第1405回 南无阿弥陀仏は

令和2年 1月2日~

 阿弥陀様とは  どういうお方なのか、お浄土というのは
どういう世界なのか と言うことは、お釈迦さまが説かれたお経
『 大無量寿経 』の中に 詳しく述べられているのです。

『 大無量寿経 』が 説法となって、私に 浄土が 届いているわけです。
如来様の大慈・大悲をこめた  仏様の こころは、 言葉となって 
私に届いて、その言葉を  正確に 受け容れられた時に、私のこころの中に

仏さまの世界が、お浄土の世界が  はっきりと 出てくるのです。

お浄土なんて 分からない と言われますが、分からないから、教えが
言葉となって届き、その教えを聞いたら  お浄土が  仏さまのこころが
目の当たりに 味わえるようになるのです。

その『大無量寿経 』のお言葉を 一口にまとめたのが「 南无阿弥陀仏 」
という お言葉なのです。「 南无阿弥陀仏 」という「 大行 」となって、
教えが 届いてくるのです。

 この「 南无阿弥陀仏 」という言葉を 通して、私たちは阿弥陀様と
いつでも 触れているのです。いつでも 如来様に 出遇っているのです。

生きている間には、仏様に 遇うことが出来ないと 思っている方が
おられるでしょうが、生きている間に 遇わなければ  いつ遇うのですか。
生きている間に 如来様に遇い、そして 浄土を 味わうのです。
その「 南无阿弥陀仏 」のお謂われを  詳しく述べられているのが、
「 大行 」の巻といわれる『 教行証文類 』の二巻目の「 行巻 」です。

 その「 行 」によって、阿弥陀様が  いますことを  はっきりと確認させて、
南无阿弥陀仏の人が 間違いなく お浄土に 生まれて往くことも
確認させていただく 、 これを「 信心 」というのです。


この心は 如来さまの言葉に よって 開かれた こころの世界です。
仏様は  信心となって この私を支え、信心のお謂われが  私たちを
目覚めさせていく、これが 仏様の はたらきなのです。

この はたらきに、生きている間に  遇わせていただけ、そして真実の
証果、結果が出てくるのです。 それが 往生成仏ということです。
証とは 結果のことです。

「 南无阿弥陀仏 」という教えを聞き、その教えを、そのお言葉を
真実であると 受け容れて、お浄土を 味わいながら 生きていくことが
大切なのです。


そして 阿弥陀さまの ところへ生まれて往く、お浄土へ生まれて往く
その後は 人びとを救い、人びとを 目覚めさせる  はたらきをさせて
いただく、今度は、救うはたらきができるのです。
それを 還相回向というのです。

他の人びとを 救う はたらきを 限りなく行うのです。
苦しむ人がいる限り、私は 救い続けるというのです。
これが仏道というものなのです。


 仏教とは、自分だけが 救われれば それで良いというものではなく、
みんなが 真実のお救いにあずかって、そして みんなが 幸せになって
くれるようにと、そういう活動が 出来るものにしていただくことが、
覚りを開くということです。人々を救い続けるわけです。 

      梯實圓師
 浄土から届く真実の教え

          


           私も一言(伝言板)