第1345回 帰すべきところ

 平成30年 11月8日〜

 よく人生は、旅であるといわれます。
しかし旅であるとするなら、最後に帰り着くところが、明らかになっていなければなりません。
そうでなければ、行くあてのない、「流浪の旅」になるでしょう。


 では人生の旅で、最後に帰り着くところは、どこでしょうか。
このことがはっきりし、約束されていないと、どんなに楽しみの多い日々であっても、
それはむなしい砂上の楼閣であり、不安の中で、人生の旅を終えることになるでしょう。


 浄土真宗の教えは、人生のほんとうの目的を示し、帰するべきところを教えています、
私たちの帰るべきところ、それが阿弥陀如来のお浄土です。
私どもは、決して浄土から出てきたわけではありません。
しかし、親のいるところが子どもの帰るべきところですから、祖師がたも、
浄土を「家郷」とか「本家」とよんでなつかしんでおられます。
私たちを、必ずお浄土に生まれさせようという、阿弥陀如来さまの
おはからいによって、お浄土を帰るべき「家郷」とよばせていただけるのは、
本当にありがたいことです。

 親鸞聖人は、先立っていったお弟子を偲んで、「かねて申していたとおり、
必ず浄土でお会いします」と記されています。
お浄土は、同じ念仏を申すものが、もう一度、会いまみえることのできる世界です。
『阿弥陀経』には「倶会一処」――ともにひとところで会うことができると、
説かれています。


 お念仏のみ教えにより、限りない「いのち」の世界が帰すべき家郷として
約束されていること、そして、お浄土でふたたび、先立った人びとと会わせて
いただくことができることを、しみじみと味わせていただきましょう。

では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                                朗読法話集 第一集より

          


           私も一言(伝言板)