さま 現在の仏さま すべての仏さまが
実現できなかった、努力出来る人も出来ない人も、すべての人を、
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」の名号を口に
するものを 自分の国・お浄土へ生まれさせ 仏にしたいと。
ですから、私がご縁を頂いて 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
お念仏するとき、もう仏さまと同じ はたらきをしている
ことになります。
阿弥陀さまの偉大さ、そのはたらきが、分かっていなくても
お念仏する私は もう仏さまと同じ阿弥陀仏を讃嘆する
はたらきをしていることになるのです。
疑り深い私がどう思と お念仏する時は、もう
仏さまと同じように 阿弥陀さまを讃嘆するはたらきを
しているのです。
ですから、今は 悩み多い人間ですが、やがて いのち終われば
お浄土に生まれ 引き続き 阿弥陀さまを讃嘆する仏さまの
はたらきをさせていただくのです。
もう 今は 仏さまの仲間なのです。
第1595回 物差しを変える
令和5年 8月24日~
今回も本願寺派の総合研究所のツイッター【仏教のことば】のご紹介です。
【仏教のことば】
信心を得る以前は いわゆる常識という物差しで社会を生きてきました。
しかし信心を得るというのは、いままでの常識の物差しを捨てて、
法という新しい物差しの世界へ生まれ変わるのであります。
(霊山勝海『聖典セミナー親鸞聖人御消息』P86)
配信 · 2023年7月26日
私たちは 学校で長年教育を受け、社会での経験を元にした常識で
今まで生きてきました。
しかし、学校教育では ○か×か、採点できることが中心であり
社会では 損得勘定を基本にして、いかに上手に生き抜くか、
老病死を嫌い否定する、価値観で生きてきました。
しかし、現代の科学ではなかなか評価、証明出来にくい、
先輩たちが受け継いできた、大人の智慧、仏法があることを
知らないままでこれまで生きて来たようです。
キリスト教を基本とした西洋的な考え方、ものの見方を
現代人は常識として生きているようです。
そうした、世間の常識を超えた価値観が日本には存在していたこと、
そうした物差しを知り、その世界を体験し、生きていくこと、
それが仏法という新しい物差しの世界に生まれ変わることなのでしょう。
すべてのものを救いたいという仏さまの願い、はたらきを
繰り返し聞き、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にし、耳に聞き
どこへ向かうのか、それはお浄土へ向かって力強く生きていく
世界があることを、教えていただいているのです。
【仏教のことば】
仏道を歩むとは…人間の逃れられない根源的な苦悩を乗り越えていく道を
目指すのであり、仏陀の説かれる「苦悩を除く法」とは、「生老病死」の
苦悩を除く法なのである。
親鸞聖人が目指された仏道も、生老病死の苦悩を乗り越えていく道であった。
(勧学寮篇『親鸞聖人の教え』P14)
医学や科学が進み、あたかもこれが万能であるとの誤解があります。
「生老病死」の苦悩を除くには、薬を飲む、手術を受けるなど、
外側からの何らかの治療を受けることでしか、解決法は
ないと信じこんでいます。
しかし、先輩たちは、科学だけに頼るのではなく、仏法を通して
内側からの、精神的な解決法を受け継いできたのです。
そうした世界があることを 教えていただいているのです。
【仏教のことば】
死の問題の解決こそ、同時に生の問題の解決でもあるわけで、
ほんとうの幸福とは、お念仏によって生死の問題を超えさせて
いただく以外にはないと思うのです。
(村上速水『道をたずねて』P27)
ともありました。
第1594回 受け継がれていくもの
令和5年 8月17日~
お盆の間 境内にあるお墓に 子ども連れの見知らぬ若い家族の姿を
多く見受けました。
本堂にお参りする家族、直接お墓にお参りする家族さまざまですが、
年配者が一緒ではなく、自分たちでお参りしているのを見ると、
子どものころに大人に連れられて 参拝していた世代が、
夏休みに帰省して子ども連れでお参りしているのだろうと思います。
大人と一緒に 本堂にお参りしていた家族は、本堂へ上がり
お墓だけの家族はお墓だけ帰る、こうして次の世代に受け継がれて
いくのだろうと、感じています。
さて、浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所【公式】から
送られてくる【仏教のことば】に
こんな内容がありました。
【仏教のことば】
わが身の善悪にとらわれて、これで助かるだろうとか、
こんなことでは救われまいと思いわずらうことを、
自力のはからいというのです。
そのはからいをやめて「必ず救う」のおおせ一つをあおいで、
おおせに安んずることを安心とも信心ともいうのです。
(梯實圓『妙好人のことば』P226) ·
2023年7月21日配信
【仏教のことば】
仏教というのは世界の見方を変えてくれる教え…
その教えに一度出会うと、出会う前のものの見方に戻ることはありません。
毎日、大量に消費され廃棄されていく情報とは違う、
出会うとその人の人生をも変えてしまう…それが「仏教」です
(松﨑智海 『鬼滅の刃』で学ぶはじめての仏教 P4)
·
2023年7月23日配信
【仏教のことば】
仏教は道徳ではありません。
私の窺い知る(うかがいしる)ことのできない「仏の世界」を
学ぶのです。道徳と同じレベルで学べば大きな誤りを犯します。
(淺田正博『生かされて生きる―どうして人を殺してはいけないのですか?―』P28)
2023年7月24日配信
【仏教のことば】
本堂においては、すべて本尊を中心にして語られる。
前後、左右というのも、本尊の前後、左右…であって、
私から向って左右ということではない。…あらゆることがらを
自己を中心として考え、行動している日常的な意識が
本
7月25日配信
第1593回 この世に無駄なし
令和5年 8月10日~
毎日送られてくる 【仏教のことば】 そこに こんなことばが
ありました。
【仏教のことば】
「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
この世に無駄なしということなのですね
(鈴木章子『癌告知のあとで―なんでもないことが、こんなにうれしい』P134)
2023年7月17日配信
北海道のお寺の坊守さんで 癌で亡くなられた鈴木章子さんの残されたことばです。
(※摂取不捨=摂(おさ)め取って捨てずという、阿弥陀如来の救い)のことですが、
私たちは 役にたつもの、有益なものだけが 有り難く感じていますが、
この世には 何一つ無駄なことはなく、私たちが忌み嫌っている、老病死も
みんな平等に訪れてくるもの、それをどう捉えることができるかで
人生は 大きく変わってくるものでしょう。
限られたいのち、毎日毎日をどう味わって生きるかで 私の人生は素晴らしいものに
転じられていくのです。
長い命だけが素晴らしいのではなく、健康だけが素晴らしいのではなく、
何一つ 無駄なことはない、ひとつひとつ 味わい深い毎日を
送らせていただきたいものです。
またこんなことばも 送られてきました。
【仏教のことば】
「自由」とは何でしょうか。多くの人は、「自分の思い通りになること」と
考えるでしょう。しかし、仏教では、「自分の思い通り」とは、欲望という
煩悩に支配された「不自由」に過ぎないと見ます。
(『いつでも歎異抄』P51)
【仏教のことば】
慈悲深い両親だからといって、その両親の前で悪事を行って、はたして喜ぶだろうか。
嘆くに違いなく、それでも見捨てないだろう。
また、大切に思ってくれても、悪行については許せない思いのはずだ。
如来の思いも、まったく同じである。(法然聖人の言葉)
(『季刊せいてん』110号P54)
第1592回 仏法は 聴くべきもの
令和5年 8月3日~
毎日 ご本山の総合研究所からツイッターで送られてくる
「仏教のことば」その中に こんなことばが ありました。
【仏教のことば】
世界はこんなに苦しいけれど、解決していく道はきっとある。
月並みな言葉ではありますが、仏の教えというのは、
この苦しい世界での希望なのです。
(松﨑智海
『鬼滅の刃』で学ぶはじめての仏教 P52)
仏教は 生老病死の苦しみを解決するために説かれたとも言われます。
生きるということは 苦しみの連続 その苦しみを解決するために
お釈迦さまが説かれ 多くの先輩たちが その味わいを
具体的に説き 伝えていただいたものが 仏の教えなのでしょう。
先輩が残していただいた、折角の教えに 気づかないでいることは
もったいないことです。
浄土真宗は お聴聞 その教えを 聞くことが大事だといわれます。
【仏教のことば】
「仏法は毛孔(けあな)から入るものである」ならば、
わたしの心身をあげて聴くべきものであろう。
わたしの生活行動を通して、教えのまことを確認する
という意味を含むであろう。
(村上速水『親鸞教義の誤解と理解』P112)
【仏教のことば】
「本尊」とは帰依尊重する本仏をいう。
この本尊が教法の根源であり、また礼拝の対象である。
(『浄土真宗本願寺派「宗制」解説』P43)
【仏教のことば】
「必ずあなたを救いとる」という如来の本願は、
煩悩の闇に惑う人生の大いなる灯火(ともしび)となる。
この灯火をたよりとする時、「何のために生きているのか」
「死んだらどうなるのか」、この問いに確かな答えが与えられる。
(『拝読
浄土真宗のみ教え』P3)
【仏教のことば】毎回 短いことばですが、お念仏の教えを
味わうには 誠に貴重なことばです。
第1591回 しあわせ 幸せ 仕合わせ
令和 5年 7月27日~
私たちは「しあわせ」を 追い求めて、生きています。
その「しあわせ」を「幸せ」と書くことが多いものですが、
ひと昔前までの辞典は「仕合わせ」と 表記されていました。
「幸せ」の「幸」とは「山の幸・海の幸」の 恵みを意味します。
人間は その山や 海の恵みを 有り難い 恵みと受け取ることが出来ず、
思いのままに乱獲し、乱開発してきました。
「幸 多かれと・・ 」の「幸」も「恵み」の意味でしたが、
今では、人間の「望み(欲望)」の延長線上にあるものと受けとられています。
「幸」には「恵み」以外に、「こいねがふ」という 欲望の意味や
「むさぼる」をも 意味します。
「むさぼる」とは、三毒の煩悩の一つである「貪欲(とんよく)」で、
「足ることを 知らない」ということです。
そんな私たちが「しあわせ」を 望んだとしても、むさぼり続けるだけで、
いつも満たされず、不平・不満ばかりを いいながら生きています。
自分の思い通りにならず「愚癡(ぐち)」を こぼし、
「憤り( 瞋恚・しんに)」を 感じるしかありません。
そんな私たちに、本当の「しあわせ」は あるのでしょうか。
一方、「仕え合う」と書いて「しあわせ」は、お互いが 相手や
周りのために 仕え合うことを「仕合せ」と言うのです。
欲しい 物が 手に入り、自分の思い通りになることに満足するのでなく、
信頼している人に 喜んでもらえることを「仕合せ」だというのです。
作家の司馬遼太郎氏によれば、「仕合せ」の「仕」は「ある人に
つかえること」だそうです。
自らの生命をかけて 仕えるべきものに出会うことです。
生きている中で、辛いこと・苦しいことなどが あったとしても、
自分の「めぐりあわせ」言いかえれば 不思議な「出会い」が
ぴったり合う因縁を「仕合せ」というのです。
私たちは、人間として この世に命を恵まれました。
しかし、生まれてきたことを当然のこととして、また、恵みを恵みとして
受けとめていない 私がいます。
そうして、命の営みの中で、多くの恵みや 出合いがあるのに
まったく気づかず、生かされている「しあわせ」も 生きている慶びも
味わえないままでいます。
親鸞聖人は、法然聖人と出会えたこと、そして阿弥陀如来のご本願に
出合えたことを「仕合せ」だったと慶ばれています。
親鸞聖人の生涯は、決して幸せであったとは言えないものです。
幼い頃 両親を亡くされ、念仏禁止令で遠く越後に流罪になり、
晩年は、ご長男の善鸞さまを 義絶せねばならないなど、苦難の連続でした。
しかし、親鸞聖人は その不幸を 嘆くのではなく、お念仏とともに
慶びをもって力強く生き抜かれました。
それは 法然聖人と巡り会えたこと、そして何と言って
阿弥陀仏のご本願に遇うことができ、人間として生まれてきた
不思議と、慶びを味わうことが出来て、とても仕合せだったのだと思います。
それが、教行信証の総序に「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、
真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」
という言葉として 表れているのだろうと味わえます。
お念仏の教えに遇うことが出来れば、当たり前なこと、平凡なものが、
不思議で有り難く、しあわせに感じられるようになることを、
教えていただいています。
第1590回 仏教のことば
令和 5年 7月20日~
コンピュータを開くと いろいろな情報が入ってきます。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所から
「仏教のことば」も、定期的に 送られてきています。
その中に こんな言葉がありました。
お説教というのは、私を中心にした世俗の領域から如来を中心とした
聖なる領域へと、人びとの心を転換させることでしょう。
(梯實圓『平等への視座』P132)
私たちは 人間中心の損得勘定の生活をしていますが、
そうした価値観だけではなく、仏さまの価値観があることに 気づかせ
そして、現実を正しく見る力を得らさせようという はたらきなのでしょう。
また、
仏さまの教えによって、新しい心の視野を開いていただくことを、
お救いにあずかるというのです。
(梯實圓『仏の願いに遇う』P52)
という言葉もありました。
こんな【仏教のことば】
話を聞くということは、こちらがものを考えておったら、聞えません。
こちらを空っぽにし、素直に向うのいうことを受取ることであります。
(桐溪順忍『他力ということ』P27)
また、
私の手のつけようのないような広大な世界に、私は
つつまれているのだなということが味わえてくるようになりますと、
わからないというわかり方がわかってきます。
(梯實圓『仏の願いに遇う』P37)
私たちは 目の前の現実に目を奪われ、一喜一憂しながら
生きています。
仏教の教えに出会うことで、その悩み苦しみが少しは違って見え、
感じられてくるものです。
そうした 仏教の教えがあることを 先輩たちは 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と口にして聞く、お念仏の教えとして
私たちに残してくださっているのです。
第1589回 仕合わせな人生を
令和5年 7月 13日~
今でこそ どこの家にも空調が備わっていますが、
30年ほど前までは 扇風機と団扇の時代でした。
お盆のお参りなど、勤行する私の後ろで、ずうっと団扇で
あおいでくださっていたおばちゃんがあったものです。
それから、しばらくして 冷房だけのエアコンが
付けられるようになりました。
ある冬 寒い朝の月忌参り、玄関で声をかけると、
さっさと二階の仏間に上がってお勤めを開始
慌てて奥さんが飛んで来てエアコンを付けてくださいます。
ご自分の部屋は、冷暖房のついた空調でしょうが、
仏間は冷房だけの古いタイプ、「もうちょっと待ってくださいね。
もうすぐですから」と、言い訳しながら、リモコンを持ち、
空調の風に手をあてて ゴメンナサイねと声をかけられます。
この部屋は冷房しかないことを知っている私は、
エアコンを止めてくださいと、手で合図しながらお勤めを続けます。
冷気が真横から いきよいよく吹きつけます。
時間がたつに従って、ますます冷え込んで来ますが
お勤めを止めて、冷房を断る訳にもいかず、
冷凍室のような極寒の中でのお勤めでした。
お勤めが終わり、ありがとうございます。
ここは 冷房しかないようですからと、断ると
アーそうでしたねと、慌てて、石油ストーブを
その奥さんが、先日97歳でご往生になりました。
家業を手伝いで早朝3時からの働きづめのお母さんでした。
お姑さんが厳しい方でしたから、ご苦労も多かったでしょうが、
これが自分に与えられた仕事と、腰が曲がった姿で
にこにこしながら、はたらいておられた様子を思い出します。
都合のよいことも、不都合なことでも自分のやれることを
精一杯勤めさせていただく、それが仕合わせであると、
教えていただいたよな、有り難いお念仏の方でした。
こうした有り難い方が 一人また一人お浄土へと生まれて行かれます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏を聞くとき、あの方々が
阿弥陀さまと一緒に 呼びかけていただいていると、
味わい 私もこの世の勤めを、自分で出来ることを
にこにこしながら精一杯、果たしていきたいと思います。
第1588回 きく・菊・聴く・聞く
令和5年7月6日~
幾たびか お手間かかりし 菊の花
加賀の千代女の俳句とも言われています。
菊つくりというのはなかなか手間のかかる作業らしいです。
大輪の菊を一本仕立て、三本仕立て、断崖仕立てなどの鉢に
育てるまでには大変な苦労がかかるようです。
春先から、挿し芽をし、苗を育て、ある程度の大きさになったら、
鉢に植え替える。
鉢を植え替える前には、土作り。川砂、腐葉土、赤玉土などを混ぜ、
どの肥料も入れるのか・・・・
2週間ほどなじませ、その後、鉢の下に網をしき、・・・・・
水やり、施肥、わき芽摘みなど、花を咲かせるまでには、こうして
かなりの時間と手間がかかるのです。
幾たびか お手間かかりし 菊の花
の俳句の中には、菊つくりの手間ひまにかけて、私たちの今の仏縁を
いただくまでの手間ひまを込めて詠んでおられるのです。
「菊」は私たちが阿弥陀さまのご本願を「聞かせていただく」身に
お育てをいただいた、その「聞く」に通じるものです。
そして「花」はその聞かせていただくことによって阿弥陀さまの
お慈悲に気付かせていただくことができたよろこび、すなわち
「信心の花」を咲かせさせていただくことができたよろこびを
表していると味わうことができます。
「きく」という漢字もいろいろありますが、代表的なものは
3種類あります。「聞く」と「聴く」と「訊く」です。
『聞く』は、音・声を耳で感じとる。耳に感じて、知る。
という意味で、「鳥の鳴き声を聞く」「話し声を聞く」「うわさを聞く」
というように使われます。
『聴く』は、耳を傾け、注意して聞き取る。という意味で、
「ラジオ講座を聴く」「講義を聴く」「名曲を聴く」と
いうように使われます。
『訊く』は、たずねて、答えを求める。問う。相手に質問する。
という意味で、「訊問(じんもん)する」というように使われます。
親鸞聖人が「教行信証」に書かれている「きく」は「聞」です。
「聞即信」「聞というは、衆生仏願の生起本末を聞きて
疑心あることなし。これを聞と言うなり」と示されます。
私たちの五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)のうち最初に
身につく感覚は「聴覚」と言われています。
お母さんのお腹にいる時からお母さんから呼びかけられている
「声」を聴くとはなしに聞いて、生まれてからも
「あなたのお母さんよ」と呼びかけられている声を
聞いて育っていくのです。
物心ついて、こちらから真剣に物事を把握しようと
耳を傾けて一生懸命に聴いていきます。
そして、学びを深め人生の幅が広がって行きます。
しかし人生50年ないし100年の間に学び尽くすことは不可能です。
そして、いのちの最後のぎりぎりまで残る感覚も「聴覚」と
いわれています。
阿弥陀さまのお慈悲に出遇うこともよく似ています。
はるか昔から、阿弥陀さまに「南無阿弥陀仏」
(あなたの真実の慈悲の親は阿弥陀であるよ。)と、
呼び続けていただいたのであります。
有る時、仏縁をいただいて「南無阿弥陀仏」とはいったい
なんだろうと疑問に思った時に、こちらから仏法を聴く
(求めていく)ご縁をいただくのです。
その聴聞のご縁の中で、私の方が聴きに行っていたのでは
なかった。阿弥陀さまから呼びづめに呼ばれていたのだと
(聞かされていたのであったと気付かされる)お慈悲の
大きさを知らされるのです。
阿弥陀さまの「呼び声」は、耳に聞こえる聴覚だけでなく
「こころ」の底の底まで、響いて下さる救いの響きなのです。
淨教寺さま ホームページより 奈良県奈良市
第1587回 人は 誰しも いつかは
令和 5年6月29日~
コロナの前まで、月に一回「浄土真宗の常識 勉強会」を
開いていました。沢山の方にお参りいただいていましたが、
この3年間はお休みし、今では、老人施設に入られた方や、
お亡くなりになった参加者の方もあります。
坊守さんが作る 毎回違った 手作りおやつが楽しみと
言われながら続けていました。
先日、その参加者の親戚の方から電話がありました。
参加していたお母さんではなく、その息子さん71歳が お亡くなりに
なったとのこと、息子さんのお宅は知らず、慌てました。
お母さんは老人施設に入られ、お寺からの連絡の葉書や手紙は、
息子さんのところへ住所変更になっていたことを思い出し、駆けつけました。
肺癌の告知を受けてからも、8年間 仕事を続けながら
病気と闘っておられたとのこと、ご本山で おカミソリを受け
ご夫婦で 法名を受けられたことは聞いていましたが、
病気のことは内緒にされていたとのことでした。
一人息子だったご本人は、自分が癌になったことを、母親が知れば
どれだけ悩み苦しむか、絶対、親にだけは知らせたくない、
頭髪が抜ける治療は避けてほしいと、頼まれていたそうです。
通夜、お葬式、初七日が済み、二七日の席で、喪主の奥様から
こんな本を残しています、よろしければ読んでくださいと、
160頁ほどにまとめられた癌告知からの8年近くの治療の内容や
さまざまなエピソードが、克明に記録された立派な本をいただきました。
その記録を読ませていただくと、癌告知から2年ほどたって、
母に病気のことを内緒にしておくと、もしもの時、家族がきっと
責められるだろうと、母親あての手紙を書き残していたとのこと。
4年ほど経った頃、一人住まいだったお母さんが自宅で転倒、
救急車で運ばれ、今後は老人施設がいいだろうと
医者に勧められ、介護施設に入所されたものの、毎日荷物をまとめて
自宅に帰りたいと言い、面会した息子さんは声を荒げることも
あったといいます。
ついに母親に、自分が癌であることを告げたところ、
お母さんは「人は誰しもいつかは死を迎えることとなる、
最後は痛くないようにしなさいよ」との返事に
話の内容を理解出来ていないのか、はたまた90歳を過ぎた
老人の卓越した心情なのかと、困惑したと書かれています。
息子さんは、母親が認知症で正確に理解出来ていないと受け取られた
ようですが、毎月、毎月、仏さまのお話、老病死は避けられないと、
聞いて来た人の言葉だったのだろうと、有り難たく感じました。
仏教の話を聞くことがなかった息子さんには、それが理解出来なかった
ようです。
そして、息子さんが数日後、自分の病状を再び話しても、反応が乏しく、
「風邪をひかないように」と、言うだけだったと書かれています。
親としてはどうしてやることも出来ない、悩み苦しみながらも
四苦八苦を受け入れることが出来る人と、仏縁のなかった息子さんとの
違いだろうと思われます。
仏教は 死んでからの話ではなく、生きている間に聞いておくべきもの、
この息子さんに、お聴聞するご縁がなかったことが お聴聞を勧めることが
出来なかったことが、誠に残念でなりません。
ほんの数回でも良いから 仏さまのお話、お浄土のお話、聞いておられたら、
また違った味わい深い闘病生活になっただろうにと、残念に思いながら
癌告知後の揺れ動く心を、読ませていただきました。
第1586回 ちゃんと見られている
令和 5年 6月22日~
ご門徒と一緒に 記念行事などの準備をするときに思います。
歳を重ねたせいか、若い住職たちが 若者独特の派手な衣装で
参加していたり、お勤めの稽古を始めたのに、布袍を着用しなかったり、
ついつい気になるものの、口に出せずに見過ごしています。
どうして、気になるのだろうかと、考えました。
会社勤めをした経験を思い出すと、ボーナス査定や昇進、転勤などのために、
責任者は自分のチームの人たちの人事評価を書く必要があります。
また、どこに異動させるのか、その適性を見て判断し、最適な所への
配置転換の案、移動の案を出さねばなりません。
本人の希望が優先されますが、上司がそれに賛同して推薦しなければ
希望どおりの部署への移動は成立しません。
若いときには、人事部などが勝手にやっているのだろうと思っていましたが、
実は、一番近い上司が、その人の人生を、将来を左右しているものなのです。
それはちょうど、プロ野球の監督が自分のチームの選手の特性を見て、
試合に起用するか、起用しないか、自分のチームに残すのか、他のチームに
放出するのかを、毎試合 毎試合見ているようなものです。
お寺は、そうした競争がありませんから、大丈夫と気を許していますが、
ご門徒の方々は、こうした世の中で生活していた人たちです。
取引先のこの若者は信用できるか、ちゃんと上司に伝わるか、もう一度
相手会社の責任者に確認する必要があるのか、文書で確認しておくべきか、
ひとつひとつ見定めないと、大きな失敗につながるものです。
ですから、多くのご門徒は、この住職の言うことは大丈夫か、信用できるか、
理解力や行動力、包容力はあるのか、
人生の岐路にさしかかったとき、相談できるか、相談しても無駄かなどと
ついつい観察し、評価しているものなのでしょう。
そうした、ご門徒の思い、目があることを、気づき、自分を律して
いるのか、のんびりと勝手気ままに、自分のいいようにしているのかで
違いが出てくるのだろうと、思います。
若い人たちに、それをどう伝えたらいいのか、そんなの関係無い、自分は
自分で思うようにやる、自分は他人をそうゆう見方をしないので、
大丈夫だと思うのか。
こうした、世間の厳しい目が存在することを、知っている人間は
どのように伝えたらいいのか、そのチャンスをどうつくるのか、
感じたことを、だまっておかずに、
年寄りの勤めだろうと思いながら
イライラしているのだろうと、思います。
第1585回 頼まないのに 呼びかけ
令和 5年 6月15日~
浄土真宗は ただ一つ お聴聞を勧めます。
そして、何を聞くのかというと、阿弥陀如来という仏さまは、
一人残らず
迎え取って仏にしたいと、
はたらき続けておられることを聞くのです。
阿弥陀さまの名前・南無阿弥陀仏を口にして生きて
一人残らず間違いなくお浄土へ迎え取る。
心配しないでいい、悩やまなくていい、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏で
大丈夫 大丈夫と呼びかけ、はたらきかけておられることを、
聞き取っていくのです。
浄土真宗は、このこと一つを聞くことだと言われます。
私が頼む前から、私のことを心配して、四苦八苦の
人間の世界を精一杯生き抜いておいで、そして、お浄土へ
生まれてきてくれ、一緒になって、悩み苦しむ人々を救うために
はたらいてくれ、そう呼ばれ続けている、そう気づかされると、
この人生は、まるで違って見えてくるものです。
自分ひとりで頑張って、悪戦苦闘しているつもりですが、
仏さまをはじめ、親も兄弟も、周りの人々も、自然も
ありとあらゆるものが、この私を支え生かそうと はたらき
続けていることに気づいてほしいとの、はたらきかけです。
繰り返し繰り返しお聴聞すると、限られたこの世だけが人生ではなく
いのち終わった後も、まだまだ生きがいがある はたらく場所がある。
期待されて待たれている、この私のことを認め信頼し、受け入れて
くださる世界があり、私の目的地はお浄土であると。
そう聞えてくると、わずか100年のいのちではなく、永遠のいのちを
感じることができるのです。
そればかりではなく、私の生きがいは、自分の身を、欲望を満足
させることではなく、多くの人々に、仏さまのはたらきかけを知らせ、
感じさせ、よろこびを与えること、それが、喜びとなってくるのです。
永遠のいのち 無量のいのちの仏さまになることができる
もう仏さまの仲間であると、味わえてくると、毎日の生活が
まるで違ってくるものです。
自己本位で限られたいのちを、苦しみながら生きる日々から
仏さまの願いにかなった、、充実した、やりがいのある
喜び多い人生へと転じられていくのです。
それが、南無阿弥陀仏に 遇えた念仏者のよろこびであり、
これこそが、充実した人生だと味わえてくるのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の呼びかけを聞き、南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏を
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と喜びを口にすること、
それは、すべての仏さまとともに、すべての先輩たちと、
私も一緒になって、仏さまのはたらきのお手伝いを
さていただいているのです。
それが、南無阿弥陀仏のお念仏、仏さまの はたらき
そのものなのです。
第1584回 仏前結婚式での ご法話
令和 5年 6月8日~
お隣のお寺のお嬢さんが 結婚式をあげられました。
お相手は、在家の方ですが、住職坊守さんの強い希望で
本堂での仏前結婚式となりました。
ご近所のご縁で、司婚者を務めさせていただきました.
そこで、こんなご法話をさせていただきました。
ご結婚 まことにおめでとうございます。こころからお喜び申します。
こうして、ご仏前での結婚式を挙げていただいたこと、何かと大変でした
でしょうが、本当に尊い有り難いご縁でありました。
若いときは気づかなかったのですが、孫が出来、ひ孫ができると、
親というものは、自分のことよりも、子どもや孫のことが心配でならない。
どうか、生きがいある喜び多い人生を送ってほしいとの思いで
一杯でございます。
きっと、ご両家のご両親はじめ、ご親戚のみなさま、そして、こちらでは
先日お亡くなりになったおばあさま、お祖父様 そして 顔も知らない
多くのご先祖も揃って、良かった良かったと、喜んでいただいて
いることでありましょう。
ところで、坊さんですので何をしているか、
毎日毎日家庭訪問をいたしておりますが、
本当にいろいろなご家庭があるものです。それを、大胆に分類すると
大きく二つのグループに分けることができると思いますが、一つは
有り難う、良かった、御蔭さまと、明るく楽しく生き生きとしておいでのお宅と、
もう一つは、きつか 苦しか、ハガイか、私一人頑張ったですよ。
腹が立つ、くやしか、世の中間違っていますよ。
嘆かれるお宅との、大きく二つに分けることが出来るようです。
そして、きつか 苦しかの方々は、高学歴で、立派な家に住み社会的にも
うまくいった方々に多いようです。
どうして、そうなのか。少し分かってきました。・・・
私どもの宗教は、浄土真宗と申します。
難しいことは求められません。ただ一つ、それは
お話を聞いてくれ、仏さまの話を聞いてくれと、それだけでいいといいます。
ところが、簡単のようで、なかなか本堂に座れないものであります。
話を聞いてくれというのは、何の話かというと、これもただ一つであります。
仏さまは、おまえのことを、一人子のように、おまえを救う、
おまえのことが心配、我に任せよ。
仏さまは、おまえのために、おまえのことが、と 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と 呼びかけておられる これだけであります。
私たち人間は 自分がやったことは、全部憶えています。
ああしてやった、こうしてやった、一つ残らず憶えています。
ところが、同じ事を、自分もやってもらったことは、
気づきもしない、全部忘れています。親の世話になんか、なっていない
自分ひとりがんばって 大きくなったと思っています。
おまえのために おまえのためにと繰り返し繰り返し、聞いた人は、
頑張れば頑張るほど、自分のために多くの方々が、多くの力が働きかけて
くださっていることに気づくことが出来て、ものの見方が違って見えて
くるものです。
これを、恩を感じるとか、報恩感謝とかいっていますが、
私に対する はたらきかけを気づいた人と、気づかない人とでは
大きく違ってくるものです。
特に、社会的にうまくいった人は、自分が知らないことは何もないと、
仏さまのお話など知っていると、聞く機会がなくご縁がなく、どうも、
つらい苦しい人生で 終わっておられるように見受けます。
夫婦の間でも、相手の思い、行動を気づかなければ、自分ばかり
苦労して、相手は何もしない、と腹立たしくなってくるものです。
相手の思い、はたらきかけに気づくと 有り難く尊敬出来る、連れ合いと
感じられてくるものです。
この本堂での結婚式をご縁に、仕合わせを感じ、味わう力を
感じ取る力を、受け取る力を 育てていく、そのきっかけを
持たせていただいたことを、本当に尊いご縁でした。
こうした価値観にあえれば、むなしい人生でなくなりますよ、
逆に出会わなければ、辛い人生でおわりますよと、
先輩たちは教えてくれています。
どうか、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とともに、と言われますが、
私ども僧侶は職場でも口にできますが、みなさんは職場では、
無理でしょうから、「よかった、ありがとう、おかげさま」を口癖に
味わい深い 豊かで、喜び多い人生を受け取ってくださいとの、
先輩たちの願いを、聞き取り、素晴らしい人生
有り難い人生を、味わっていただければ有り難いことです。
本日は まことにおめでとうございました。
有り難うございました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1583回 新しい領解文
令和5年 6月1日~
領解文を御存じですか、法座のあと、みんなで声を揃えて
唱和する 「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて・・・・」です。
蓮如上人が定められたものといわれ、一人一人のご法義の受けとめを、
それぞれに表出する「領解文」として親しまれてきたものです。
そこには、「信心正因・称名報恩」など、浄土真宗の肝要が
コンパクトにまとめられています。
しかし、若い人には なかなか難しいだろうと、新しい領解文が
この度、作成されました。
ところが、その内容が浄土真宗独特の内容ではなく、誤解をまねく
ところがあると、多くの学者が、問題点を指摘して、それを学ぶ、
勉強会が
この「領解文」は、お聖教ですから、これまで、何の疑問も持たず
声に出していましたが、
いざ新しいものが出来てみると、これまでの内容が、うまく組み込まれず、
天台宗など従来の仏教と同じように誤解されてしまう部分もあります。
現代人に受け入れられるために優しく、分かりやすくと
努力したことが、逆に、問題を残したようです。
親鸞聖人は比叡山で20年もの長い間修行されました。
しかし、それまでの仏教では、選ばれた特別の能力ある人だけが
救われて、多くの人には関係無い、一般人には、ほど遠い教えでした。
法然聖人は、浄土三部経の中に、阿弥陀さまの教えが説かれており、
そこには、出家も修行もできない多くの人、すべてが救われるお念仏教えが
あることを、教えていただき、それを受け継ぎ、親鸞聖人は
私たちに間違いなく受け取れるように、克明に書き残していただいています。
そこで、今、私たちはお念仏の教えに遇うことが出来たのです。
そのことを喜び、この度、親鸞聖人生誕850年、そして浄土真宗の
立教開宗800年の法要がつとまりました。
しかし、新しい領解文には、親鸞聖人以前の古い仏教と
誤解されるような表現が入りこんでいました。
本願寺派の勧学・司教という 専門の学者さんたちは、ご門徒が
誤解し、将来、大きな間違いを犯すようなことがあってはならない、
もう一度、見直してほしいと、呼びかけておられます。
今回、新しい領解文が出来たことで、真剣に浄土真宗の特徴を
見直す機会ができました。親鸞聖人が一番大事であると、まとめて
いただいたことを、学び味わい直しています。
何事も尊いご縁、勝縁も逆縁も尊いご縁、私に南無阿弥陀仏を
勧めていただく、有り難いご縁だと 味わっています。
第1582回 忘れなければ 生きていけなかった
令和 5年5月25日~
純粋に泣けるドラマとの宣伝で 「おもかげ」というドラマを見ました。
65歳の定年を迎え、送別会の夜、贈られた花束を手に帰宅する
地下鉄の中で突然倒れ、集中治療室に運ばれた男、心配する妻や娘。
戦後の成長期に仕事一筋に生きてきたサラリーマン世代。
子どもが交通事故で入院した時も、ちょっと顔を見せるだけで、
海に行きたいという子どもの願いもそこそこに聞き、
急いで職場に戻る猛烈社員。
小さな長男は、まもなく命を終え、後悔するものの、
「ちゃんと見てないからだ」「待ってたのに、何で病院に
戻ってくれなかったの」と、妻となじりあうしか無かった
若い日の辛い悲しい過去を持つ。
今、ウクライナでも、多くの戦災孤児が
いることでしょうが、主人公の彼も 戦後の混乱期に、
孤児院で育った親を知らない子どもでした。
ところで、終戦から50年たった頃 父親の50回忌法要が続く中、
こんな話を聞きました。
「父親とは 一度もあったことないんですよ。私が生まれる前に
戦死したもんで、写真でしか知らんのです」と。
そして、御斎でお酒が入ると、
「悲しいもんで 自分が父親になって
よくわからんで、妻にまかせて逃げてばかりいました。
自分の子どもも、父親になって、きっと、どうしていいのか分からんで、
悩むでしょうね。
戦争は酷ですね 何世代も陰を落としていくもんですよ」と。
ドラマでは、昏睡状態の中、戦争孤児で仲間たちと盗みをしながら
生き延びた老人や、謎の老女や女性に忘れようとしていた過去を
思いおこされ、生きぬいてほしいと赤ちゃんを地下鉄の車内に捨てる
若い母親と、その赤ちゃんを、みんなで拾い上げる人々などを
見せられることで、
自分は捨てられたのではなく、一人で生きてきたのではなく
多くの人々に支えられ、
感じ取り、感謝しながら
忘れたい、忘れなければ生きていけない、悩み苦しみを持ちながら
生きている人が、私の周りにも一杯いることでしょう。
原作者の浅田次郎さんは「同じ教室に、同じアルバイトの中に、
同じ職場に、同じ地下鉄で通勤していた人の中に、彼はいたのだと思う」と。
阿弥陀さまは 私たちのことをみんな知って、よく頑張ったね、
辛かったねと見守り、はげまし続けてておられるのです。
どうか、この世を精一杯生き抜いて、やがてお浄土へ生まれて
来てほしい、一緒に、はたらいてくださいと、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呼びかけておられるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 阿弥陀さまの呼び声、一緒に
私の親たちも、よく頑張った、辛かったね。苦しかったね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、呼びかけて
第1581回 お経を聞くと アルファー波が
令和5年5月18日~
経験豊かなベテランの僧侶が座禅を組むと、脳波に変化が出る
という研究を
ユニークな動画が
その内容は
築地本願寺の本堂では、毎日のお勤めの際に僧侶のお経をききながら、
リラックスして座っている方が大勢いらっしゃいます。
中には朝ということもあり自然とウトウトしている方も…という光景も
珍しくありません。
実際に、「お経を聴いて眠くなったことはあるか?」と
一般の人500人に調査した結果でも、60%が「眠くなったことがある」と
回答しました。
そこで築地本願寺の僧侶ではない4名の職員に、お経を聴いてもらい、
その時の脳波を測定してみたところ、α波(アルファー波=
脳がリラックスしているときに出る脳波)の振幅の増大が見られました。
この結果について予防医学を研究されている亀井勉先生に
検証してもらい、
「お経を聴いている最中は、アルファ波の振幅の増大が見られました。
α波が増強している状態では 心身ともにリラックス状態になり、
ストレスケアや免疫力の向上、良質な睡眠の促進など様々な
健康促進効果が期待されます。
このような実験結果からも、昔から伝わる日本人の叡智である、
お経を生活に取り入れることは、現代人にとっても有効な
リラクセーション手法になると言えます。」
築地本願寺では、これらの検証結果をドキュメンタリー動画にし、
さらに、「お経」×「築地本願寺の風景」をミックスさせた動画を
制作いたしました。
ぜひ築地本願寺YouTubeチャンネルからご視聴ください!
とありました。
ここでは、お経を聞くだけでの調査ですが、浄土真宗では
自分でお経を読むことがおおく、自分で読み、それを自分で聞くと
もっと変化が、効果が多きかもしれません。
蓮如上人いらい 真宗門徒は 朝と晩とに 正信偈とご和讚を
くり読みし、御文章を拝読するのが決まりです。
時間をつくって 挑戦してはいかがですか、健康食品を飲むより
ことによると、効果があるのではないでしょうか。
第1580回 葬儀をなぜするの?
令和 5年 5月11日~
連続研修会の講師担当で準備していましたら、
前回の巡番報恩講の時に作ったパンフレトに
浄土真宗の特徴を 項目別にまとめたものを発見しました。
その中に 葬儀はなぜするの? という項目がありました。
そこには こんな文章を 掲載していました。
葬儀は なぜするの?
葬儀は、大切な方の死を厳粛に受け止め、あらためて
命の不思識を感じ、亡き方をご縁に、阿弥陀如来の
救いの真実を学ばせていただく最も尊いお念仏の行事です。
亡くなった方のための仏教行事と思っている方も
ありましょうが、むしろ、亡くなった方に、本当の人生とは
何かということを、私たちが学ばせていただく場なのです。
生あるものは必ず死ななければならないという諸行無常こそ、
絶対の事実であることを、亡き人が、身を以て私たちに
教えてくださる一生一度の無言の説法の場です。
亡くなられた方の真の願いを受けとめて、老病死を
解決できる真実の教えに遇い、念仏を称えることの出来る身に
していただくこと、そのことこそが、葬儀の本義なのです。
迷惑を掛けるので簡単に直葬、家族葬で済まそうなどと考えずに、
たった一度の尊いご縁を大切にお勤めしたいものです。
特に、親元を離れて、都会で生活している方は、
通夜・葬儀で父母の友人や近所の人たちと言葉を交わすことで、
亡き方が心豊かな人生を送られていたそのことを確認出来る
貴重な機会です。
また、自分の性格や特徴の多くが、実は親から受け継いだ
素養であったことも、発見でき、気づいていなかった
自分の真の姿を見つけ出すチャンスでもあります。
とありました。
一生一度の 親の葬儀 そして自分の葬儀 人生最後の
大切なご縁です、意義あるものにしたいものです。
第1579回 問題は内側に
令和5年 5月 4日~
民族宗教の場合には、人間は自分の外の自然との関係において
考えられています。
たとえば雨が降らずに飢饉が起これば、神々に雨乞いの祈りをする
など、外的環境にどう対処していくかという問題が
民族宗教のすべてです。
けれどもお釈迦さまの教えはそうではありません。
人間の苦しみの出てくる元は、外界にあるのではなく
自分の内部にあるということの発見から、仏教は始まったのです。
つまり世界は自分の外にだけあるのではなくて、
自分の内面にもあります。
それまでの人類が知らなかった、このような内的宇宙と
いうものに覚醒するということをはっきり教えられたのが、
お釈迦さまです。
お釈迦さまの覚りというのは、どこまでも自分の内へ入っていく
徹底的な内省の道の果です。
そしてついに苦しみの元が、自分の存在の奥底にある衝動的な
執着心にあるということを発見された。
真っ暗な自己愛が苦悩の原因だったことの発見とともに、
苦しみの元が断たれた。
苦しみの元を発見したら、苦しみの根本が断たれたことになります。
苦の元がわからないから迷っていたのです。
それがわかったということは、苦しみからの解放、解脱であり、
大きな平安です。
これは決して神秘的なことでも、異常な神懸かりでもありません。
それまでの人類の誰も知らなかった、人間精神の一番深みに対して
初めて覚醒した現実的な経験であります。
ブッダになったということは、心の目が覚めたという意味です。
それまでいろいろなことに迷っていたけれども、迷いの元が今わかった。
今思えば、私は我執にふり回され、真実が見えなかったのだ。
目が覚めてもう迷わなくなったという大きな平和を経験されたのです。
そうして、世界中の生きとし生けるものはみな光かがやく仏性を
持っているのだといわれた。
仏教という世界宗教は、お釈迦さまのこの覚りの経験から生まれたのです。
阿弥陀の本願にまかせる生きとし生ける衆生はことごとく救われて
仏に成るという、『仏説無量寿経』の根本思想は、お釈迦さまが
覚りの心境のなかで発見された真理であります。
弥陀の本願や往生浄土はお釈迦さまの自覚の内容です。
親鸞聖人はこの真理に直行され、お釈迦さまがこの世に
お出ましになったゆえんは、ただ弥陀の本願を説くためであった
とおっしゃっています。
これは逆に言えば、お釈迦さまの説法が真理であるのは、
阿弥陀さまの本願が真理であるからだということを意味します。
だから、浄土真宗というのは特別な人びとが信奉する宗派の
名称ではないのであって、宇宙の語りを聞いたお釈迦さまの
仏教の根本精神だということをいわれているのです。
召喚する真理 正像末和讚を読み 下 大峰顕著 本願寺出版社
第1578回 親のよび声
令和5年 4月27日~
小さな女の子が山の中で迷子になる事件がありました。
家族と遊びに来て、一人で道に迷ったのです。
警察や消防、近所やボランティアの人たちで探しますが、
夕方になってもなかなか見つかりません。
そしてとうとう夜になり、「今日はもうダメだ。
これ以上は暗くてあぶない。明日また探そう」と誰かが言いました。
結局その日はあきらめて次の日の朝ふたたび集まることが決まり、
捜索隊は一時解散しました。
ところが捜索が打ち切りになった後も、探すのを
やめなかった人がいます。
「どこにいるの〜、お母さんはここですよ〜」大声でさけびながら
必死になって探し続けたのは、その子のお母さんでした。
みんなが帰ってしまった後も、決して探すのをやめません。
真っ暗な中さみしくて泣いているに違いない、
お腹を空かせてひもじい思いをしているに違いないと
子どもの身を案じ、心の底から心配をしているのです。
お母さんは子どもが見つかるまで心が休まることはありません。
その子を胸に抱きしめて安心させるまで、けんめいに探し続けます。
絶対にあきらめない、決して見捨てることができないのが
本当の親なのです。
みなさんには自分のことを本当に心配してくれる人がいますか。
つらい思いをした時、悲しい気持ちになった時、声をかけて
くれる人はいますか。
私たちの仏さまは「アミダさま」と言います。
アミダさまは「南無阿弥陀仏」という言葉になって、
今も私のところに来てくださっています。
「声に姿はなけれども 声のまんまが仏なり 仏は声のお六字と
姿をかえてわれに来る」これは高松悟峰というお坊さんの言葉です。
「南無阿弥陀仏」は、変な呪文やまじないの言葉ではありません。
アミダさまのよび声です。
「ここにいるよ、ひとりじゃないよ。
わたしはあなたを見捨てたり見放したりしないからね。」
アミダさまはこれまでもこれからも、ずっと私を
よび続けてくださいます。
「ナモアミダブツ」と大きな声で返事をしましょう。
アミダさまのまことの言葉をいただいて、疑いが晴れて
安心することを信心といいます。
道に迷った山の中で、親のよび声が聞こえたとき、
その声を疑う人はいませんね。
「南無阿弥陀仏」と声に出してとなえることは、
アミダさまのたしかさ、たのもしさをよろこんでいくことなのです。
本願寺派 少年連盟 ホームページ 松月英淳師
第1577回 法事の参拝者は 招待客ではありません
令和 5年 4月20日~
仏事のイロハという本の中に「法事の参拝者は 招待客ではありません。」
という文章がありました。
法事は、主催者である施主とその家族が中心となって準備をし、
営まれるわけですが、同時に、案内を受けて参拝する人たちも
法事を営む一員であることを心得ていただきたいものです。
なぜこんなことを言うかといえば、「法事はもっぱら施主が勤め、
我々がそこに招待された者だ」という意識が、参拝者の中にあるように
思えるからです。
すなわち、施主が招待する側で、参拝者は招待された“
客 ”である
というふうに対照的に捉えがちなのです。
しかし、法事の趣旨からいうと、それは間違いです。
法事は 故人に縁ある人たちが参集して、僧侶を招き、ともに
仏法を聞き
ですから、施主も、参拝した人たちも同じ立場にあるわけで、
法事に集まったすべての人々が、法事を営む一員だということです。
もっとも、具体的に形に表れる準備や進行は、施主やその家族が
行うことになりますので、参拝者は側面から協力することになります。
たとえば、親の年忌法要であれば、子である施主の兄弟で費用を
分担してもよいでしょうし、参拝者全員に配る「お供養」の品を
負担しあったりしてもよいでしょう。 (略)
参拝者が、当日お備えするものとしては、一般的に金封の「御仏前」や、
お菓子、果物といった供物類があります。
「御仏前」が施主へのお礼でないことはいうまでもありません。
報謝の心から仏さまにお供えするものであり、供物類も同様です。
いずれにしても、参拝者も積極的に法事に参画してください。
【法事の意味】の項目では
法事は、仏事ともいいます。意味するところは、縁ある人々が集まって
ともに仏さまを敬い、その教えを聞き、僧侶を迎えて、仏道を
実践していく
浄土真宗でいえば、阿弥陀仏を敬い讃えて、その本願のはたらきである
お念仏のいわれを聞き、お念仏の人生を歩むことを確認し合う集い、
といえましょうか。 (略)
ところで、この法事、亡き人をご縁に務めることから、「亡き人のために」
行うものと思われがちです。
いわゆる「追善供養」です。すなわち、亡き人のために私たちが法事を行って
善を積み、その功績を亡き人に振り向けて、少しでも良い世界に生まれて
もらおうという考え方です。
しかし、浄土真宗の味わいでは、亡き人は阿弥陀仏の救いによって
すでに 浄土に生まれ、仏さまになっておられます。
ということは、こちらから善を振り向ける必要はないのです。
法事はあくまで、参拝者一人ひとりの「私のために」催される
仏教行事なのです。
仏さまとなられた亡き人を偲ぶ時、亡き人は私たちに
「いつでもどこでも、どんなことがあっても、けっして
見放されない阿弥陀さまを依りどころにして、たくましく人生を
歩んでくれ、そして、私のいる浄土に生まれて、再び会おうよ」と
願われていることでしょう。
その願いを聞くのが年忌法要の大切な点です。・・・
とあります。
第1576回 すれ違い 行き違い
令和 5年 4月13日~
門徒推進員養成の連続研修会を開いていますが、その研修の中心は
一つのテーマを元に話し合う、話し合い法座です。
ところが、受講者の発言を聞いていると、時々話がすれ違うことがあります。
どうしてだろうかと思い、考えると、浄土真宗へのご縁の違いにありそうです。
私たちは この世の中で生きています。
この世間で、この世の中で、豊かな生活を求めて悪戦苦闘しています。
そして、この世の中が全ての世界だと思って生活しています。
ところが、お釈迦様は
この世では解決できない問題がある。
老病死をはじめとして、どうしても人間の力では
解決出来ない問題がある。
それをなんとか解決したいと、世間を出て、出家して、
厳しい修行を積み、悟りを開かれました。
ですから、仏教は、この世の論理ではない、世間を超えた
世間の価値観とは まったく違う考え方の教えなのです。
その仏教も、お釈迦様のように努力することよって、煩悩をコントロールして、
人間の力で 安心を得るものだというイメージが強いものです。
ところが、今から800年程前、鎌倉時代に、法然聖人の教えを受けた親鸞聖人は、
人間の力を頼りにしていては、落ちこぼれが出る。これでは
すべての人が救われることはない。
人間の努力だけではなく、仏さまが先に、すべての人を
救おうとはたらいておられるという教えが、説かれていることに気づかれ、
他力の 仏さまのはたらきの、南無阿弥陀仏のお念仏によって
すべての人が、必ずお浄土へ往生して 仏になれる教えがあると、確信して
勧めていただきました。
ところが、これは、現代人には なかなか理解出来ない考え方です。
努力することが素晴らしく、頑張れ頑張れ、成せば成ると育ってきた
現代人には、なかなか理解出来ない教えです。
話し合い法座に参加された方が、どの位置で、発言されているのか。
世間の価値観で、この世がすべてとの考えの方、
仏教は 自分の力で努力しなければならないと、受験生のような考えの方、
そして、よくお聴聞されて、他力のお念仏、仏さまのはたらき、仏さまの
願いがあることに出会われた方、こうした三つの立場の違いがあり、
話がかみ合わないことがあるのではないかと、感じました。
仏教は 世間の論理を超えた価値観であり、その仏教にも
人間の力、努力がすべてであるという、聖道門の仏教もあり、
もう一つは、親鸞聖人が勧めていただく、我々よりも前に、私のために
仏さまが、はたらき呼びかけていただいている、南無阿弥陀仏の
お念仏の教えがあることを、もう一度 整理し見つめ直してみると、
話の行き違いが 少なくなるのではないかと、感じています。
第1575回 信心よろこぶ そのひとを
令和5年 4月6日~
本願力にあひぬれば
功徳の宝海(ほうかい)みちみちて
煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし(『註釈版聖典』五八〇頁)
阿弥陀如来は いつも私に呼びかけ はたらきかけておられると
気付かされた人は むなしい人生で終わることはありませんよ。
煩悩一杯のこの私に 南無阿弥陀仏の功徳が満ち満ちて
仏さまの仲間としての生きがいある
人生を送ることができるのです。
親鸞聖人が お読みいただいたご和讚ですが、
お念仏の教えに出会うことが出来ると どうして
むなしい人生ではなくなるのか、
南無阿弥陀仏の功徳は いつどのように この身に
入る込んでくるのだろうかなどと
科学的な思考をする私たちは ついつい疑問に思ってしまいます。
お釈迦さまは 「一切衆生悉有仏性」 すべての生きものには
仏になる種 仏になる性質 能力、 その種が宿っていると説かれています。
親鸞聖人も ご和讚に
信心よろこぶ そのひとを
大信心は 仏性なり
味わっておられます。
阿弥陀さまは すべてのものを もらさず救おうとの願いを樹て
自分で厳しい修行をして、今から十劫前に仏となって
はたらき続けておられる。
いつでもどこでも 絶えず はたらいておられる、それは、
私の外側からだけではなく
すべての生き物の中に、私の中でも はたらき つづけておられると
いうことなのでしょう。
それなのに 私たちは それに気づかず 自分中心で
一喜一憂しながら生きています。
赤ちゃんを見ていると 自分と他人との区別がなく、大事なものでも
素直に相手に手渡すことができています。
しかし、少し知恵がつくと、これは私のものだと、おもちゃの
奪い合いが始まります。
私たちは 学校教育を何年も受けてきて、競争心が芽生え
努力すると成果があがることを知り、損か得か 勝ちか負けか
という感情が膨らんで 損得勘定を基準に、生きています。
ところが、この私のことを 一人子のように心配し、
なんとか喜び多い 生きがいある
人生を送らせ
やがては
お浄土に生まれさせ 仏にしたいという阿弥陀さまの
願い はたらきを聞かせていただくことによって、
私の中にある仏性、
仏になる性質を持っていることに気づかされ、今までと生き方が
少しずつ変えられてくるのです。
煩悩一杯の私のままで、仏さまになれるような能力が 開発されていき
それによって、ものの見方や行動が変わり、 私の人生は、
大きく違ってくるのです。
お聴聞を勧めるのは、仏様の話を聞くことで、私のために はたらきかける
大きな力があることを、この真実を知らされ、気づかされて、
自分の進むべき方向 目標 生き方が 変えられていくのだと思います。
両親や祖父母、多くの祖先たちが、阿弥陀さまと一緒になって
このお念仏の教えに遇い、南無阿弥陀仏を口にする生活をしてほしいと
期待して はたらき続けていらっしゃるのでしょう。
やがては私も仏となって、子や孫だけでなく、多くの人々の幸せになる方法を
呼びかけ続けていくことができる。
死んだら終わりの人生ではなく、まだまだ 仏さまになって活躍できる未来がある、
明るい喜び多い人生を受け取ることになるのです。
私の中の煩悩に支配され、わがままな自己中心的に生きていくのか。
それとも
阿弥陀さまの仲間として、生きがいある喜び多い
明るい未来を味わえる人生に、気づかせていただくのか。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にして 耳に聞くたびに、
有り難い人生であることを 味わい感謝の毎日を送らせていただきたいものです。
第1574回 お浄土も人手不足か
令和 5年 3月30日~
現在は
あちこちで人手不足のようで、なかなか思うように
優秀な人が集まらないということです。
この世で お聴聞の人が少なくなってきて、お浄土でも、
人手不足ではないかと思われます。
阿弥陀様は 全ての人を救いたい 仏にしたいと、
はたらき続けておられますが、なかなか気づく人が少なく
ご苦労が多いようです。
阿弥陀さまは、もとは国王で
自分の持つ政治権力で
すべての人を幸せにしたい ひとりもらさず救いたいと
努力されていましたが、思うようにはいかない。
あるとき、仏様の話を聞いて この教えであれば すべての人を
仕合わせに出来ると、王様の地位を捨て、修行者となり
法蔵と名乗ったと お釈迦様おっしゃっています。
理想の国とはどんなものか。 お師匠様に頼んで210億の
仏様の国を見せてもらいましたが、どこにも完全な国はなく、
それから五劫という長い間考えに考えて、48項目の理想の国の設計図を
樹て、その願いを完成するために、また永劫という宇宙的長い時間修行して、
今から10劫前に阿弥陀仏と成られたと、仏説無量寿経にはあります。
阿弥陀様は、苦しむ人々に実践することを求めても
何もしない怠け者の私たち。
それでも、なんとかして救わねばならないと。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と自分の名前を呼び、
そして阿弥陀さまの国、お浄土へ生まれたいと思うものを
全員生まれさせて仏にしたい。
仏になったら、自分と同じ能力を持つ仏として 一緒に活躍させたい
と、はたらき続けておられると説かれています。
私たちは、仏様のことに気づきませんが、仏様がこの私に
何とかお浄土に生まれ仏となって、自分と一緒に はたらいて欲しいと
呼び掛け続けておられるのです。
一人残らず救いたい、それには まずは貴方がぜひ必要だ。
あなたを仏にして、一緒になって、人々を救おうではないか。
一緒に はたらいてくれよと、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼びかけておられます。
ですから、私が仏になるは、私が楽をして楽しむ為ではなく。
阿弥陀さまと一緒になって みんなを救う はたらきを
してほしいと、私たちの頼んでおられるのです。
仏になるのは 私のため 私の喜びのためでなく
まずは大切な子どもや孫、そして
みんなを救うためのはたらきを、
私にしてほしいと期待され、望まれているのです。
その呼び声を聞き取った人は、
阿弥陀さまと同じ力を持つ仏になることが決まっていることを
喜び 驚き 今 自分がやれることを、精一杯勤めさせて
いただきたいものです。
阿弥陀さまは 南無阿弥陀仏で 人々を救いたい、ですから、
今 この世界で出来ることは 南無阿弥陀仏のお念仏を
口にしての生活をさせていただくことです。
それが、必ず仏になるお念仏の人の 今できることです。
第1573回 合格通知が届きました
令和5年 3月23日~
3月に入ると、親子連れの方が、本堂や墓地へ参拝される姿を
よく見かけます。
ある日、きょうは特に多いなあという日がありますが、
どうも高校受験や大学受験などの受験生が、親子揃って
お参りしておいでのようです。
受験といえば、学問の神様 太宰府天満宮が有名ですが、
神様は、どの子にもみんな平等に応援してくれるのに対し
仏様となると、自分の祖父母や多くの先祖が、少しは親身になって
応援してくれるのではないかと、そういう思いもあるのか、
本堂やお墓にお参りされるのではないでしょうか。
桜の花が咲く頃に 合格が決まると、それまでの苦労がむくわれ
あとは 4月になって、学校に登校するだけ。
行先がはっきりすると もう安心です。
ある法座で、テレビの今日の運勢のことが話題に出ました。
何気なく見ていても、今日が
いい日。
私にとって良い日とわかると嬉しいもの。
逆に
悪いことが起こると聞くと、気になってしまうもの。
何の根拠もありませんが、それを聞いた瞬間 嬉しかったり、
悲しかったりするものです。
浄土真宗のお念仏の教えは、必ずお浄土へ生まれますよ。
一人残らず生まれさせる。ですから、貴方も間違いなく
お浄土へ合格していますよ。
これから、どんなに悲しいこと、苦しいこと 辛いことがあろうが、
必ず、あなたはお浄土へ生まれます、合格ですと呼びかけられているのです。
今日の運勢のように、今日だけではなくて、
一生涯大丈夫、命ある間だけではなく、いのち終わっても大丈夫。
そのように聞き取ることが出来ると 合格通知をもらった時の、
あの喜びと、安心感が得られるものです。
合格が決まったら、入学するその日まで、遊びほうけるのではなく、
入学してから みんなに遅れず、ついていけるように、
毎日、精一杯準備をしておきたいものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は あなたは合格しました。
必ず仏になる人ですから、その覚悟でこの人生を送ってくださいとの、
呼びかけです。
仏壇の前で お勤めをするのは、合格の後、学校や会社から届く、
入学までに、やるべきことが記された、連絡の文書を 声を出して
繰り返し読んで確認しているのに似ているのではないでしょうか。
これから、入学までどういう気持ちで生活すればよいのか。
さあこれから新しい夢と希望を膨らませて、今やれることを、
楽しみながら取り組む毎日を送りましょう。
お浄土へ生まれるまでに出来ること それは お念仏の毎日を送ることです。
これが、南無阿弥陀仏の呼び声ではなのでしょう
第1572回 お育ていただくと
令和 5年 3月16日~
毎日、毎日、月忌参りや年忌法要で 家庭訪問をしていますが、
お念仏の教えに まったくご縁のない方とお話ししていると
非常に疲れてくるものです。
お勤めの後、仏さまのお話をして、いかがですかと、世間話になると
「毎日の生活がきつい 苦しい くやしい 歯がゆい 腹が立つ
私一人苦労したのに 誰もわかってくれない。
子どもを一生懸命育てたのに 全然わかっていない。
ほんとうに 世の中間違っている。」などと
どうも、自分でやったことは 一つ残らず全部憶えているのに、
自分が、同じように誰かにやってもらったことは 気づいていない、
感じていない人がおられるものです。
つまらない むなしい人生を送っておいでの方々です。
これに対して、本堂の法座によくお参りで お話を聞いておられる方、
お念仏の教えにご縁のある方は、にこやかに、
「気づいたら もう親の歳を越していました。
お蔭さまで こうして、この歳まで元気で生かされています。
私は幸せ、有り難い人生だった」と。
お聴聞している人は、周りがよく見えて、
多くのはたらきに、気づき感じ 感謝することが出来る方が多いようです。
自分の方からの 一方的な見方だけではなく、仏さまの目を通して
物ごとを見ることができる、見る力が身について、ご恩を感じとり、
ささえられた素晴らしい人生であると気づいておられるようです。
そして、もっと仏さまのお話を聞いておられる方は、それに加えて、
やがて、お浄土へ生まれ 仏として活躍できる。
先だった親たちは 私のために、今もずっと はたらき続けてくれている。
死んでしまったらすべてが終わりではなく、やがてお浄土に生まれ
今度は私も仏さまとなって、はたらくことができる、
これからまだまだ活躍出来る 明るい生きがいある未来を
感じておられるようです。
元気で若い頃の 青春時代のように 夢と希望がわいてきて
明るい未来をイメージしておられる、高齢でご病気であっても
明るくにこやかに、すごされておられる方があるものです。
お聴聞してお育ていただき、多くの働きかけを味わう能力が
身についたお陰で、すばらしい人生だったと思える
有り難い人生を送っておられます。
お念仏に遇えば 平凡なつまらない人生ではなく 喜び多い
豊かな 有り難い人生であることに 気づくことができると
教えていただいているとおりです。
第1571回 願いを伝えていく
令和 5年 3月9日~
お経や七高僧の論釈が 漢文で書かれているため
一般の人には難しいので、親鸞聖人は それを七・五調の
今様形式である
その一つ、お葬式の時に節をつけて 拝読するのが
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海 みちみちて
という高僧和讃です。
その意味は、お念仏の教えに出会えれば 南無阿弥陀仏の功徳が
この身に満ち満ちて 煩悩一杯のこの私も むなしい人生では
決してない、喜び多い豊かな人生と味わえるようになるものですよ。
裏返すと お念仏に遇うことが出来なければ やがて迎える
老病死の
是非 お念仏の価値観に出会ってほしいと 先だち仏になられた方が
残された人々に 呼びかけていただいているのでしょう。
皆さんの中には、子どもころ 日曜学校に参加された方
おばあちゃんに手を引かれ本堂に座り、お聴聞されたことのある方など、
子どものころにお念仏とのご縁をいただいた方もあるかと思います。
ほとんどの方が お仏壇のある家で 育ってこられたのではないでしょうか。
しかし今、ふと気づくと 二世帯 三世帯で生活しておいでの家は
少なくなって、現代は、お仏壇ない家で 育っている子どもの方が
多いのではないでしょうか。
また、お通夜やお葬式も 多くは自宅で行ったいたのが、
現在は 駐車場や家に広い部屋がない造りなどから、
葬祭場で行われるのがほとんどになってきました。
自宅での時には、近所の人々がみんな集まって、食事の世話をはじめ
すべて雑用は、地域のみなさんや親戚が、受け持ってくれていました。
そこで、伝統、しきたり、仏教の教えなど、地域で伝承してきたように
思います。
それに加えて、コロナ流行のために、近所や親戚も、案内しないで
家族だけで ひっそりとお葬式をするケースも出来てきています。
うるさい親戚や地域の長老たちの出番がなくなり、密かに簡単に
送ることが許されるようになって、これまでの伝わったきたことが
ほとんど消え去っているように思えます。
そのため、みんなで伝えていた仏さまの教え、親たち共通の願い、
人間として最も大事な、人と人とのつながりなども
次の世代には 伝わっていないように思います。
お葬式で 本願力にあひぬれば むなしくするつひとぞなき・・・
いろいろな価値観があるものの、お釈迦様が説かれ、多くの人が
受け継いできた お念仏の教え 南無阿弥陀仏の教えに出会ってさえいれば
これから訪れる 老病死の苦しみも 乗り越えていける。
そして、仏となった親たちは 一番大事な子どもや孫のために
引き続き見守り応援し、お念仏の教えに遇うことで、
この人生が 意味ある 豊かで 尊いものとなることを
伝えたいのだと味わいます。
どうか、親の願いを受け取り、お念仏の教えを受け取り 次へと
相続してほしいとの呼びかけを聞き取り、お育ていただき、
次へ受け伝えていただきたいものです。
第1570回 還相の菩薩さま方
令和5年3月2日~
私どもの教えは、浄土真宗の教えといいます。
自分の力ではなく 仏さまの力 はたらきでお浄土へ
生まれさせていただく教えです。
地獄や極楽に行くという言葉もありますが、
お念仏の人は 極楽ではなく
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくのです。
お釈迦さまは 数多くの教えを説いていただいていますが
もっとも説きたかった教えが、この
浄土真宗、お念仏の教えであり、
この教えを説くために この世にお生まれになったのだと、
親鸞聖人は味わっておられます。
日常お勤めしている 『正信偈』には
如来所以興出世 唯説弥陀本願海
このお念仏の教えを説くために、お釈迦さまは
この世にお生まれになったのだと。
全ての人を、一人残さず 救い取りたいという 願いがはたらいており
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と阿弥陀さまの名前を口にし
阿弥陀さまの呼びかけを 聞くことが出来た人は、
お浄土へ生まれて行くことができる。
そして阿弥陀様と同じさとりりを開き、仏となって活躍出来るのだと。
仏説無量寿経に説かれている、お念仏の教えについて
親鸞聖人は 教行信証の教の巻きに
「如来より二種の相が回向されるのである。
一つには、 わたしたちが
浄土に往生し成仏するという往相が回向されるのであり、
二つには、 さらに迷いの世界に還って衆生を救うという
還相が回向されるのである。 ・・・・」と
親鸞聖人は お師匠様の法然聖人が、往生されたことを
本師源空は、「浄土にかへりたまひにき」、あるいは、
「浄土に還帰せしめけり」と 和讃に読まれています。
同じように お釈迦さまが 阿弥陀如来のお浄土のことを
事細かに具体的に説かれているのは、お浄土から来られた
菩薩さまだから、還相の菩薩さまだからだとの味わいです。
そして、この私が お念仏に遇うご縁をつくっていただいた祖父母、
両親、兄弟、友人などなど、お浄土へ生まれていからた多くの方々も、
同じようにお浄土から来られ、私に教えを伝え お浄土へ帰られた、
還相回向の菩薩さまであったかもしれません。
その証拠には、この私がお念仏に遇わせていただいたのは、
あのお方のお陰だからです。
そして今度は この私がお浄土へ生まれ、一番大切な子どもや孫のために
還相の菩薩として はたらかせていただく番です。
ですから、お浄土から帰って来た人がいないのではなく、
沢山にいらっしゃるのに 気づいていないだけなのでしょう。
私の周りは みんなお浄土から来られた菩薩さまだと
味わっておられる方もあるのです。
第1569回 等しく ~すべてのものを~
令和5年 2月23日~
お経には「一切衆生 悉有仏性」というお示しがあります。
これはすべてのいのちあるものは、みな仏になる可能性を
持って、生まれてきているという教えであります。
また、阿弥陀如来様は、「十方衆生」を必ずすくうと誓い、
はたらいて下さっております。
十方というのは、東・西・南・北・北東・北西・南東・南西の
八つに、上下を加えたすべての世界です。
この十方のいのちあるものを、必ず仏にすることができなかったならば、
阿弥陀如来とは名告らないと、誓い、はたらいて下さっているのです。
ですから、私たちは気付いていなくとも、どんな生き方をしていても、
すべて仏となるべき“いのち”を生きているのであり、願われて
生きているのです。
換言するなら、私たちは、阿弥陀如来様にすくわれるべき“いのち”を、
生きているということができるのです。
人間に生まれさせていただいた尊さに目覚めるというのは、
このように仏となるべきいのちを生きているということへの、
目ざめ、気付きなのであります。
大切なことは、この私の“いのち”が願われているだけではなく、
すべての“いのち”が、阿弥陀如来様にすくわれるべく、
今生きているのです。
ややもすれば、日常の生活の中で、ともすれば“いのち”の尊さ、
如来様のはたらいて下さってある“いのち”であったということを
忘れてしまい、どんなにか“いのち”を粗末に扱っていないでしょうか。
私が尊い“いのち”、如来様のはたらいて下さってある“いのち”を
生かされていることに気付く時、初めて、すべての“いのち”が等しく、
尊いと気付かされるのであります。
同じ阿弥陀如来様が、はたらいて下さってある尊い“いのち”でありました。
同じ阿弥陀如来様のお浄土で遇わさせていただく“いのち”でありました
と目覚める、すべての“いのち”への共感もめばえ、
「たがいに敬い、たすけ合う」という人間関係が成立し、
南無阿弥陀仏にいかされる私の人生が展開していきます。
南無阿弥陀仏のみ光りは、ときもところもこえ、人種や、
肌の色の違いや、家柄・・・・・・、そんなもの、何の関係もなく、
等しく“いのち”を育てて下さってあるのです。
『聞法 1996(平成8)年 著者 小林 顯英師より
お姉さんの結婚式の朝 お内仏の前で撮った笑顔いっぱいの
家族写真を見せてもらいました。
その大切な写真が、お内仏の前で撮られているということに
日頃から仏前に座り手を合わせてきた
選んだのでしょう。
七宝講堂道場樹 方便化身の浄土なり
十方来生きはもなし 講堂道場礼すべし
これは親鸞聖人が作られた「浄土和讃」の一首です。
「講堂」とは 聞法の道場であり、お寺の本堂や家庭の
お内仏を意味します。
親鸞聖人はこの「講堂」の字の横に、小さく「ナラウイエ」と
書かれています。
いったい何を習うのでしょうか。それは自分自身を習うのでしょう。
喜び、悲しみ、腹を立てる自分自身の姿です。
その姿は時に目を覆いたくなるような愚かしいものかもしれません。
しかし、その見たくないものをしっかりと見て、習う。
それが本堂やお内仏という場なのです。
詩人の相田みつを氏は、「じぶん/この/やっかいなもの」
(『いのちいっぱい』ダイヤモンド社)と、他者ではなく、
自分こそが一番煩わしい者であると教えてくださいます。
私の目はありのままの世界を見ているにもかかわらず、
「自分」は勝手な解釈でもって、ものごとを常に
生きています。
周囲の人を、親を、連れ合いを、子を、そして自分自身さえ
ありのままにいただくことなく、事実をねじ曲げ、
そのうえ不平不満を言って生きているのです。
そのような私が、本当の私自身を見ることができる場として
聞法の道場があるのでしょう。
その確かな依り処を大切にして欲しいという仏さまの願いを、
お内仏の前に座る家族の姿をとおして、あらためて
教えていただいたことでした。
稲城先生の法語「世の中に最も度し難いものは他人ではない この私」
この法語は、不確かな目で見たものを絶対化するどうしようもない私を
言い当てられた言葉です。
いかに我が身中心の思いで生活しているのか。
それさえも厳しく教えられないとわからない。
そういう我が身の愚かさを教えていただくのが道場です。
その自分が最も救われなければならないものであると目覚めたとき、
頭は自然と下がるのです。
松江 長親師を参照
今年も お精進がはじまりました。
ご本山 西本願寺では、1月9日から、親鸞聖人の御命日の法要、
ご正忌報恩講が始まりました。
お寺だけではなく ご門徒のお宅でも、この期間中、お精進をして
肉や魚を食べるのを遠慮していたようです。
お正月が終わり、ご正忌報恩講が近づくと、生ものを煮炊きした鍋や釜を、
丁寧に洗い、ご正忌報恩講の準備をしていたということです。
京都では 昔、この間 魚市場もお休みだったと聞いた事があります。
親鸞聖人は お釈迦さまが説いていただいた、数多くの教えの中で
無量寿経にある阿弥陀さまのお念仏の教えこそが、真実の教えであると
味わっておられます。
全てのひとを一人も漏らさずに救うには どうすればよいのか
五劫という長い長い間 考えに考えて 48願をたて、
お念仏ひとつで お浄土へ救い取り もれなく仏にしようという
願いを完成するために 大変 大変 ご苦労いただきました。
親鸞聖人は 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人がためなりけり。」と 味わっておられます。
教育テレビでは 子どもさん向け番組で 「えほん寄席 寿限無」
というのが 放送されているようで、字も読めない 小さな子どもさんが
寿限無 寿限無 五劫のすりきれ・・・・と 暗記しているようです。
この寿限無は 無量寿経の 無量寿でしょうし 五劫のすりきれは
法蔵菩薩の 五劫思惟のご苦労のことを 知った人が
このお話を作り、お念仏を喜ぶ人々がそれを受け入れてきたのでしょう。
親は 子どもの幸せを願い 立派な名前を考えて寿限無 寿限無という
長い長い名前を つけてやったのでしょうが、
すべての親は 子どものために 子どもの幸せのために 頑張り苦労しています。
その親がもっとも喜んでくれるのは、子どもが喜び多く 生きがいをもって
自分のためだけではなく、多くの人のために 頑張って生きてくれることでしょう。
それには、お念仏の教えに出会うことで、その方向性 進むべき道
やるべきことが見えてくるものです。
どうか、両親や祖父母を喜ばせるには お念仏の教えに出会っていただくことが
最も早く 最も確実な親孝行ができることでしょう。
ご正忌報恩講は、そのご縁を結んでいただく チャンスです。
ご本山の ご正忌報恩講は インターネットでもライブ配信されています。
どうか、一日でも早く お念仏のご縁をいただいていただきたいものです。
第1562回 深い深い思い
令和 5年 1月 5日~
『大無量寿経』には、阿弥陀仏が仏に成られる前、
法蔵菩薩であられたとき、世自在王仏のもとで教えを
受けておられましたが、教えを受けるなかで、菩薩は、
“浄土を建設して、悩み苦しむ人びとをすべて救いたい”と
願うようになられたのでした。
そのために、他の仏の浄土の成り立ちを教えていただきたいと、
世自在王仏に懇願されたのです。
世自在王仏は法蔵菩薩の願を聞き入れて、多くの仏の浄土を
お示しになりました。
菩薩は、諸仏の浄土とそれらの浄土に生きる人びとのありさまについて、
みなことごとく見究きわめられたのでした。
そしてその上で、法蔵菩薩は、他の仏の浄土とは違った浄土を
実現したいという、殊のほか勝すぐれた願いを発こされたのです。
殊のほか勝れた願いというのは、真実に無知でありながら
それに気づかず、教えに背を向けているために悩み苦しむ凡夫、
いわば、どうにもならない凡夫をこそ、迎え入れる浄土を
実現したいという願いであったのです。
法蔵菩薩は仏になろうと志しておられましたが、もし、
その願いを成就させることができないのであれば、むしろ
自分は仏には成らないとまで誓われたのです。
凡夫は、ものの道理がわかっていないのです。しかも、
ものの道理がわかっていない、そのことも、実はわかっていないのです。
それなのに、自分自身にこだわって、自分はわかっていると思い、
わかっていると思っていることだけが道理だと思い込んでいます。
このような凡夫が浄土に生まれるなどということは、通常は
あり得ないことです。
浄土というのは、自分にこだわって思い上がるなどという、
そのような汚がれがまったくない世界だからです。
法蔵菩薩は、そのように浄土に往生できるはずのない凡夫を、
どのようにすれば自分が建設しようとしている浄土に
導き入れることができるのか、それを深く深く思案されたのだと、
『大無量寿経』に説かれています。
そのことを親鸞聖人は「五劫思惟し」(五劫、これを思惟して)と
述べておられるのです。
「劫」というのは、気が遠くなるような、途方もなく永い時間
をかけて法蔵菩薩は思案されたわけです。
私たちも、時には、真剣に思案することがあります。
けれども、どんなに真剣に、誠実に思案したとしても、
必ず、自分とか、自分の都合とかいうものが絡んでしまいます。
そのような思案とはまるで違った、純粋な思案、どうにもならない
凡夫を救うための思案を深く深く重ねられたのです。
その思いの深さを「五劫」という時間の永さで言い表わしてあるのです。
つまり質の深さを量の多さによって表わしてあると考えることができるのです。
それほどの深い思い、大きな願いが、私ども凡夫に差し向けられて
いるわけです。
ここであらためて、親鸞聖人のお言葉が思い起こされます。
『歎異抄』によりますと、聖人は、「弥陀の五劫思惟の願を
よくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と述べておられます
これほど深い願いがご自分に差し向けられていることに
感動しておられるのです。
「たすかるはずのない凡夫を何とかして たすけたいというこの願いは、
実は、自分に向けられているとしか思えない」と言っておられるのです。
ここには、ご自分を救い難い凡夫であると、真っ正直に厳しく
見据えておられる聖人の眼差しがうかがわれるのではないでしょうか。
そして、その深い自覚から法蔵菩薩の願いに触れたときの喜びを
表明しておられるのではないでしょうか。
法蔵菩薩は、深い思案のすえ、たすかるはずのない凡夫をたすける手立ては
これしかないと、思い当たられたのです。
そして、四十八項目からなる誓願を選び取られたのです。
そのことを「摂受(しょうじゅ)」(摂さめ受ける)と説かれているのです。
九州大谷短期大学長 古田和弘師
第1561回 遇い難くして 今遇う
令和4年 12月29日~
「お釈迦さまが この世にお生まれになったのは、阿弥陀如来の
本願を説くためであった」と、親鸞聖人は 正信偈に
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と著していただいています。
今から 800年前 鎌倉時代のことです。
八万四千の法門といわれるようにお釈迦さまは 人々の問いに答えて
数多くの教えを お説きいただいています。
しかし、その教えの多くは強靱な精神と強固な体力を持つ
優れた一部の人しか実践することが出来ない難しい教えでした。
ところが、全ての人がもれなく救われる お念仏の教えがあることを
法然聖人から聞かれた親鸞聖人は、 お釈迦さまの目的は
本当に説きたかったのは、この念仏の教えであったと これこそが
仏教であると 受け取られたのです。
そして、この教えでなければ 自分は救われないと
『教行信証』をまとめていただきました。
それから 800年 令和五年が 本願力の念仏の教えである浄土真宗の
立教開宗の年であり、親鸞聖人ご誕生850年にもあたります。
生涯をかけてまとめていただいた『教行信証』のはじめに
この教えに 「遇ひがたくして いま遇ふことを得たり」と
なかなか会うことのできないこのみ教えに 遇えた喜びを
お念仏の教えに遇えた喜びを述べておられます。
お念仏の教えに遇えたお陰で 喜び多い人生を受け取ることが出来た。
もし、遇えなければ 無意味で 虚しい人生で終わったであろうと
「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき・・・」と
ご和讚に読んでいただいています。
親は 子どもや孫の幸せを願っています。
自分のことよりも子供たちのことを心配し続けています。
生きている親だけではなく この世の命を終えお浄土に生まれた
先輩たちも 子どもや孫が 充実した生きがいある生き方をして欲しいと
願い呼びかけ続けておられることでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏に遇い、信じ 生きてほしい、どうか
お浄土へ生まれて来て欲しいと はたらきかけでおられることでしょう。
お釈迦様は 本願力のお念仏の教えを説くためにこの世にお生まれになったと
親鸞さまは 味わっておられますが、その教えがあることを
お念仏一つで 救われお浄土へ生まれ 仏になれることを私たちに
教えていただいたのは 親鸞さまであり、多くのご縁のあった方々であった。
親鸞さまのお陰、また直接のご縁を結んでいただいた方々に、
有り難うございます。お蔭さまで、南無阿弥陀仏と お礼を申したいものです。
第1560回 何事も お念仏の助縁
令和 4年 12月22日~
仏教でいう信心、親鸞聖人の信心とは、
「イワシの頭も
信心から」というような、自分勝手な
思い込みや、かたくなになって信じ込むような態度とは、
まったく違う心のありかたです。
仏教にご縁を得る、仏さまに出遇うということは、今まで
見過ごしていたもの、気づいていなかったことに
気づかされて、ああそうだったなあ、常に仏さまはいらっしゃるのに、
この私は気づいていない生き方をしていたなあ、
という実感を恵まれたところに成り立っていると言えるでしょう。
同じものが、その時その時、自分が体験することを通して、
今まで気づかなかった深い尊いものとして見えてくる、
知れてくるのならば、私にとって、仏さまに出遇うきっかけと
なったものは何でしょうか。
身近な所でいえば、仏壇、本堂、名号(南無阿弥陀仏)、
仏像、法座(お聴聞)、最近ならオンライン法話などです。
ところが、ものの見方を変えてくれるのは
そればかりではありません。
今まで、無駄で、邪魔で、無価値で、無ければよいと
思っていた出来事も、実は、私を気づかせるきっかけになっています。
多くの人にとって、家族との別れ、仕事の失敗・挫折、自分の老い・
病などなど、自分の思い通りにならない事実とのであいが、
目覚めることのきっかけになることがあります。
さらに考えると、私が念仏を生活習慣として
称える身に育てられていなかったならば、このような深い
実感は生まれてこなかったでしょう。
その時に、苦しみ悩みも 私を育てるものと気づかされます。
「この世のできごとは 何事も何事も お念仏の助縁とおもうべし」
(信
という法語を改めて思いおこします。
この世の出来事 都合の良いことも 不都合な出来事も、
お念仏を称える尊いご縁、助縁となるのです。
お念仏を軸として、お念仏称えることにより、気づかされる
心の世界や生き方が恵まれます。
そこに先立っていった人びと、思い通りにならない出来事と
改めて出遇いなおしが生まれてくるのではないでしょうか。
参照 万行寺 本多 靜芳師
第1559回 お仏壇の前で
令和4年 12月15日~
毎月 毎月 月命日に 月忌参りをしています。
つくづくと。 時代の変化を感じるようになりました。
お仏壇に供えるお花は どの家でも自分で育てたものか、
野菜や魚など売り歩く行商のおばさんが運んできた
素朴な花が多かったものです。
住宅地では 大きな音楽をならしながら、小型トラックで商品を
売る、移動販売の花もありました。
しかし、現代は、近くの店で簡単に買えるようになったのか、素朴な花から
色鮮やかな洋花が ほとんどになってきました。
また、お勤めを始めようとして、キンのバチが
見当たらないことがよくありました。
小さな子供が お仏壇の前で遊んで、どっかへ行ってしまい みんなで
探すこともありました。
一昔前までは、子供や孫が、一緒に生活したり、よく訪ねてきて
お仏壇にお参りしていたためでしょう。
しかし今 ほとんどの家では、年寄りは年寄りだけ、若い人は若い人と分かれ
同居といっても、別棟に生活する時代になったようです。
このため、お仏壇のある家で育つ子供はだんだんと
少なくなったのではないでしょうか。
リンの棒で、リンのバチで思い出すことがあります。
リンの当たるところが、削れてささくれ立って、くびれていたお宅が
ありました。
朝晩毎日お参りして、リンを強く打ち くびれてしまった有り難い棒です。
ご主人を戦争でなくし、お子さん三人を立派にそだてあげ、
同居のお舅、お姑さんを看取られた方でした。
そっとリンを打つのではなく、感情にまかせて力一杯たたかれた
その結果だと思います。
怒り、腹立ち、苦しみを日常生活の中では素直に表すことが出来ず、
せめてお仏壇の前で 抑えきれない思いを 力一杯 強く
たたかれていたために、年がたつにつれてえぐられ、くびれていった
ものだったと思います。
そのおばあちゃんが亡くなられると、その思いのこもったリン棒も
手垢のついた膨れ上がったお経本も、消えてしまいました。
若い人から見ると、古くなって使い物にならないものだったのでしょう。
いつのまにか美しい新しいものに変わってしまいました。
ぐっとこらえ 耐えて生きる時代ではなくなってきたのではないでしょうか。
お仏壇の前だけが、感情むき出しにしても大丈夫な、安心できる、
こころやすらぐ場所だったという時代は、もう
遠くなったように思います。
第1558回 伝え 伝えて
令和4年 12月 8日~
令和5年の春から
親鸞聖人御誕生850年と、浄土真宗 立教開宗800年の
慶讃法要が、ご本山・京都 西本願寺で30日間勤まります。
それを前にして、お待ち受けの法要を、私どものお寺では 11月の上旬に。
組では 12月の上旬。
教区では11月の末に 近くの文化会館大ホールで勤まりました。
コロナの影響で、
人数制限しての開催でしたが、それでも、
たくさんの方が参集され、新しく制定された法要作法の
新しい節で、正信偈を みんなでお勤めしました。
親鸞聖人の説き示してくださった浄土真宗の教えに出遇うことがなければ、
今の私はあり得なかったという聖人への感謝と、
その教えに出遇えたことの喜びを込めて、聖人のご誕生を祝い、
『立教開宗』に感謝する」法要です。
ご法話は、熊本地震で本堂が倒壊したという、特別講師の方が
コロナには ワクチンを打ち、免疫を高めているが、
南無阿弥陀仏をちゃんといただいて、すべての人間が、受け取らねばならない
苦悩である、老病死への免疫を 高めたいとのお話がありました。
最後の アトラクションでは、近くのお寺の若院さんの
バイオリンの演奏でした。
僧侶も いろいろの特性を持つ専門家いますが
音楽大学でバイオリンを専攻 プロの演奏者の方です。
この方が、小学生の時のピアノの先生と一緒に演奏されました。
残念ながら仏教讃歌はありませんでしたが、ポピュラーな音楽とともに
最後には 演歌にも挑戦いただき感動的な演奏会でした。
よくお寺の報恩講などでも 演奏しておいでとのことですが、
多くの方から そのバイオリンの値段は、とか 古いものでしょうねと
質問されるとのこと、バイオリンの値段は、企業秘密ですが、
このバイオリンは、273年も昔に製作されたものだそうです。
これまで多くの方々が、 大切に使い
それを、受け継いで 今自分がこうして演奏させもらっている。
何代にも渡って、大切に大切に使ってくださったお陰で、
いまここに私は 使わせていただいて演奏している、大変なものです。
273年というのは 大変古いものですが、後ろにあるパネルには
立教開宗800年とある、このバイオリンよりも もっともっと前から、
800年前にから、それぞれの時代、その時代の方々が、
ちゃんと受け取り、次に伝えていただいた。
そして、今の私たちに伝わっている。
私たちも、お念仏をちゃんと受け継ぎ 次の世代に確実に
伝えていかねばならないと、感じています。
と話を結ばれました。
伝統というものは、それぞれの時代 時代の方々が
精いっぱい、それを受け取り、次の世代へ伝えていただいたもの。
バイオリンも お念仏の教えも先輩たちのお陰で、今日の私たちに
伝わってきている、私たちには 大きな責任があるのだと、
つくづくと味わわせていただきました。
お念仏を 相続するといいます。ちゃんと受け取り、確実に
次の世代に 受け継き、豊かな人生を受け取ってもらいたいものです。
第1557回 お念仏は 公の言葉
令和4年 12月 1日~
お念仏の教えは、簡単な教えですけれど、簡単であるから
誤解しやすいのです。
法然聖人の教えは、じつに簡単ですよ。これはどんな人でも
分かる、分かりやすい教えです。
法然聖人からどういう教えを聞いたかを、親鸞聖人は
ひと言で仰っておられます。(『歎異抄』)
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと
よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」
と、仰ったのです。これだけです。
「お願いだから、どうぞお念仏を申して、お浄土に生まれてきてくれよ
というのが阿弥陀様の願いだ」。
この願いのお念仏とは仏様の願いのお念仏です。
人間の願いの念仏とは違います。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えて、仏様に何かを
お願いしようなんていうのは、大変愚かなことなのですよと。
「南無阿弥陀仏」とお願いするのは、私ではなく仏様なのですよ。
仏様は誰を願っているかというと、この私を願っているのです。
仏様は私を願ってくれているのに、私が仏様を願ってどうするのですか、
仏様の言葉を 私ごとに使ってはいけません。
だいたい、仏様の言葉を私ごとに使うというのはおかしいですよ。
何でもそうでしょう。公の言葉は公に使わなければいけない。
お念仏は公の言葉です。「生きとし生けるすべての人に、
どうぞこの『南無阿弥陀仏』と申して、そしてお浄土へ生まれてきてくれよ」と
お願いくださるから、「有難うございます、仰る通りお念仏を申して
お浄土へ生まれさせていただきます」と言って、「南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏」と、皆さんは仰っているのではないですか。違いますか。
もし違っておられたら今日限りあらためてください。
そうでなかったら浄土真宗の門徒ではないですよ。
そういうことで、お念仏のお謂われというのは これだけのことです。
善人であろうと悪人であろうと、賢くあろうと愚かであろうと、
男だろうと女だろうと、如来様は分け隔てはなさらない。
戒律を保って清らかな生活をしていようと、ふしだらな生き方をして
それしか生きられなかった人であっても、如来さまの願いを聞き入れて
「有難うございます。それではとお願いを申して、あなたの所へ
帰らせていただきます」と言ったら、如来さまは一番喜んでくださるのです。
それだから法然聖人はお念仏申しなさいと言われるのです。
法然聖人のもとに集う在家の信者の方々は、「私みたいなものに、
そこまで言われているのですか」と、出家、在家の区別なく、
聖人の温かいお念仏のお諭しにしばしば感激されていました。
そして法然聖人は、聖人のところからお念仏して帰る人の姿を
ご覧になって「ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを
御覧じては、『往生必定すべし』とて、笑ませたまひしを、みまゐらせ候ひき」
(『親鸞聖人御消息』『註釈版聖典』七七一頁)と仰っておられます。
にっこりと微笑んで必ず浄土に生まれていく人だなと言われたのです。
田舎の爺さんがお念仏申しながら帰っていったら、法然聖人が喜んで
くださったということが書かれているのです。
梯實圓師 「浄土から届く 真実の教え」 自照社出版
第1556回 人間にわかる言葉で
令和4年 11月24日~
教行信証の「教」というのは 何かというと、「大無量寿経」のことです。
この経はお釈迦様の言葉ですが 阿弥陀様の言葉でもあるのです。
阿弥陀様がお釈迦様となってこの世に現れてくださり、
私たちにわかる人間のことばに直して、 阿弥陀様のこころを
私達に説いて知らせてくださったのです。
それが大無量寿経というお経なのです。
ですからこのお経はどこから出てきたかというと、お浄土から
出てきたお経なのです。 大無量寿経に このことが書かれています。
浄土の蓮華の華が、一つ一つの華が、それが一体一体の仏様となって、
そして十方の世界にかぎりなく開けていくというのです。
その仏様が、浄土の覚りの光が仏様となって、十方の世界に
あらわれてくるのがお釈迦様であり、十方の諸仏だというのです。
その仏様たちが、光の言葉を持って光の世界を人びとに説き、
人びとの暗闇のこころを明るく開いてくださる、それがお経なのです。
だからお経となって仏様は届く、仏様というのはお経となって
届いていらっしゃるのです。
私たちがお経を読誦する時は、お経本を頭の前にまず頂いて
拝読しています。
ただ本を読んでいるわけではないのです。
私の前に、私のわかる言葉で、仏様のおこころを知らせてくださっている、
仏様のお言葉であるということです。
そのお釈迦様の説かれた『大無量寿経』というお経が、
仏様の真実の言葉となって それが届けられているのです。
その『大無量寿経』の内容を言いますと、「南無阿弥陀仏」という
名号を疑いなく受け容れてくださいと説いています。
疑いなく受け容れることを信心と言っています。
名号というのは仏様の名前で、「南無阿弥陀仏」という阿弥陀様の名前です。
「南無阿弥陀仏」は姿も形もありませんが、言葉だけがあるのです。
姿も形もないということはどういうことかというと、
私たちにはそれを見る眼がないのです。
これは眼を入れ替えなければならないのです。
仏様の言葉、如来様の世界を私たちが受け容れられる言葉となって、
言葉として私に届いてくださるのです。
言葉を超えた世界が、言葉となって響いてくるということです。
その言葉をとおして、私たちは言葉を超えた世界に気づかせて
いただくということが大切なのです。
そのために仏様は、名号となってあらわれてくださるのです。
名号というのは名前です。
「南無阿弥陀仏」という名前となって現れて、私に
呼びかけてくださってい
梯實圓師 「浄土から届く 真実の教え」 自照社出版
第1555回 言葉で 救う
令和4年 11月17日~
人間は 言葉によって 喜び 悲しみ 苦しみながら 生きています。
合格の通知 孫が誕生したという連絡や、大切な人が
事故にあった 病気になったなど、言葉で知らされ
慌てたり悲しんだり喜んだりしています。
人間は
言葉によって 絶望し、また未来に希望を持ち
言葉によって
人生は大きく 左右されています。
お釈迦様は 人々が生きがいを持ってこの世を生き、
悔いのない一生を終え やがて 今度は人々を救うはたらきが
出来る仏に成ることが出来ると、言葉で教えていただいています。
しかし、その多くは、努力できるもの、 いいことが出来る人、
選ばれた特別の人だけは救われ、
平凡で怠け者の人々には
関係無い ほど遠い仏さまでした。
ところが、一人の国王だった 法蔵菩薩は
善人も悪人も 努力できる人も 、できない人も、
全ての人を
救う方法はないかと、大きな願いをたて、すべての人に
代って 自分で永い厳しい厳しい修行をして、阿弥陀仏となり
「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」の
言葉で あらゆるものを
救うことができる強力な能力の仏さまになられたと。
その阿弥陀さまの国、お浄土に すべての人を生まれさせ
自分と同じ能力を持つ仏にして 一緒になって
一人残らず救い尽くそうとされているのだと。
そのお浄土の様子も言葉で表現し、教えていただいています。
苦しみ、悩みのない
理想の国 お浄土に
この私を、そして全ての人を
生まれさせ、
ともに
仏として 活躍しようと呼びかけ続けておられるのだと。
そのことを説くために お釈迦さまは この世にお生まれになり
言葉で説き また阿弥陀様の国へと帰っていかれたのだと。
先だった祖父母、親たちも 南無阿弥陀仏でお浄土に生まれ、
今 南無阿弥陀仏の仏様としてはたらき、この私を
お浄土へと
導いてくださっています。
浄土真宗は 言葉の宗教 南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏を
疑いなく信じさせ、一人残さず救い取るという阿弥陀さまが
すでに、はたらいておられると、言葉で教えていただいている
教えです。
第1554回 誓いと願い ~如来の功徳で 仏道を~
令和4年 11月10日~
如来のご本願を仏願・弘誓などと表現することがありますが、
特に「誓願」という言葉にはお念仏の教えの特色が
よく表れていると思います。
ご本願(第十八願)には、人びとが信心をいただいて
浄土に往生することを願われ、また、それができなければ
さとりに至らないと誓われています。
願われているのは衆生の往生、すなわち衆生の仏道であり、
誓われているのは如来自身の正覚、すなわち如来の仏道で
あるといえるでしょう。
そして、衆生の往生には信心をいただいて(至心信楽して
わが国に生ぜんと欲ひて)ただ念仏せよ(乃至十念せん)と
願われているだけであり、ほかに何も条件がつけられていません。
ここに示されているのが如来回向であリ、衆生から見れば
他力ということなのです。
仏の国へ往生するなどの果を得るには、功徳が必要です。
功徳とは良い方向へ進ませる力のことですが、
ご本願に功徳が往生の条件として示されていないのは、
その功徳を如来が準備して衆生に回施してくださるからです。
それが如来回向ということです。
衆生のありようのすべてを見そなわし、無条件で浄土に
往生せしめるという願を建立するには五劫の思惟が必要でした。
そして十方の衆生を無条件に救うための膨大な功徳を
獲得するには兆載永劫の行が必要だったのです。
衆生の側から見れば、仏教で救われるということは
私が間違いない仏道を歩む、ということです。
平たくいえば、間違いなくお浄土に往生し仏となる道と
してこの人生を歩むということにほかなりません。
出家者の仏道は、自ら行を修め功徳を得て仏果を目指す道です。
在家者の仏道は、自ら行を修め功徳を得ることはできませんが、
その功徳は如来が回施してくださるのです。
私が修めた功徳ではなく如来の修めた功徳をもって
仏道を歩んでいく、そのことを他力というのです。
我が名よ届け、と喚びかけてくださっている如来さま。
念仏申しつつ歩む私の人生の道は、如来さまがともに
歩んでくださる仏道なのでした。
本願寺出版社 「如来とわたし」 安藤光慈師著より
第1553回 片道か 往復か ~還相回向が特徴~
令和4年 11月3日~
コロナの流行で みんなで マスクをし、手洗い うがいに検温。
病院や 介護施設では面会禁止と、国民全体で 気をつけたせいか、
コロナ流行の初年度は、お亡くなりになる方が 非常に少なく。
平均寿命がまた延びた、感じがしていましたが、
流行して 3年目を迎えて、努力のかいもなく高齢の方が次々と
亡くなられて 例年以上の忙しい秋を迎えています。
お寺の住職や坊守さんも例外ではなく、組内のお寺で門徒葬があり
七条袈裟をつけ出勤しました。
ご親戚代表がお礼の挨拶で、
「またお浄土で 会える。今度会った時に
恥ずかしくないような生き方をしたいものです」との
お言葉がありました。
阿弥陀経には、倶会一処という言葉があります。
お浄土でまた必ず会うことを楽しみにということでしょうが。
浄土真宗の教えは、お浄土に往生するだけではなく、
仏に成っての還相回向が
お浄土へ行ったきりではなく仏に成って必ず帰って、人々を救う、
片道ではなく往復の教えであると。
ですから、お念仏の人は、日付がなく、いのち終わった日に有効になる
往復切符を
お浄土で仏になったその瞬間、もう自由にこの世に還って
人々を教化するはたらきができると、説かれているのです。
2008年に。 本願寺派では「浄土真宗の教章」が 改正されました。
そして、その教義には、「阿弥陀如来の本願力によって、信心をめぐまれ
念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき、浄土に生まれて仏となり
迷いの世に還って人々を教化する」と はっきりと還相回向が明示されました。
それまでも お正信偈の中では、「蓮華の国に うまれては 真如のさとり
ひらきてぞ
「往くも還るも他力ぞと」などとありましたが、
信心でお浄土に生まれることが強調されて、還相回向については、
教義の上では ハッキリと書かれていませんでした。
そういう意味では、お浄土に生まれて仏となった方は
お浄土でじっと待っていてくださるのではなく、
この私の所に 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のお念仏となって
呼びかけ お浄土への道を歩んでくださいと導き、はたらきかけておられるのです。
往生のその日から、そのときから、お浄土を出て私たちに
はたらきかけていただいているのです。
お浄土へ生まれ 今度お会いした時には、どうも有り難う
ございました。御蔭さまで、こうしてお浄土へ生まれることが出来
ご一緒に 活躍することが出来ますと、ご挨拶をするのです。
亡くなった方は、過去完了形の仏さまではなく、現在進行形の
仏さまとなって、今、ここに働いていただいているのです。
第1552回 朝のどまんなかに
令和4年10月27日~
北御堂 大阪の津村別院のホームページの 「法語を味わう」に
こんな法話がありました。
まっさらな
朝のどまんなかに
生きていた
いや
生かされていた
東井義雄師の「目がさめてみたら」という詩の最後の一節です。
皆さんは「目がさめてみたら生きていた」ことに驚きや感動を
持ったことがありますか?
生きていることが「当たり前」と思っている私たち。
そうした私たちに仏さまは「当たり前ではない、
多くのご縁によって生かされている」ことを教えてくださいます。
この詩の最後は「生きていた いや 生かされていた」と
結ばれています。
新しい朝を迎え、今日も「目を覚ますことができた」
「生かされていた」という感動が伝わってきます。
「当たり前」と思っていたことが、「当たり前ではなかった」
という気付きです。
昔、テレビで活躍をされたある司会者の方は、
「朝が来た 新しい朝が来た 自分のための新しい朝だ」
という言葉を大切にされていたそうです。
これは仕事で悩んでいた時に、お父様から送られた言葉だそうです。
「今日もまた新しい朝が来た。お前のために朝が来たんだから
粗末にするんじゃないぞ。」
朝目が覚めたら生きていたという不思議。
もしかしたら目がさめなかったかもしれない。
その「いのち」が今日もまた、生かされていたという感動。
その不思議と感動を深く味わうところに、
また今日も新しい朝が来た、力強く精一杯に
歩んで行こうという喜びが湧いてくるのではないでしょうか
第1551回 かけがえのない君へ ~みんな違ってみんな良い~
令和4年 10月20日~
子どもさん向けの法話、吉村 隆真さん著です。
クイズ番組の解答に目からウロコが落ちました。
クレヨンの「肌色(はだいろ)」は、今では「薄橙(うすだいだい)」や
「ペールオレンジ」と呼ばれているのです。
といっても、小中学生の皆さんには、すでに常識かもしれませんね。
その証拠に、わが家でも正解できたのは小学生の息子だけでした。
日本では、肌の色に近いことから、あの色には長い間「肌色」
という名前が使われてきました。
私自身も子どもの頃だけでなく、大人になってからも何の
疑問も持たずに平気で「肌色」と呼んできました。
しかし、考えてみれば、肌の色は国や地域によって違います。
「肌色」は一つではないのです。
ケンカ・いじめ・差別・戦争......これらの問題は、お互いの違いを
認め合えないことから始まります。
そのような態度が、いつも自分は「正しい」とし、
相手を「まちがい」にしてしまいます。
音楽は「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」の7つの
音階の組み合わせですから、どれ一つ欠けても演奏できません。
言葉も同じで、英語は「A~Z」の26字、日本語は「あ~ん」の
50音で成り立っているので、一つでも欠けてしまうと
文章や会話になりません。
人間も同じです。地球上にはたくさんの人びとが生きていますが、
同じ人間などどこにも存在しません。
あなたも私もただ一人です。
それを別の言葉で「かけがえのない」といいます。
その事実に気づくことができて初めて、自分だけでなく、
相手も大切にできるのです。
お互いを認め合い、お互いが支え合い、お互いに
照らし合える世の中は、どんなに素晴らしいでしょう。
第1550回 しあわせな人生
令和4年 10月13日~
ネットのご法話で、こんな話を聞きました。
いろいろと多くの人にお会いし、いろんな方の人生をみさせてもらいますが、
なかなか この人は しあわせな人生を送っておられるなあという方は
少ないものですよ。
皆さん方は、自分が しあわせな人生を歩んでいると思えますか。
もういっぺん人生をやり直すことが出来るとしたら、何をしますか。
ちょっと違うことをしたいなあと思いますか。
それは、今の自分の人生に満足していないと言うことです。
もういっぺん 人生やり直すことが出来るとしても、今とまったく
同じ人生を送りたいなあと、こころから思える人は
しあわせな人生を歩んでいる、送っている人であるといえましょう。
そして、その しあわせの一番の根幹は 何かというと
お念仏に 出会えたかどうかということに つきる。
お念仏以外のものは みんな壊れていきます。
お念仏だけは ただいまからお浄土の世界まで
壊れることなく、このわたくしを教え導き 育てて
くださっている世界がある。
そういう世界に出会えたといえることが、
しあわせな人生であったということができるのではないか。
恩徳讃にある 報謝ということは、如来さまが
成就してくだったお念仏を、そのままにいただいていくこと、
それ以外にないということ。
お念仏を そのままいただいていくこと、それ以外に報謝はない、
仏さまの教えを、お念仏をそのままにいただけたこと、
それこそが、私の人生は しあわせであったといえるのではないか・・
・・・と
幸せな人というのは、 どういう人なのか。
次に また人間に生まれることができるなら、もう一度
今と同じような人生を送りたいと思える人でしょう。
それは お念仏に出会えた人。
お念仏出会え、そのままいただけた人は
どれひとつ、何一つとして無駄なことはなかった。
みんな意味のある ありがたいことであったと。
この人生が最高であったと思える人に、育てられていくのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の人は 私の人生は
有り難い人生だった と思える人 ではないかと味わえます。
第1549回 お母さんの写真が
令和4年 10月6日~
日曜学校など 子ども会の全国組織 少年連盟のページにあった
子どもさん向けの ご法話です。
「お母さんの写真が、 笑っているときも泣いているときもある 」
龍尾 一洋師
沙紀ちゃんが小学校三年生の時に、お母さんが亡くなりました。
お母さんが亡くなってからは、朝夕必ず仏さまにお参りします。
そしてお母さんの写真に話しかけるのが日課になりました。
あるときお父さんに言いました。
「今日はお母さんの写真が笑ってたよ」
「どうして」
「今日は算数のテストで百点だった。家にかえって
お母さんの写真を見たら笑ってたよ」
知らない人が聞けば、写真が笑うはずはないと言うかもしれません。
しかし沙紀ちゃんには、自分のことを心配しながら亡くなっていった
お母さんの心が見えていたのです。
お母さんの心の中には、喜んでくださっている自分の姿がありました。
またあるときは、悲しませてしまっていた自分の姿がありました。
お母さんの心は、沙紀ちゃんのことでいっぱいで、いつ思い出しても、
沙紀ちゃんのことを心配してくれて、笑ってくれたり泣いていたり
しているのです。
アミダさまは、私のことを心配してくださって、かならず
仏にしますとおっしゃいます。
いつ思い出しても、忘れているときでも、アミダさまの心は
私のことでいっぱいなのです。
いつでも私と一緒にいてくださるのです。
令和 4年9月29日~
突然 自分の先祖のことを調べてほしいとの電話があります。
関東にお住まいで、東京のお寺に墓地があるが、自宅の過去帳に
郷里のお寺に埋葬した先祖の記録があるので、調べてほしいと。
お寺の古い過去帳を持ち出して調べましたが、日にちは二日違うものの、
確かに記載がありました。
しかし、明治20年代に作成された墓地明細記には、その記録がなく、
明治維新後 東京へ移られたご家族のようですと、返事をしました。
その墓地明細帳には、武士であったか、農業などの町人であったかが
記載されていることに気づきました。
浄土真宗はどちらかというと、庶民の宗教、武士の多くは
禅宗など聖道門が多いと思い込んでいましたが、意外や意外、
「士族」との記載が多くあり、驚きました。
お寺が、武士が住む城の近くであり、
なのかも
290余りの墓地の記録があり、よく判明しないものを除き
275の墓地の内、武士だった方のお墓が106と、その四割近くあり、
埋葬された総数、701人中 318人が武士の家族で
四割六分 半分近くであることに驚きました。
エリザベス女王の国葬で、イギリス連邦の参加者が多いのを見て、
キリスト教を先頭に植民地化していった時代があったこと、
それなのに日本は どうして仏教国のままでいられたのか。
その一つには、鎖国制度を取ったこともあるでしょうが、
外国との入り口、長崎の出島を守る仕事を、佐賀鍋島藩と、
福岡の黒田藩が担当し一年交替で、1000人以上の武士が、
長崎を警護してきたようです。
何世代にもわたって、出島を通して、外国の情報 キリスト教と仏教の違い、
宗教と植民地政策など、多くの武士集団は、見聞してきたのだろうと、思います。
また直近の大きな戦いが、島原の乱への出兵、キリスト教との戦いでした。
そうした経験が、明治政府での宗教政策の主導的な立場をとったのが、
鍋島藩出身者だったとのお話を彼岸法要のご講師に聞かせていただきました。
キリスト教の宣教師が出島から本国に送った手紙に、朝晩、庶民の家から
お勤めをする声が聞こえてくるとの報告があるといいます。
生活に根付いた宗教があったために、日本は仏教国として
生き残ったのでしょうが、はたして現代はいかがなものでしょうか。
第1547回 お世話したのか されたのか ~感じ取る力~
令和4年 9月22日~
「闘病中の母が亡くなりましたが、葬儀はせずに簡単に済ませたい」
という趣旨の電話があり、対応した坊守さんは
生み育てていただいたお母さんでしょう。
ちゃんとなさった方が良いですよと、強く勧め、ご自宅へ
枕経にうかがいました。
小さなお仏壇前の介護ベットで、息を引き取られたとのこと、
訪問看護を受け、ご自宅で療養されていたとのことでした。
翌日、往診の先生の電話番号が大きく張り出させている台所と、
介護ベットをかたづけた部屋でのお通夜には、
お子さんと三人のお孫さんが参列されました。
13年前、父さんが亡くなられ時 お葬式の後、
自宅での七日七日の法要で、亡きお母さんがお勤されていた正信偈を、
持参していった経本を持ち、みんなで一緒にお勤めをしました。
人間は、自分の行動、してあげたことは、全部憶えています。
高齢で弱られたお母さんの介護をしたことは、よくおぼえていますが
赤ちゃんのころ、おっぱいを飲ませていただき、おむつを
替え育てていただいたこと。
成長しても、毎日毎日食事を作ってもらったことは、
当たり前で一つもおぼえていません。
いろいろと親にしてあげたことをおぼえていますが、
お世話していただいたことは全部、忘れています。
お世話をした私、ではなく、お世話いただいた私であったことに
気づくことが出来ると、今までとまったく違った思いが
わいてくるものです。
恩徳讃を歌ったり、報恩講をお勤めしたり、浄土真宗は
恩を感じる力を育てていこうという宗教なのではないでしょうか。
自分がお世話した記憶だけでなく、忘れてしまっている
お世話いただいた多くの出来事を思い出し、感じ取る力が
育っていくと、人生はまったく違って、味わえるようになるものです。
してあげただけではなく、していただいたことに気づくと、
お世話をかけ、ご苦労かけ、育てていただいた私だったと、
ありがたく、喜び多い感謝の人生となるものです。
それを気づかなければ、私一人苦労した、いいことは何もなかったという
不満一杯の辛い苦しい人生で終わってしまうのでしょう。
有り難さを感じる力を育てていくことで、喜び多い人生へと
転換していくことが出来るものでしょう。
喜べるか、喜べないか。感じる力を育てるか、育てないかで
それは決まってくるものでしょう。
お念仏は 私のことをいつも思い、見守り励まし、
そして、お浄土へ生まれさせようと、はたらき続ける仏さまに気づき、
感じる力を育ててくださる
そして、私に対する多くの思いはたらきに気づく力が育つか、
育たないか。
お聴聞することで お世話いただいいていることを
感じ取る力を、気づく力を養うことがでていくのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にし、耳に聞きながら・・・。
第1546回 健康寿命日本一 ~ お聴聞の人は~
令和4年 9月15日~
私ども佐賀県の女性は 健康寿命が日本一になった
とのニュースを見ました。
健康でしかも長生きしたいのが多くの人の願いでしょうが、
国民健康保険中央会が発表した2020年の平均自立期間(健康寿命)で、
「要介護2未満で、日常の動作が自立している期間(年齢)」を示しており、
佐賀県の女性は全国平均(84・4歳)を0・8歳上回り、
5位だった前年より0・6歳延び日本一になりました。
同じく一位は 大分県と長野県だということです。
WHO(世界保健機関)が2000年に 心身ともに自立し、
健康的に生活できる期間健康寿命を提唱して以来、寿命を
延ばすだけでなく、いかに健康に生活できる期間を
延ばすかに関心が高まっています。
この記事を読みながら 南無阿弥陀仏とご縁のある方は
長寿の方が多いことに思いあたり、マイクロソフトの
エクセルに打ち込んだ過去帳で お聴聞の人の平均寿命を
計算してみました。
この10年余り 女性の方で 阿弥陀さまのお話を
よく聞いていたご婦人を抜き出しましたが、その数、30人あまり、
その平均寿命をだすと、なんと96歳余りであることが分かりました。
仏教は 老病死の苦悩を解決するものといわれますが、
阿弥陀さまのお話を聞いている人は その老病死に適切に対応する
能力が高まっていくのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏とのご縁のない方とお話していますと、
「あの時、ああしておれば良かった、あれがいけなかった」と
過去のことにこだわり、またこれからどうなるだろうかと未来の
不安に悩み苦しんでおられる方があります。
過ぎ去ったことは いくら反省して悔やんでも、もうどうすることも
できませんが、過去にとらわれる心から苦しんでおられるものです。
お念仏の教えに遇えた方は、過去は過去として、今自分でできることを
精一杯取り組み、成るようにしか成らない。
これで良いんだ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と未来を見つめ
やがて、お浄土へ生まれて 仏さまにならせていただく身であると
おおらかに、のびのびと、悩まず苦しまず 生きておいでの方が多いものです。
それが 健康寿命の長さにつながり 長寿につながっているのだろうと、
味わっています。
先日96歳で亡くなった エリザベス女王が、今から70年前、国王になるとき
「いのちが長かろうが短かろうが、生きている限り
国民のために奉仕します。」という趣旨の言葉を述べたということですが、
私たちも、いのち長かろうが、短かろうが、命ある限り、
報恩のお念仏して、いきいきと、のびやかに生きていきたいものです。
第1545回 いつも一緒のアミダさま ~名前を知ると ~
令和4年 9月8日~
皆さんは「ケイトウ」という植物を知っていますか?
名前の由来はニワトリの頭(トサカ)に似ているから、
鶏頭(ケイトウ)というのですね。
ケイトウという名前を知ると、急に身近に感じるように
なりませんか。
俳句の先生である山本純子さんがおっしゃいます。
「名前を知らない植物に出あったら、植物図鑑などで
調べてみるとよいですね!名前がわかると、急に友だちが
ふえたような気分になりますよ。
草も木も、その名前を覚えると、たちまち友だちになりますよ」と。
名前というと、皆でおとなえする「ナモアミダブツ」という
言葉は、実はアミダさまのお名前なのです。
皆さんは自分がどうして「お父さん」「お母さん」と
呼ぶか考えてみたことはありますか?
それは赤ちゃんのころから「私があなたのお父さんだよ」
「お母さんよ」とずっと呼んでくださっているからです。
それと同じように私たちが「ナモアミダブツ」と
お念仏する時には、もうアミダさまが私たちに
呼びかけてくださっているのです。
うれしい時さびしい時、「ナモアミダブツ」と
お念仏してみましょう。
アミダさまは、うれしい時には「私も一緒によろこんでいますよ」と、
さびしい時には「心配しないで。あなたのいるところには、
いつも私が一緒にいますよ」とおっしゃいます。
学校で仲間外れにされた時、病気で一人寝ている時にも、
アミダさまは私たちに「私がいるよ。一人じゃないよ」と
呼び続けてくださっていますよ。
「ナモアミダブツ」が身近になってくれたらうれしいな。
佐藤 知水師
第1544回 知ろうとすること わかろうとすること
~子どもへのメッセージ ~
令和4年 9月1日~
どうして他の人は私の気持ちをわかってくれないの、と思います。
だけど、そんなふうに思っている私は、
他の人の気持ちをどれほどわかろうとしてきたでしょうか。
そして、どれほど知ることができたでしょうか......。
笑顔の奥に隠されていた深い悲しみがわからなかった。
強がる振る舞いに隠された悔しさがわからなかった。
明るさの後ろにあった辛さがわからなかった......。
私には、その本当の気持ちを知ることはできませんでした。
だから、私の本当の気持ちも知ってもらえないことは無理のないことです。
誰にもわかってもらえない 私のかなしみ
誰にもわかってもらえない 私のくやしさ
誰にもわかってもらえない 私のつらさ
そのすべてを阿弥陀さまはわかってくださいました。
すみからすみまで知ってくださいました。
だから、強く決心してくださいました。
ひとりぼっちにはさせないと、絶対さみしくさせないと......。
ナモアミダブツ「安心なさい」
ナモアミダブツ「大丈夫だよ」
ナモアミダブツ「一緒だよ」
そんな阿弥陀さまは、もうここにいらっしゃいます。
ナモアミダブツと私をしっかりと抱きしめてくださっています。
だから、決して、ひとりぼっちではないのです。
かなしみを知ろうとしたい
くやしさを知ろうとしたい
つらさを知ろうとしたい
きっと、本当のことはこれからもわからないことでしょう。
だけど、たとえ不十分でもわかろうとしたい、と思うのです。
知ってくださり、わかってくださる阿弥陀さまの
温もりに抱かれているからこそ......。
花岡 静人師
第1543回 人の為は 偽
令和4年8月25日~
ネットでこんな法話を 発見しました。
「人の為
漢字で偽(いつわり)という字は、人の為と書きます。
人の為にするということは偽ということでしょう。
よく私たちは子どもの為、家庭の為、友達の為とかいいますが、
内容をみつめてみると、自分の都合が多いようです。
私も子どもの為、子どもの為と言いますが、親のエゴを
押しつけていることが多いようです。
ある小学生の詩に、「お母ちゃんありがたいと
思わないことはないが少し口うるさい。二言目にはお前のため、
お前のためという。それは愛情の押し売りだ」とありました。
私たちも自分の都合で、愛情の押し売りをしていないか
問うてみなければいけません。
以前学生が、「私の人生は保母として、子どもの為にささげます」
といった時、「本当か」と問い返したことがあります。
「子供の為といいながら、結婚したらすぐにやめる人は多いし、
また結婚しても続けるのは、この仕事が好きだからとか、
経済的理由からとか、ほとんど自分の都合なのです。
子どもの為というより、自分のできる限りのことを
精一杯つとめさせてもらうだけではないか。
自分がつとめさせてもらったことに、子どもたちが喜び、
結果的に子どもの為になってくれたらこの上ない喜びだ」
と話したことです。
人の為にと力んで行い、その心が相手に通じなかった場合、
私たちはすぐに「せっかくしてやったのに」と愚痴がでます。
そうですから、たといボランティア活動でも、
苦しんでいる人の為にするのではなく、私が、私自身の
つとめとして私のできる限りのことをさせていただくだけなのです。
相手にお礼を言ってもらう為にするのではなく、
私がさせていただくだけなのです。
『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』より
(著者 : 不死川 浄師)
第1542回 見えないぬくもり
令和4年8月18日~
突然の雨の中、あるパチンコ店の前を通りかかった。
青いレインコートを羽織った店員が、ずらりと並んでいる
雨にぬれた自転車のサドルをぞうきんで丁寧にふき、
ビニールをかぶせていた。
私は、その姿に驚きと感動を覚えた。
私は普段、「目に見える気遣い」しかできていない
のではないだろうか。
電車で席を譲る、学校で係の仕事を手伝う、家で母に
頼まれた手伝いをする......。
役に立ちたい、喜んでもらいたいという気持ちがあるのと同時に、
どこかで「ありがとう」と言われるのを期待している気がした。
その自転車の持ち主はこの気遣いに、もしかしたら
気づくことはないかもしれない。パチンコには負けるかもしれないが、
お尻がぬれることなく、気持ちよく帰れるだろう。
気遣いとは、「やってあげるという意識のもとでやるものではない」
と言われたことがある。
私も「見えない気遣い」ができる人間になりたいと思う。
(「見えない気遣い」に感動 毎日新聞 2018年11月4日)
私はドキッとしました。人前ばかりでいい格好をしている自分の姿に。
そして温かい気持ちになりました。
気付かなかったけれど、たくさんの「見えない気遣い」に
支えられているのだなぁと......。
やがて恥ずかしくなりました。
その「見えない気遣い」のほとんどに、お礼の一つも言った
記憶がないからです。
見返りを求めることなく相手のしあわせを願い、私が求めるより先に
相手の立場になりきってはたらく「見えないぬくもり」を「慈悲」
と言います。
阿弥陀さまは、そんな「慈悲」のおこころが満ち満ちた仏さまです。
私が忘れている時も、やさしい眼差しが注がれています。
私が気付かないときも、温もりいっぱい抱きしめてくださっています。
私の心を豊かに育んでくださる阿弥陀さまの
「見えないぬくもり」に、「ナモアミダブツ」と
手を合わさずにはおれません。
少年連盟のホームページより 藤本 文隆
第1541回 大丈夫は優しい言葉
令和4年8月11日~
テレビなどで人気の「アンパンマン」では、度々「大丈夫」
という言葉が使われます。
ひとりぼっちで寂しがっている友だちがいると、
「ぼくが一緒にいるよ、大丈夫だよ」と寄り添い、
時には、何かに恐れ怖がっている友だちがいると
「ぼくが一緒にいるから、怖がらなくていいよ、大丈夫」と励まします。
「大丈夫」この言葉に、私たちは励まされ続け
生きてきたのではないでしょうか。
言葉もわからなかった赤ちゃんの時、「大丈夫、大丈夫、泣かないで」
と優しく包んでくれた人たち。
病院が怖くて行きたくない私に「一緒に行ってあげるから大丈夫」と
手を引いてくれた人。
学校で仲間はずれになりそうな時、「私が、ぼくが仲間だよ、大丈夫」
と言ってくれた友だち。
振り返ってみると、たくさんの「大丈夫」に支えられてきました。
そして、人だけではなく、私たちの「いのち」に
「大丈夫」とはたらいてくださる阿弥陀さまがいらっしゃいます。
私たちは、「自分がいなくなったらどうなるのか」と
考えると不安で、怖くてたまらないものです。
そんな私たちに、阿弥陀さまは「私が一緒、
浄土という世界に連れて行くよ、大丈夫、大丈夫」と
私を包んでくださいます。
「ナモアミダブツ、ナモアミダブツ」とは、阿弥陀さまが
私たちに「大丈夫、大丈夫」とはたらいてくださるお言葉です。
阿弥陀さまの「大丈夫」にであった私たちは、
阿弥陀さまにありがとうございますとお礼をします。
その言葉も「ナモアミダブツ、ナモアミダブツ」です。
いつも、「大丈夫」そして「ナモアミダブツ」に
支えられている私でありました。
藤江義昭師
第1540回 かくれんぼ ~ 忘れずに いつも一緒~
令和4年 8月4日~
日曜学校や子ども会などの 全国組織である
少年連盟のホームページに こんな法話がありました。
子どもへのメッセージ「かくれんぼ」
「かくれんぼするもの よっといで」
「じゃんけんぽい あいこでしょ」
「あ! まーくんがおにだ! まーくんがおにになった!」
「もういいか~い」「もういいよ~」
はなちゃんは一番に見つかってしまい、くやしさいっぱいです。
ゆいちゃんは物置の中にかくれていました。
でもちっともみつけてくれないので、さみしくなりました。
早く見つけてほしいな、みんなこのまま帰ってしまったらどうしよう......。
そのときです。
「ゆいちゃん み~つけた」
ゆいちゃんは、見つかったのにとってもうれしくなりました。
まーくんやみんなが、自分のことを忘れないでいてくれたことが、
とってもうれしかったのです。
アミダさまは、いつも見ていてくださる仏様です。
アミダさまは、忘れないでいてくださる仏様です。
アミダさまは、いつもご一緒してくださる仏様です。
野村法宏師
第1539回 仏さまになって ~おばあちゃんの願い~
令和4年 7月28日~
いつも町内を散歩しておられたおばあちゃんが、往生されました。
小学生のかわいい男のひ孫さんがいつも 一緒でしたが、
高齢になると看護師さんだったというお嬢さんと、ゆっくりゆっくり
近くの道を毎日、毎日歩いておられました。
体だけ丈夫ではだめで、頭もしっかりしていなければと、
子どもさん用の計算ドリルや 漢字ドリル等に毎日挑戦されて
いると、噂で聞いていました。
毎月一回、お寺では勉強会、お念仏の教えを学ぶ会を開いて
いましたが、毎回出席され、みなさんと楽しくお茶の時間を
過ごされていました。
健康で長寿でありたい、そんなみなさんの憧れであり、
目標でもあった方でした。
その勉強会の出席簿を見ると、154回まで、○印が
付いていました。
103歳だったということですが、最後まで自宅で
介護されました。
枕経に伺った時には ことによるとご門徒で
最高齢かもしれませんと、お嬢さんやお孫さんたちに
話して帰ってきました。
お寺の過去帳を、マイクロソフトのエクセルに
整理して打ち込んでいます。
親子や兄弟、親戚など、関係する方の法名や命日を
調べるには、
その過去帳で、年齢欄を中心に、並び替えをしましたら、
数えで106歳の方が
1000人あまりの方々で、このおばあちゃんは
4番目の長寿でした。
そして数え歳100歳以上の方が なんと12人もおられ、
そのお名前を
よくお顔を拝見する方々でした。
お通夜の席では、沢山のお孫さんたちと、おばあちゃんも
お勤めされていた正信偈を、一緒にお勤めをしましたが、
その経本の表紙には、浄土真宗と書かれています。
科学的な頭の現代人は、人間をはじめ生き物は、いのちが終われば
すべて終わりと理解していますが、お念仏の人は
お浄土に生まれ、阿弥陀さまと一緒になって、はたらく
仏さまになるのだと、お話を繰り返し聞いていただいた方でした。
ですから、私たちを導く南無阿弥陀仏の仏さまとなって、
今もう ここに働いていただいているのだとお話しました。
元気な時のおばあちゃんは、可愛いみなさんが、
生きがいをもって みんなと仲良く、頑張っている
そんな姿をみるのが 一番の喜びだったのでは、ないでしょうか。
そして、仏さまになられた今も、お孫さんたちが、みんなに支えられ
喜び多い人生を送っていただくことが 一番喜んでいただける
ことだと思います。
どうか、南無阿弥陀仏を口にして、思う存分生き抜いてください。
南無阿弥陀仏の仏さまとなったおばあちゃんは、今、ここに、身近に
はたらきかけ、呼びかけ、応援していただいていると味わいます。
・・・・と・・・・
第1538回 半 眼 ~内側も見る~
令和4年 7月21日~
今回も 子どもに聞かせたい法話
~ 心に響く 三分間法話 ~ (法蔵館発行)からです。
皆さんは片目をつむって片足でどれくらい立っていられますか。
けっこう難しいものです。
片目は両目の半分ですが、もう一つ半分の目があります。
仏さまの「半眼」です。
京都・広隆寺の弥勒菩薩を写真などで見たことのある人は
知っているでしょうが、皆さんのお寺やお仏壇の仏さまの両眼を
よくごらんなさい。
どちらも半分しか開いていないでしょう。
それには訳があります。
半分は外の世界、人間の苦しみ悩んでいる姿を見ておられ、
あと半分の眼で人々を助けるにはどうしたらよいかと
わが内を見ておられるのです。
半分は外を見、半分は内を見る、これが仏さまの半眼です。
ところが、人間はふつう外ばかり見ています。
たしかに外もしっかり見ないといけません。
信号などとくにそうです、交通事故になりますから。
それに他人のこともよく見るでしょう。
人がずるいこと、悪いことなどをしたら、すぐに見つけて攻撃します。
しかし、自分のこと、自分の心の内はどうでしょう。
自分にも悪い心がありますが、それをどれほど見ているでしょう。
自分の内側はあたりまえにしていて、ほとんど中を
見ていないのではないでしょうか。
やはり仏さまのように、外も内もしっかり
見ることのできる子どもになりましょう。
それには朝晩、仏さまにお参りをすること、そして仏さまのお顔、
半眼をよく拝み、「なもあみだぶつ」と称えることです。
きっと半眼のお心がわかるでしょう。
というのは、「あみだぶつ」というのは
「ひかりといのちきわみなき仏」という意味ですから、
その「光」をいただく(「なも」する)のが、
内を見ることになるからです。
藤枝宏壽師
第1537回 サラダ記念日 ~特別な一日~
令和4年 7月14日~
「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日
(俵万智さんの歌集『サラダ記念日』より)を
ちょうどこの本が出版されたころ、東京から福岡へと転勤しました。
各専門部門から代表を出している百数十人もいる大きな組織でしたが、
人事異動の時には 大会議室で、担当役員を中心に、
お別れ会を開いていました。
私のセクションは 広島に帰る人と二人でしたが、代表が一言づつ
挨拶する決まりでした。その時 こんな挨拶をしました。
「いま話題は 衛星放送で 100万台すでに突破したようです。
もう一つ、サラダ記念日という本が、これも100万部突破したようです。
この本の中に、こんな詩がありました。
上り下りのエスカレーター
すれ違う一瞬 君に会えてよかった
上り下りのエスカレーター
すれ違う一瞬 君に会えてよかった
という詩がありました。 みなさん どうも、
有り難うございました。」
予想外の大拍手でした。
次の方々が 挨拶しずらかったようですが、
立食の時には 多くの人が声をかけてくれました。
君とは 自分のことかと 別れるにも、心地良かったのかしれません。
多くの言葉よりも 短い言葉で 表現される強さを感じたものです。
南無阿弥陀仏は 短い言葉で 君のことを第一に考え 見守っているよ
大丈夫 大丈夫 自分でやれることを やればそれで良いのだよ
心配しなくて良い、私利私欲ではなく必要と思って行動したのだから
失敗なんかない、君がガンバッタことは 知っている。
今は思い通りの結果は出ていなくても、やがて君の思いは実現する
大丈夫 大丈夫 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
一人漏らさず 救うから 大丈夫 大丈夫 出来ることしなさい。
南無阿弥陀仏でいいんだよ、こう呼びかけていただいているのです。
第1536回 命の代表選手
令和4年 7月7日~
「 仏の子を 育てる会 」という福井の浄土真宗寺院の
住職さんや坊守さんが 福井新聞の宗教コラムに書かれたものを まとめた
子どもに聞かせたい法話 ~ 心に響く 三分間法話 ~ (法蔵館発行)
その中に 「命の代表選手」という 文章がありました。
自分の「命」のことを 少し考えてみましょう。
私たちは今、生きています。
生きているということは、命があるということです。
それでは この命は、誰からもらったのでしょう。
そう、お父さん・お母さんからいただいた命なのです。
でもそのお父さんやお母さんにもそれぞれ両親の命がありました。
私たちからいうと、四人のお爺ちゃん・お婆ちゃんの命です。
そのお爺ちゃん・お婆ちゃんにも、それぞれ両親の命がありました。
つまり私たちからいうと、八人の大爺ちゃん・大婆ちゃんの命が
あったわけです。
こんなことを計算機で 二十八回繰り返すと、私一人の命の
誕生のために、一億三千四百万人をはるかに超える
祖先の人たちの命が必要だったことになります。
なんと、現在の日本の人口に近い数です。
いやいや、これだけで驚いてはいけません。
私たちは今日まで、無数の命を食べてきました。
米・野菜・果物・卵・魚・肉、みんな動・植物の命なのです。
しかも私が食べた命だけが、私の命になっているのではありません。
両親・お爺ちゃん・お婆ちゃんはもちろん、無数の祖先が
食べた無数の命までもが、私の誕生のために必要な命だったのです。
こんなことを考えると、私の命は私だけのものではなく、
私は無数・無限・無尽の「命の代表選手」として、
人生というトラックを走っているのです。頑張らなければなりません。
もちろん、人をいじめるなど、絶対ダメです。
その子も「命の代表選手」なのですから。
(安野龍城師)
第1535回 歩くカラス ~生きるということ~
令和 4年 6月30日~
子どもに聞かせたい法話 ~ 心に響く 三分間法話 ~ という
法蔵館発行の本を手にいれました。「 仏の子を 育てる会 」という
福井の浄土真宗寺院の住職さんや坊守さんが 福井新聞の宗教コラムに
書かれたものを まとめた本です。
皆さんは 鳥が歩いているのを 見たことがありますか。
鳥は 飛ぶよりも 歩く方が 楽なのだという話をききました。ですから、
飛ばなくても いいときには、できるだけ 歩きまわるのだそうです。
この夏、私の家のまわりには 十数羽のカラスが 毎日歩きまわっていました。
何をしているのだろうと よく見ていると、カラスは、地面の中から
はい出てくる セミの幼虫を待ちかまえ、かたっぱしから食べていたのです。
ですから家のまわりには、セミが出てきた穴が たくさんあるのに、
セミの鳴き声は ほとんど聞かれませんでした。「 ミーン ミーン 」とか
「
カナ カナ 」という声が あまり聞こえない、さみしい夏でした。
セミは、何年もの長い間、地面の中にいて、やっと地上に出て、
羽化して セミになっても、せいぜい十日ほどの いのちだそうです。
その十日ほどの いのちが、カラスに 奪われてしまうのです。
「 かわいそうな セミ、にくたらしい カラス 」と 私たちは すぐに思って
しまいます。
しかし、カラスには「 セミ 殺し 」などという 罪を犯したという気は
まったくないでしょう。
きっと餌不足の中で、生きるために セミの幼虫を 待ちかまえるように
なったのだと思います。
実は、そんなカラスと 同じことをしているのが 人間なのです。
直接 手をくだすことはないけれども、動物や
植物のいのちを奪って
生きているのです。
ただ、カラスと違うのは、人間は
そのことに 気づくことができる
ということです。
そのとき、私たちの口から「 ありがとう 」「 ごめんなさい 」
「 いただきます 」の声が出て、そして 手を合わせる心が 生まれて
くるのです。
皆さん、食事のときには かならず手を合わせて、みんなで
「 いただきます 」を しましょう。
(佐々木俊雄師)
生き物が 生き物を 殺すことは、大変悲しいことです。
しかし、生きていくためには 他の いのちを頂かなければ、生きていくことは出来ません。
カラスが
蝉の幼虫を 食べることをかわいそうと思う私たちも、自分には
寛容でいます。
近頃店頭の野菜は 虫に食われたものが一つもありません。
虫の餌でもある野菜に、農薬をかけ 人間が奪っているからなのでしょう。
蚊に刺されないようにと打ち殺すことも、悪いこととは思っていません。
人間ほど 自分本位で罪深い生き物は 他にはいないようです。
仏さまの願いを、お聴聞することで 本当の姿に気づかされていただくのです。
「 いただきます 」「 ありがとう 」を、忘れては 申し訳ないことです。
第1534回 ただ 『今』 を生きる
令和4年 6月23日~
こんなご法話をネットで見つけました。
ただ『今』を生きる
阿弥陀さまの「必ずあなたを救いとる」という願いは
「いつでも、どこでも、誰にでも」届いています。
と言うことは『今、ここで』私ひとりの苦悩の上に常に
はたらいてくださっているのです。
私自身の姿を思う時 三つの見え方があると思います。
一つには「私の知らない私」自分の事は自分が一番よく
わかっているつもりですが、自分では気づけない嫌なところも
たくさんあると思います。
きっと周りの人は知っているのだけど、知らないふりをして
くれているのかも知れません。
次に「私しか知らない私」私は心の中で どれだけの欲や
腹立ちの心を持ち、人を妬んだり羨んだり差別していることか。
しかし それを他人に知られるわけにはいかないので隠しながら、
自分でも気づかないフリをしながら 日々を過ごしているのでしょう。
そしてもう一つが「仏さまに見抜かれた私」
阿弥陀さまは「あなたの欲の心も、怒りも愚かさも知っているよ」
とおっしゃるのです。
それだけでなく「あなたの悲しみも知っているよ、苦しいね、
辛いね、寂しいね」と私とともに、いや私に先んじて
悲しんでくださる仏さまなのです。
ずいぶん前の事になりますが、若くしてお連れ合いさんを
亡くされた男性のご門徒さんがお寺にお参りくださいました。
小さな子どもさんを お一人で育てておられるのです。
最初は笑顔でお話をされていたのですが、帰る間際に
阿弥陀さまの前にすわり、そのうちに肩を震わせて涙されたのです。
大きな声で亡き お連れ合いさんの名前を呼びながら涙を流されました。
子どもたちの前で泣くことも出来ず、いつも笑顔のままで
心の中でだけ、涙を流してこられたのでしょう。
そしてこうおっしゃったのです「今日はお寺に来てよかった、
お寺って泣いていい場所だったんですね」と。
安心して泣ける私の居場所がある、そう教えてくださいました。
阿弥陀さまは私がいかに隠そうとも すべてをご存知、
つまり私の正体がバレてしまっているのです。
隠し事をしていると、もしバレたらどうしようかと心配になりますが、
バレたらもう隠さなくて良いのですから安心です。
本当の安心が そこにあります。
だからこそ阿弥陀さまの前では 安心して涙を流すこともできるのです。
今の私にどれほどの苦悩があろうとも、そのままに
包み込んでくださる阿弥陀さまがご一緒です。
安心して、ともに歩ませていただきましょう。
宮崎県高千穂町
浄光寺 岩尾 秀紀師
第1回 喜び多い生き方とは ?
人間に生まれて 何をやればいいのか
第2回 親や先祖の思いを 受け取っているか
お念仏を相続するといいますが
第3回 報恩講 恩徳讃など 恩の宗教といいます
知ることで 何がどう変わるものか
第4回 仏教の話を聞くと どう変化するのか
私の生活にどのように影響するのか 等など
第1回は、 10月1日(土)19時半~ スタートできないかと
これから、みなさんのご意見を集めていきたいと思います。
ご意見を聞かせてください。
第1522回 限られた情報だけでは ~真実には出会えない~
令和4年3月31日~
限られた情報だけでは、真実に出会えないと、つくづく感じています。
ウクライナの、つらい悲しい映像が毎日、飛び込んできます。
一昔前までは、遠くの出来事は、数枚の報道写真だけでしたが、
今では、スマホを持つ人が自分で見た有様をそのまま発信して、
戦争が いかに残酷なものかを痛感しています。
ところが、これは 西側の世界だけで、 戦争を仕掛けた
ロシアの国民は
病院や学校が爆撃されている映像を見ても、ロシアの
国営テレビでは、
ウクライナの軍隊が、ロシア系の住民を無差別に攻撃している。
こうした、暴力をやめさせるために、
ロシアは 正義の戦いをしている
のだと聞かされているようです。
多角的な情報を受け取れる人は、その真実に近づくことが出来ますが、
情報が統制され、都合良く解説されると、真実から遠のき
まったく違った理解をしてしまうものです。
ウクライナの現状を見ながら思いました。
私たちは 毎日テレビや新聞を見て、
全て何でも知り、わかっていると
思いこんでいます。
そして
健康で、我が身を喜こばせることこそが、素晴らしく、
老病死など 人間の苦しみ、悲しみについては
できるだけ見ないように、避けて通ろうとしています。
しかし 人間は、老病死から逃れることは出来ません。
お寺で お念仏の話を聞く人は、自分の置かれた立場を
正確に理解して、どうすれば豊かな人生を送ることができるかを
知ることが出来るのです。
私たちは、死んだら終わりだと、思っていますが、仏さまは、
私をお浄土に生まれさせ仏にするぞと
生きている時には、自分中心の生き方しかできませんが
お浄土に生まれれば、みんなのために頑張ることのできる仏様になる。
お浄土に生まれさせる、必ず来いと呼び続けておられるというのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 仏さまの呼びかけであるとの、
真実に出遇うと、私はもう仏の仲間であり、これから、
どんなに年を取ろうと
そして、先立った親や祖父母、それに友人や仲間達がみんな仏様となって
今、働いていただいている。
やがてお浄土に生まれて仏になる。明るい未来が開けてくるのです。
未来がハッキリと見えてきて、安心と喜びが受け取れるのです。
世間の限られた情報では 死んだら終わりですが、
多くの情報に積極的に出会い、
仏様の呼びかけを素直に聴くことが
出来れば、
私の未来ははっきりとしてきて、何が起ころうと
慌てず騒がず 堂々と生きていける、そんな人生を受け取ることが
できるのです。
どうか限られた情報だけではなく、多くの情報を手に入れて
この世だけではなくて、仏様が先輩たちが、この私のために
働いていただいていることに気付かしていただきたいものです。
ロシアの国民のように限られた情報で、
真実に出会えず、苦しく、むなしい人生で終わるのではなく、
多くの情報に触れて、真実の教えに出会い、豊かな人生を
送っていただきたいものです。
第1521回 第17願 ~仲間が同業者がほめたたえる~
令和 4年 3月24日~
どこのお医者さんが信用できるかどうかを
一番よく知っているのは、仲間の医師でしょう。
お店にしましても、信用できる店、信用できない店を
一番よく知っているのは、同業者でしょう。
同じ立場にいるものが、一番きびしい目で仲間を
見ていますから、いいも、悪いも、一番よく知っているのです。
「私の店の製品は、どこのものより安くていい」と
いわれても、私たちは信用できません。
しかし、同業の人から「あの店の製品は優秀で安い」と
すすめられれば信用するものです。
こんな私たちの性根を見抜いて、阿弥陀如来は
自ら名のらず、諸仏を通して名のらせるのです。
私たちならば、疑うのは疑う方が悪いのだから、
ほっておけばいいと考えます。
しかし、阿弥陀如来はそんな冷たい方ではないのです。
どうしても、私たちを見捨てることができないという
大悲の心が、諸仏を総動員して、南無阿弥陀仏を
私たちに受けとらせようとしてくださるのです。
私たちのことを思ってくださる阿弥陀如来の大悲の深さが
しみじみと知らされます。
「十方世界の数かぎりない諸仏が、ことごとく
わたしの名(南無阿弥陀仏)をほめたたえ」るままが、
大悲の躍動する相なのです。
それで、第十七の願を「大悲の願」
と、親鸞聖人はよろこばれるのです。
この南無阿弥陀仏をほめたたえることが称揚であり、
称名であり、咨嗟であります。
それで、第十七の願を「諸仏称揚之願」「諸仏称名之願」
「諸仏咨嗟之願」と名
この「諸仏がほめたたえる」ことのほかに、大悲躍動の
はたらきはないのです。
そ
いく相でもあります。
この
凡そ十方世界にあまねくひろまることは法蔵菩薩の
四十八の大願のなかに第十七
「十方無量の諸仏にわが名をほめられ称へられん」と
誓ひたまへる一乗大智海の誓願を成就したまへるによりてなり
(唯信鈔文意)
と、よろこばれています。
このような大悲のお心と はたらきによって、私たちは、
真実のよりどころである南
そして、南無阿弥陀仏に遇った私たちが、南
ほめたたえるという、諸仏のお仕事のお手伝いをさせて頂くのです。
念
釈尊は、「私
そこに、「諸仏と等し」とほめたたえられる私たちの生活が
ひらけてくるのです。
こ
はたらきによって実現するのです。
藤田徹文著『人となれ 佛となれ』 より
第1520回 選択称名の願 ~第17願のこころ ~
令和 4年 3月17日~
法蔵菩薩の48願の中の 第17願のことを
親鸞聖人は、大悲の願とか、諸仏称揚之願、諸仏称名之願、
往相廻向之願、それに選択称名之願などと味わっておられます。
では、選択称名というのはどういうことなのでしょうか。
選択とは、多くのものの中から、いらないものを捨てて、
私たちになくてはならないものを、ただ一つ選び取る
ということです。
私たちになくてはならないものとは何でしょうか。
それも、
ただ一つとはなんでしょうか。
あれもあった方がいい、これもあった方がいい、というのが
私たちです。
腹の底から信頼できるものをもたない私たちは、
もしかの時のことを考えると、あれも離すことができない、
これも捨てることができないということになります。
しかし、私たちが離すことも、捨てることもできなくて
にぎっているものは、本当に最後の最後まであてたよりに
なるものでしょうか。
いざとなったら「予てたのみおきつる妻子も財宝も
わが身には一つも相添うことあるべからず」(御文章)
ということになりますよ、といわれた蓮如上人のお言葉を
思い出してください。
一時しのぎにしか役立たないものを、あれもこれもと
かかえこんで、結局は、それらを逃がさないように、
失わないように、ビクビクしながら、エネルギーを
消耗させているのが私たちではないでしょうか。
せっかくの人生、手にしたものを管理するだけで
終ってしまうならば、これほど悲しいことはありません。
本当に信頼できるものを、どんなことがあっても、
私を裏切ることのないものをもたないから、このような
萎縮した人生になってしまうのです。
何がなくても、これがあるから、私はこの人生を
精一ぱい生きることができる。
どのような苦難にであっても、これがあるから私は
へこたれずに、この人生をのり超えていける。
ただ、これ一つあれば、私の人生は大丈夫といえるもの、
それが南無阿弥陀仏なのです。
「どのような失敗をしようが、他人が何と言おうが、
私がいるよ」と、私たちを励まし、ささえつづけてくださる
南無阿弥陀仏があれば、どのような人生をも、のり超えて
いくことができます。
苦しくて逃げたくなったら、南無阿弥陀仏のみ名を
称えればいいのです。
「私がいますよ。頑張ってごらん」という南無阿弥陀仏の
はげましの声が聞こえてきます。
悲しくて、ついうつむきかげんになったら、南無阿弥陀仏の
み名を称えればいいのです。
「元気を出せよ。私がついているではないか」という力強い声が
聞えてきます。
自らとなえる南無阿弥陀仏の称名が、阿弥陀如来の
力強く私をはげましてくださる南無阿弥陀仏の名号となって、
わが耳にとどいてくださるのです。
常に行き詰って、右往左往し、戦々恐々としている私たちに
なくてはならないもの、それもただ一つのものとは、いつでも、
どこでも、だれでもが易くたもつことのできる南無阿弥陀仏です。
煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は万の事みなもてそらごと・だわごと・
真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します(歎異抄)
と、親鸞聖人は、最後の最後まで私たちの人生をささえてくださるものは、
「ただ念仏のみ」とよろこばれています。
念仏申すこと、すなわち称名が、私たちになくてはならないものであると
諸仏までも総動員して、選びとってくださったのが第十七の願であります。
それで、親鸞聖人は、この第十七の願を「選択称名之願」と
名づけてよろこばれたのだと、私はありがたく頂いているのです。
人となれ 仏となれ 藤田徹文著 永田文昌堂刊 より
第1519回 念仏者の生き方 ~親の思いが届く時~
令和4年 3月10日~
ご本山発行の『大乗』に、こんなお話がありました.
春 旅立ちの季節ですが ボクサーでタレントの
ガッツ石松さんは、中学を卒業、ボクサーを志して
東京に旅立つ朝、お母さんが働いている現場に
行きました。
お母さんは家族6人を食べさすため、
日給240円の道路工事で働いていました。
「かあちゃん、じゃあ行ってくるから」と言うと、
お母さんはツルハシの手を止めて、ポケットから
クシャクシャになった泥の付いた千円札を出して
持たせてくれました。
以後、ガッツ石松さんは、どんなに貧しくても決して
その千円札は使ってはいけないと思ったそうです。
その千円札にはお母さんのありったけの思いが詰め込まれて
いるからです。
そして、つらい時、悲しい時、いつもその千円札を
手にしたそうです。
これと似た話があります。親から仕送りのない友人がいました。
授業をまじめに受け、夕方からは毎日アルバイトをしていました。
夏休みは工場に泊まり込みで働き、彼が遊んでいる姿は
見たことがありませんでした。
そんな彼が三年生になった時、親からの仕送りが始まりました。
しかし、彼は変わることなく、卒業までずっとアルバイトを
続けました。
「親の仕送りが始まったのに、なんでアルバイトばかりしているの」
「父親が血を絞るようにして作ったお金、僕は絶対にこのお金は使えない、
まだアルバイトした方が楽だ」と。
この友人とガッツ石松さんには、お金と同時に親の思いが
届いているのです。
そしてそこには感謝の喜びがあるからこそ、二人とも自らに
厳しいのです。
阿弥陀仏は
南無阿弥陀仏の六字の中に、すべてを
どのような罪悪があろうとも必ず救うと
その阿弥陀仏の呼び声が届けば、甘えるのではなく、
自ずと喜びの中に自らに厳しくこの人生を歩んで
それが念仏者の生き方となってゆくのだと
いただいております。(原文を 大幅に省略させていただきました)
大乗 福間義朝師 広島・教専寺住職 著
親の思いが、仏さまのご苦労が味わえたとき、生き方は
大きく変えられてくるものです。
お聴聞することで、仏さまの願いを聞き、そのご苦労を、
ご恩を感じ取り、味わう力を育てていただけるのです。
そして、ご恩を知ることで、感謝の喜びの人生が、与えられるのです。
第1518回 総代さんへの弔辞 ~門信徒会長さんのことば~
令和4年 3月3日 ~
先日 往生された 総代さんに 門信徒会長さんが、
次のような 弔辞を読んで
弔 辞
聞信徒会を代表して、お礼と哀悼の意を表します。
総代会の中でも ベテランであるあなたが
ご往生されたこと、総代一同 驚きと悲しみで一杯であります。
あなたは お父様が亡くなられた昭和の終わり頃から
仏教壮年会の会員として、また総代会の一員として
私どもの寺の護持発展のために 物心両面で
多大なご尽力をいただきました。
春の彼岸の法要、五月の門信徒総会・降誕会、お盆、秋の彼岸
十一月の法要には 必ず 参加して 率先してお世話をし
お聴聞いただきました。
また、十二月の餅つき大会では、自分で作った餅米や、道具一式を
準備して、頑張っていただきました。
これからは、男も料理が出来ねばと 男の・「おんじさんの
料理教室」にも 専用のエプロンをつけ・マイ包丁を持ち、
毎回欠かさず 参加していただきました.
総代会や壮年会の仲間では、毎月一回夜、本堂でお勤めをして、
仏さまのお話を聞き、会食をしていましたが、いつも温厚な
あなたの姿は、仲間を安心させ、なごませ、存在感ある方でした。
七十六歳、こんなに早く お別れするとは 思いもしませんでしたが、
日頃聞く、浄土真宗では 死んだら終わりではなく 今度は お浄土で
仏さまとなって 還相廻向のはたらきをすると聞かせていただいています。
三年後には 佐賀組の巡番報恩講の当番が 巡ってきます。
どうか、仏さまになられても、一緒になり、尚一層はたらいて
いただくだろうと期待しております。
これまでの門徒総代としての長年のご苦労、ご協力に深く感謝して、
門信徒会を代表して こころより御礼を 申し上げます。
長年にわたり、本当にありがとうございました。
ご苦労さまでした。ありがとうございました。
令和 四年 二月十八日
総代さんの葬儀で このような弔辞を読んでいただきました。
第1517回 総代さんのお通夜 ~お祖父ちゃんは ・・・ ~
令和4年 2月24日~
一昔前までは、三世代同居は 珍しくありませんでした。
現在、毎月お参りしているご門徒で、三世代同居されているのは、
この2月15日に亡くなられた総代さんのお宅だけです。
小学生の元気な3人のお孫さんがいます。
そこで、お通夜では、そのお孫さん向けにこんなお話をしました。
ただいまは、仏教でお通夜のお勤めをしました。
仏教は お釈迦さまが説かれた教え。
今から2500年前の4月8日に誕生されました。
そこで,4月8日は 花まつりの行事をします。
そして、厳しい修行をして、12月8日におさとりを開かれた
これを、成道会という行事をします。
それから、およそ40年あまり、悟られた内容を説き広め
八十歳で亡くなられたのが、 2月の15日で、
涅槃会といいます。涅槃に入られた 涅槃会といいます。
私どものお寺の総代さんをしていただいた
お釈迦さまが亡くなられた日と同じ、
この二月十五日に 七十六歳で この世の人生を閉じ
阿弥陀さまの国、お浄土へ 誕生していかれました。
私たちは、こうして親しい大切な人を亡くすと
もうあえなくなるし、話もできなくなるので、さびしくてつらく
悲しんでいます。
お釈迦さまは、どんなに愛する人であっても 必ず別れねばならない
愛別離苦を、はじめとした四苦八苦の苦しみから、人間は
逃れることはできないものだと。
どんなに立派な方であろうと、どんなにお金持ちであろうと、
人間は 生まれてくれば、必ずいのちが終わるもの。
どんなに科学が進み 医学が発展しても、この老病死
歳を取り老いること、病気になること、いのちの終わること
大切な人と別れねばならないことは
私たち人間の力では どうすることもできません。
人間には、思い通りにならないことがあるのだと。
こうした、人間の苦しみ悩みを乗り越える道・教えを
お釈迦さまは説いていただいているのです。
仏教の数多い教えの中で、親鸞聖人は 南無阿弥陀仏の教えで、
南無阿弥陀仏を口にする生活をすることで、いのちが終われば
すべてが無くなってしまうのではなく、お浄土という
阿弥陀さまの国に生まれて阿弥陀さまと同じさとりをひらき、
残された人々のために仏さまとなってはたらき続けることが
出来るのだと、教えていただいています。
お祖父ちゃんが、いつもいつも、お寺にお参りされていたのは、
お念仏の人は 間違いなく仏さまに 成れるということ。
仏さまは 私のために、いつもはたらいていただいているということを、
繰り返し 繰り返し、はっきりと聞きとるためでした。
生きているときのお祖父ちゃんは、自分のことより
みんなの幸せのために頑張っていただく方でした。
お仕事の農業でも、JAの仕事も、地域のお世話も、消防団でも
お寺のことも、いつも一生懸命に 取り組んでくださる方でした。
そして、お祖父ちゃんの願いは 何よりも子どもや孫、ご縁のある方が
喜び多い人生を送ってくれることでした。
今 いのちが終わって仏さまとなっても
かわいい孫や子どもや 多くの人々のためにはたらいて
いただいているのです。
仏になった今も 子どもや孫のことを
心配していただいているのです。
生きているとき以上に 私たちのことを応援し、
導いてくださっているのです。
そのお祖父ちゃんに、心配かけず、喜んでいただくには、
どういう生き方をすれば、よいのか、それは、
お祖父ちゃんが、よくお寺にお参りして、聞いておられたように、
仏さまのお話を聞き、仏さまの願いを聞くことで、少しずつ、
はっきりとしてくるものです。
この度は、悲しいご縁でしたが、亡くなったお祖父ちゃんは
仏さまは、私たちに何を望み、期待しておられるのか、その願いを、
仏さまの願いを はっきりと味わえるようになり、仏さまになられた、
お祖父ちゃんが、最も、よろこんでいただけるような
生き方をさせていただきたいものです。
明日のお葬式 そして、火葬のあと、揃ってお寺にお参りする
三日参り その後、七日七日のお勤めを通して、お祖父ちゃんの願いを、
仏になられたお祖父ちゃんは、残された私たちが、どのような
生き方をすれば、よろこんでいただくのかを聞き取っていきたいものです。
南無阿弥陀仏を口に生活するというのは どんなことを意味しているのか。
仏になるとは、仏さまのはたらきとは、どういうことを
言おうとしているのか。しっかりと、確かめていきたいものです。
そのことが、仏に成られたお祖父ちゃんが最も喜んでいただくことでしょう。
・・・・・・
総代さんのお通夜で、残されたお孫さんに、こんなお話をしました。
第1516回 信心をいただくということ ~御文章の内容は ③ ~
令和4年 2月17日~
御文章ほど「信心をとれ」ということを、いわれているものは
他の聖教には余りありません。
信心をとるとか、いただく、もらう、獲得するということが
一般に多く用いられていますが、いかなることでしょうか。
二の二の御文章によると。
「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして
無間地獄に堕在すべきものなり」とあります。
しかれば、信心をいただくということは、どういうことでしょうか。
先づ信心をいただくという場合、他力の信心には私の側に
ものがらが出来るとアウトになります。
というのは、宗祖聖人の主著教行信証には、どの巻でもはじめに
出体釈が出ていますが、別序まである最も大切な信巻だけは、
出体釈がかけているのであります。
信巻では、はじめから大信心の十二嘆徳の文しか出ていません。
これによると、他力の信心は私の側にものがらが別に出来ると、
自力の信心となり、往生の因とはならないこととなります。
もし他力の信心のものがらを求めると、前巻の大行であり、
名号六字の法であります。
他力の行と信の関係は、あたかも水と波の如く、波そのものは
水のほかにものがらはあり得ない、水のままが動いている相が
波であります。
信心とは名号がこの私の上にはたらいでいる相であり、
この私を場所として活動している法であります。
それ故、私の側からはプラスするものも、マイナスするものもなく、
ただ与えられたそのままといわれるのであります。
しかれば、この信心をいただくということは、いかなることでしょうか。
このことを最も端的に、誰でもわかる表現をされて述べられているのが
御文章であります。
この場合、多くは「雑行雑修自力の心をすてて一心に弥陀をたのめ」とあります。
自力の心をすてることは、私の側からは不可能であります。
それはあたかも、自らの眼によって眼を見んとするような業と等しいのです。
自力の心のすたることは、一心に弥陀をたのむほかにないのであります。
「一心に弥陀をたのむ」という一心は、ひとすじにという意味であり、
たのむはおまかせすることであります。
それ故、私の側のたすかる、たすがらない心配はすべて、
すっかり弥陀の仕事であり、弥陀のはからいであるから、
私の仕事は、すべておかざるを得ないのであります。
ここでは はたらいでいるものは、弥陀の仕事しか残りません。
それ故、たすかる証拠は、六字の他にはありません。
自らの側に証拠を求めるところに、間違が生ずるのであります。
かつて讃岐の庄松同行はオカミソリの時、法主の袖を引っぱり、
「アニキ覚悟はよいか」といったといわれる。
その時、法主の側から逆に「お前さんの覚悟はどうか」ときかれた時、
「オレのことは知らん、アレに聞け」というこの一言、銘記すべきであります。
市原栄光堂 宗教CD 「御文章のこころ」より
第1515回 信心正因 ~御文章の内容は ②
令和4年 2月10日~
蓮如上人ほど信心を強調された方はないようです。
どの御文章でも信心や安心について述べられています。
この信心は勿論「聖人一流の御勧化のおもむき」であり、
「祖師聖人一流の肝要」であるからであります。
この信心一つにて浄土往生は決定するので、信心の有無は
この私の往生の鍵となります。
しかし、蓮如上人のいわれる信心は、現代どの宗教でも
いわれるような「信じたらたすかる」とか「信じたら幸せになる」
というようなものではありません。
宗教改革者のマルチン・ルターのいう「ただ信心のみ」
という信心とも異なるのであります。
それは御文書に、しばしば出ているように「他力」という
言葉が頭に冠している他力の信心であるからであります。
他力の信心は、世界のどの宗教にも通じない、仏教一般の上でも
通じない、浄土真宗の独特の信心といえます。
この他力の信心の内容を最もよくあらわしている
機法一体の蓮如上人の解釈をみることにしましょう。
機法一体は元来西山義の用語であり、西山では南无の機と、
阿弥陀仏の法とが、一つになり合うということが一体の
意味となります。
しかるに蓮如上人は南无の機 又は信と、阿弥陀仏の法又は行とが
一つであるという一体の解釈をされているのであります。
一つになる場合は双方の歩みよりを前提とします。
信じたらたすかるということをよく聞きますが、
自らが信ずるという動作によって、たすかる法が
活動することとなります。
それ故、自らの動作をみとめなければ救いは成立しません。
しかるに一つであるという一体は信心と名号、信と行は
全く一物の異名であります。
あたかも波と水のようにその言葉が異なることは意味も異なります。
しかし、いかに大きな波が立っても水のそのままであり、
水のほかに波はありません。
波は水のそのままが動いている相であります。
それ故、信心の波とは名号の水がそのままこの私(機)の上に
はたらいでいる相であり、はたらいているものは名号の
法のほかにはありません。
それ故、浄土真宗では信心のことを無疑と釈せられるのであります。
自らのはからい、自力心はすべて否定されざるを得ないのであります。
自らのプラスになるのもマイナスになるものもすべて否定され、
与えられた六字の法のままに生かされることとなります。
それ故、他力の信心のものがらは名号六字の法であります。
名号はこの私の上では因法として与えられているので、
信心が正因といわれるのであります。
市原栄光堂製作宗教CD 「御文章のこころ」より
第1514回 平生業成 ~御文章の内容は ① ~
令和4年 2月3日~
ご法話のCDを購入しました。その中に、次のような
解説文が入っていました。稲城選恵先生の文章です。
蓮如上人の書きのこされた御文章は現在 帖内、帖外を合すと、
約二百六十通以上あります。
これらの数多くの御文章の一貫していわれていることを
一言にして表すと、平生業成の四つの漢字に
おさめることができます。
蓮如上人は この平生業成の義を、一文不知の尼女房にも
通ずるように かみくだいたのが御文章であります。
現代わが国の仏教の中で最も大きな教団になったのも
この平生業成の義が徹底したからであります。
平生業成は臨終業成に対する言葉であり、当時最も
盛んであった浄土宗鎮西義の臨終業成に対する
言葉であります。
臨終業成は臨終の時、聖聚(仏さまや菩薩衆)の
お迎えによって、はじめて浄土に往生することが
決定するのです。
これに対し、浄土真宗では親鸞聖人も「未灯鈔」の
はじめにあるように、「来迎は諸行往生にあり、
自力の行者なるがゆえに、臨終といふことは
諸行往生のひとにいふべし。・・・
真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに正定聚の位に往す。
このゆえに臨終まつことなし。来迎たのむことなし。
信心の定まるとき往生また定まるなり・・・。」
とあり、臨終には全く用事がないこととなります。
しかし、一応平生とは臨終に対する言葉でありますが、
厳密な意味においては臨終も平生も包んでいるので、
いつでもということであります。
いつでもということの具体的なものは今ということであり、
今はここという空間と自己同一の場にあります。
更に今こことはこの私の存在する場所であります。
私のたすかるか否かという問題の決定する場は
私の存在する今ここの外にはあり得ないのであります。
というのは自らの側が求めるに先行して既に
救いの法が与えられているからであります。
それ故、お聞かせにあづかった今ここのほかに
救いの法はどこにもあり得ないのであります。
御文章にしばしば「一念発起平生業成」とか
「一念発起入正定之聚」といわれるのは正しく、
お聞かせにあづかった今ここが私のたすかる場所で
あることをいうのであります。
ここでは救われようと救われまいと自らの仕事でなく、
すべて仏の側のうけもちであります。
それ故「仏のかたより」とか、「如来わが往生を
さだめたまいし」と、しばしば述べられているのであります。
市原栄光堂製作宗教CD 「御文章のこころ」より
第1513回 遇い難くして 今遇う ~ 生まれた意味は ~
令和4年 1月27日~
三つの宝ものがお寺にはあると、
この三宝
に あうことを
南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧
仏法僧の僧とは、僧伽(サンガ)仏法を信じる仲間のこと。
そして、日常勤行集の最初には
『華厳経』(浄行品第7)を元に
作られた 礼讃文 ~三帰依文~ があります。
礼讃文 ~三帰依文~
人身受けがたし、今すでに受く。 仏法聞きがたし、今すでに聞く。
この身今生にむかって度せずんば、 さらにいずれの生にむかってか
この身を度せん。
大衆もろともに至心に 三宝に帰依したてまつるべし。
みずから仏に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、
大道を体解して無上意をおこさん。
みずから法に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、
ふかく
みずから僧に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、
大衆を
無上甚深微妙の法は、 百千万劫にもあい遇うことかたし。
われ今見聞し受持することをえたり。 願わくは如来の真実義を
解したてまつらん。
とあります。
生まれ難い人間に すでに 人間に生まれており
遇い難い 仏法に 今 遇えている このことを 有り難く
感じることが 出来るか 出来ないかで、私の人生は
大きく違ってくるものです。
この三帰依文は 仏教各宗派共通ですが、最後の部分だけは
浄土真宗だけで他のご宗旨では使われません。
無上甚深微妙の法は、百千万劫にもあい遇うことかたし。
われ今見聞し受持することをえたり。
願わくは如来の真実義を
お釈迦さまは お弟子に、ガンジス川の砂を手ですくわせ
多くの生き物がいても、人間に生まれることが
その手の砂ほど、人間に生まれても 仏法に出会えるのは
親指の爪に乗せた砂ほど ほんのわずかである。と
生まれがたい人間に生まれ 遇い難い仏法に出遇えたのは、
私の力ではなく、多くのご縁によるもの、お聴聞すればするほど
人間に生まれた意味と、生まれた喜びが味わえてくるものです。
第1512回 のんのさま ~まもり導く仏さま~
令和4年 1月20日~
ご本山のご正忌報恩講 コロナウイルスの影響で、
全席指定席にして参拝者を限定、15日の奉讃演奏会・通夜布教も
事前に
その演奏会に仏教讃歌の「のんのさま」(地球の子どもの子守歌)も
歌われました。
ノンノンノンの のんのさま この子のいのち まもりゃんせ
この子の明日 まもりゃんせ この子の未来 まもりゃんせ
ノンノンノンの のんのさま この子の友だち まもりゃんせ
この子の地球 まもりゃんせ この子の夢を まもりゃんせ (くりかえし)
七つの海に 橋架けて 世界をつなごう 手をつなごう
橋は橋でも 虹の橋 世界の子どもが あそぶ橋
私どもの巡番報恩講の時、お寺の周りを稚児行列した時 この讃歌を
流して歩いたことを思い出しています。
すべての子どもを すべての人を守り、救うという阿弥陀さま、
救うべき人があまりにも多くて大変だろうと思いますが、
阿弥陀さまと同じはたらきをする仏さまが、数多くいらっしゃることに
気づきました。
親鸞聖人の御命日は ご正忌ですが、よく考えると、この日に
お浄土にお生まれになり、即、仏さまとしてはたらき始めていただいたのです。
ですから、ご往生の日は、仏さまとしての誕生日。
私たちは、祖父母や両親の命日に、年忌法要を行いますが、
仏さまの仲間だった肉親が、この日に仏となって、活動しはじめた
おめでたい記念日でもあるのです。
お念仏の人は 往生即成仏 といわれますので、
一周忌、三回忌、などと言っていますが、本当は 一周年記念
二周年記念というお祝いごととして、受け取っても
よいのではないかと、味わえます。
赤い・朱蝋燭を使うのも そのことを意味しているのかもしれません。
仏さまになられた方々は、まずは我が子や我が孫を
最初に導いてくださっている。
そう考えると、ご縁のあった多くの仏さまが私を見守り、導いて
いただいていると、感じられます。
生きている時だけではなく、仏に成っても、一番心配で
ならないのは、身近な子供たち、幼い子どもだけではなく
成人し、歳をかさねた、この私のことを、思い心配していただいていると・・。
この詩は、子どもだけではなく、大人の私の為でもあると思うと
味わいが違ってくるものです。
第1511回 よろこぶこころ 身にうれば ~もう 仏の仲間 ~
令和 4年 1月13日~
御正忌報恩講、またコロナが流行してきましたので、正信偈は行譜で
お勤めしたものの、六首引きではなく、後半、恩徳讃と回向句と短めに
お勤めをいたしました。
その回向句の最後には、「よろこぶこころ身に得れば
さとりかならずさだまらん」
阿弥陀さまの願である、「お浄土に生まれさせ仏にするぞ」との
呼びかけに答えて、
出来るようになれば もう仏の仲間、
間違いない、と教えていただいているのでしょう
お勤めの後 ご絵像をスクリーンに映しながら親鸞聖人の
ご一生を 今年も語らしていただきました。
その絵像、1幅目の 1番上には お弟子さんの蓮位さんが
自分のお師匠様は
観音菩薩の化身である聖徳太子が礼拝されるのは 阿弥陀様が
姿を変えて教えを説いていただいた。
と夢で啓示を受けたと、あります。
2幅目の一番上は 親鸞聖人のご絵像を写させていただきたい
と思う
頼んだらどうだと許しを得て、
その絵師が来ると
昨日夢で見た 尊いお坊さんとそっくりだ。
そのお坊さんは誰かと聞いたら 善光寺の阿弥陀様である
と言われた。
そのお顔とそっくり、これは驚いた。 昨日は お顔だけをと
いうことだったので、
不思議なこともあるものだと。驚きながら描いた
縁もゆかりもない1人の絵師が、親鸞聖人は阿弥陀さまの化身だと。
3幅目は 越後から関東常陸に移られて。 山伏の弁円さんが。
ただ念仏だけで救われるという教えは、人々の
取り除く山伏さんには自分たちの仕事を妨害する者、
大変に不都合であると、親鸞聖人を 亡きものにしようと
したものの。
うまくいかず。 ついにその舘に乗り込んで来て そこで
親鸞聖人と対面し
いのちを奪おうとした
山伏までもお念仏の教えに引き入れた。
まさしくこれは仏さまのはたらきであると。
お念仏の人は 必ず往生して お浄土で仏になり、
還相の菩薩として
親鸞聖人は 阿弥陀さまと同じようにはたらく、
還相の菩薩さまであると、描かれているのでしょう。
こう考えると、 こうしてお念仏の教えにご縁を作って
いただいた方々は
身近な善知識であり、親鸞聖人
みんなこの私のためにご苦労いただいた還相の菩薩さま
であると
ご正忌報恩講は、お釈迦さまが説かれた教えの中で、
末法の時代でも間違いなくお浄土へ生まれ仏になれる教えを、
説き残していただいた親鸞聖人への報恩の法要です。
おかげでよろこぶこころをいただきました。とお念仏し、
赤い蝋燭をともし お礼を申し上げる、よろこびの法要です。
第1510回 伝絵には比叡山が ~描かれていない理由~
令和4年 1月6日~
ご正忌報恩講には 4幅のご絵伝を元に パワーポイントを使った
プレゼンテーション方式で、毎年、お話をしていますが、
その絵像の一幅目の最初は 「出家学道の図」です。
桜の花が咲く京都・青蓮院の門前に、御所車、引いてきた牛、
乗ってきた馬、お供してきた人々などが描かれています。
その上の図には 9歳の親鸞聖人が おじさんの日野範綱郷に連れられて、
九条兼実の弟である、慈円慈鎮和尚の前に座り、得度を依頼する図が
15歳にならないと出家できないのに、無理強いして得度を願い、
特別に許されて、その夜、燈をともして剃髪する姿が描かれています。
それから20年の間 比叡山での修行に励まれることになるのですが、
その比叡山での修行については、ご伝鈔では源信和尚の流れをくむ
「楞厳横川で 四教円融を修められた」とあるものの、伝絵の方では
比叡山の絵がまったくなく、次の図は、
吉水の法然聖人を訪ねられる絵へと飛んでいます。
20年間の厳しい修行、努力の姿が一切描かれていません。
考えてみると、このことが浄土真宗のお念仏の教えの特徴を
表しているのだと、思えます。
仏教といえば、お釈迦様と同じように、厳しい修行をして、
自分の煩悩を無くして
ようになりたいというのが一般の仏教です。
ところが、吉水の法然聖人は その修行する仏教を捨てて、
比叡山を降り、浄土三部経の仏説無量寿経に説かれている、
お念仏の教えを
それまでの仏教とは違う教えであることを、強調するために、
比叡山の絵は描かれていないのでしょう。
修行は、お念仏の教えに、必要な条件ではないのです。
そのことは、次の六角夢想の図に、
還相の観音菩薩の言葉として
すべての人が、男も女も、僧侶だけではなく、日常の生活をするもの
すべての者を救うという、阿弥陀如来の本願によることを、
絵像と、文章で書かれているのです。
800年近くの間、ご正忌に、こうして絵像で伝えていただいたおかげで、
この私に伝わってきているのです。
常識の仏教とは違って、私が願う前に、阿弥陀如来さまが必ず救うという
願いを立て、南無阿弥陀仏と呼びかけていただいている、
そのことに気づき、お念仏の生活をはじめると、人生は
まるで違ってくるもの
多くの願い、誠に有り難いことです。
ユーチューブで全体を
電話法話一覧表へ (平成9年)~
掲載者 妙念寺住職 藤本 誠
第1550回 しあわせな人生 | 10月13日~ |
第1551回 かけがえのない君へ | 10月20日~ |
第1552回 朝のどまんなかに | 10月27日~ |
第1553回 片道か 往復か | 11月 3日~ |
第1554回 誓いと 願い | 11月10日~ |
第1555回 言葉で 救う | 11月17日~ |
第1556回 人間にわかる言葉で | 11月24日~ |
第1557回 お念仏は 公の言葉 | 12月 1日~ |
第1558回 伝え 伝えて | 12月 8日~ |
第1559回 お仏壇の前で | 12月15日~ |
第1560回 何事も お念仏の助縁 | 12月22日~ |
第1561回 遇い難くして 今遇う | 12月29日~ |
第1648回 まだ仕事が残っています | 8月29日~ |
第1649回 あんたが悪い | 9月 5日~ |
第1650回 自分の姿を鏡で見る | 9月12日~ |
第1651回 はじめての道 はじめての人生 | 9月19日~ |
第1652回 法座 & フォークソング | 9月26日~ |
第1653回 墓友 ~この世からの仲間~ | 10月 3日~ |
第1654回 ハチドリのひとしずく | 10月10日~ |
第1655回 後になって 気づく | 10月17日~ |
第1656回 救われる私 | 10月24日~ |
第1657回 私が仏になる | 10月31日~ |
第1658回 私は 私でよかった | 11月 7日~ |
第1659回 願いを知る | 11月14日~ |
第1660回 親の足を洗う | 11月21日~ |
第1661回 周りに迷惑をかけて | 11月28日~ |
第1662回 ハッピーバースデーだね | 12月 5日~ |
第1663回 絵本の読み聞かせ | 12月12日~ |
第1664回 良いことをするときには | 12月19日~ |
第1665回 浄土真宗は 有り難いですね | 12月26日~ |
令和 7年 |
第1666回 私の宝ものです | 1月 2日~ |
第1667回 これもご報謝 | 1月 9日~ |
第1668回 世間か 娑婆か | 1月16日~ |
第1669回 マルテンを見ると | 1月23日~ |
第1670回 大丈夫 大丈夫 順調 順調 | 1月30日~ |
第1671回 良かったね 母さん | 2月 6日~ |
第1672回 今 ここに 生きる | 2月13日~ |
第1673回 鏡で見ると | 2月20日~ |
第1674回 アリガトウ | 2月27日~ |
第1675回 対治 と 同治 | 3月 6日~ |
第1676回 籠を水に | 3月13日~ |
第1677回 いつもいっしょ | 3月20日~ |
第1678回 私と 仏さま | 3月27日~ |
第1679回 自分自身を 採点すると | 4月 3日~ |
第1680回 相続していますか | 4月10日~ |
第1681回 知恩報徳 | 4月17日~ |
第1682回 | 4月26日~ |
第1683回 | |
第1684回 | |
第1685回 | |
第1686回 | |
第1689回 |
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