第921回 いそいそと  〜お寺参りするように〜

平成22年 9月16日〜

妙念寺 電話サービス お電話ありがとうございました。
ところで こんな話を 聞きました。


昭和28年 祖母は 90歳で亡くなりました。
高校生だった自分は はじめて 肉親の死に出あいました。

その夜 隣の部屋に寝ている 祖母が 自分を呼んでいる感じがして
覗いてみると、手招きして 呼び寄せ いいました。
「いよいよ、お浄土へ 参らせてもらえるようだ」と
わら布団の下から 胴巻きを取り出させ これは アンチャンにあげる
受け取ってくれ。
あんたは 長男 下に 4人も妹や弟がいるので しっかりと面倒を
見てくれよなどと 日頃は あまり口にださないことを コンコンといい。

息づかいが 荒くなったので いそいで母親を呼びました。
母は ばあちゃんどうしたかいなと 呼びかけますと、
あ姉さんには 本当に世話になったなあ ありがとう お蔭さんで
お浄土へ参らせていただけそうだ 一言お礼がいいたくて、
孫の嫁のあんたには 本当によくしてもろうて ありがたかった、
うれしかった。ほんとうにありがとうよ と 

お礼をいいました。

だんだんと 苦しそうになってくるので
 近くに住む 伯父叔母たちを
呼びにいかそうとすると
 もういい あの子たちも もう70歳過ぎ 
呼ばんでいい 呼ばんでいいと
 制して、ありがとうよ お先に
お浄土へ参らせて いただきますと
・・・・・
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と お念仏の声が聞こえました。

やがて その声が止まった時 父は 「それ、お仏壇にお灯明をつけろ」と
いい、自分たち子供を並ばせて お勤めをはじめました。

ばあちゃんは これから お寺に参る時のように いそいそと
お浄土へ 行きました。
こういう体験が 書かれていたと 聞きました。

人間は 生まれてくれば 必ず 老いていき 病気もし 死を迎えるもの
老病死は すべての人が逃れることの出来ないものです。

それを恐れて タブーにして 気づかないようにし 騙しだまし 先送りする
これが 現代の常識的な価値観だと思います。

南無阿弥陀仏の教えは そのことを 正面から見つめ 受けとめ 乗り越えていく教え。
老いも病気も 死さえ 無意味ではなく 価値を見つけていくものです。

消え去っていくのではなく お浄土に生まれて 仏となって 活躍できる
南無阿弥陀仏の仏さまとなって はたらくことができる そのことを 
有難く 受け継がせていただきたいものです。

お世話になったね。ありがとう 先に行っているからね。と自信をもって
口に出来る 相手 お念仏の仲間と 一緒にいたいものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、9月23日に新しい内容に変わります。


         


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