第1461回 好きか 嫌いか

令和 3年 1月27日〜

食べ物の好き嫌いはありませんか。
子どものころ、にがみ、からみ、
匂いなどが原因なのか、どうしても
食べられないものがあります。


「好き嫌いはダメだ」と、嫌いな
ピーマンやニンジン等を無理に食べ
させれられるのは大変な苦痛で
しょうが、子どもの栄養のことを
考えて、親はついつい無理強い
してしまいます。

 同じように、勉強が嫌いな子ども、
運動が嫌いな子ども、集団生活が
苦手な子どもたちも
嫌いなことを
無理矢理させられるのは、非常に
辛いことでしょう。


 仏教は、老病死の不安や苦痛を
和らげ、それを解消するのが目的です。

それには、人間が全員、必ず迎える
老病死を嫌いにならずに、素直に
そのままに、受け入れていくことが
出来れば、もっとも確実な解決法
だと言われます。


学校の教科書が大嫌いな子どもも、
漫画の本は、叱られても夢中で読んで
います。

勉強では集中力がない子どもも
ゲームの時は、没頭しています。

大人になっても、遊びだと夢中に
なれます。

「好きこそものの上手なれ」。
興味を持ち、好きになれば、進んで
取り組み、行動出来るように
人間は出来ているようです。


若さ、健康、長寿だけを好きに
ならず、歳を重ねることも、病気も、
死も、当たり前で、順調と嫌わずに
受け入れことができるならば。

病気にも意味を見つけ出せ、
死んだら終わりと、恐怖感を持た
ずに、親たちが待っているお浄土へ
生まれて往く、そして仏となって
一緒に活躍できる世界があると、

味わえれば、明るい未来を感じる
力が育って、老病死を克服できる
のです。


よく、「孝行をしたいときには
親はなし」と、言いますが、
仏と成った親や祖父母は可愛い
子や孫をいつも見守り、一生懸命
応援してくれていると、受け取れると、

老病死をおそれずお浄土へ向かって、
堂々と生きている姿を見せることが、

先だった親たちが安心し、一番喜んで、
くれていることでしょう。


そういう意味では、今からでも
親孝行は出来るのです。
遅くはないのです。


明るく生きがいをもって、毎日を
送っている姿こそが、親たちが、
仏さまが、そして周りの人々が
最も喜んでくれることなのです。


高齢も病気も死ぬことも嫌いにならず、
自然なことと受け入れていけば、

この人生には 怖いものなし、そう
あってほしいと、阿弥陀さまは
親たちと一緒に
 南无阿弥陀仏 
南无阿弥陀仏と呼びかけて
おられるのです。


同じ一生ならば 喜び多い、夢中に
過ごせる、素晴らしい楽しい
人生だったといえるような

毎日を送りたいものです。


          


           私も一言(伝言板)