第1553回 片道か 往復か ~還相回向が特徴~

 令和4年 11月3日~

 コロナの流行で みんなで マスクをし、手洗い うがいに検温。
病院や 介護施設では面会禁止と、国民全体で 気をつけたせいか、
コロナ流行の初年度は、お亡くなりになる方が 非常に少なく。
平均寿命がまた延びた、感じがしていましたが、
流行して 3年目を迎えて、努力のかいもなく高齢の方が次々と
亡くなられて 例年以上の忙しい秋を迎えています。

 お寺の住職や坊守さんも例外ではなく、組内のお寺で門徒葬があり
七条袈裟をつけ出勤しました。
 ご親戚代表がお礼の挨拶で、 「またお浄土で 会える。今度会った時に
 恥ずかしくないような生き方をしたいものです」との お言葉がありました。

 阿弥陀経には、倶会一処という言葉があります。
お浄土でまた必ず会うことを楽しみにということでしょうが。
浄土真宗の教えは、お浄土に往生するだけではなく、
仏に成っての還相回向がはっきりと説かれています。

 お浄土へ行ったきりではなく仏に成って必ず帰って、人々を救う、
片道ではなく往復の教えであると。
ですから、お念仏の人は、日付がなく、いのち終わった日に有効になる
往復切符を既に受け取っているようなものでしょう。
お浄土で仏になったその瞬間、もう自由にこの世に還って
人々を教化するはたらきができると、説かれているのです。

 2008年に。 本願寺派では「浄土真宗の教章」が 改正されました。
そして、その教義には、「阿弥陀如来の本願力によって、信心をめぐまれ
念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき、浄土に生まれて仏となり
迷いの世に還って人々を教化する」と はっきりと還相回向が明示されました。

 それまでも お正信偈の中では、「蓮華の国に うまれては 真如のさとり
 ひらきてぞ 生死の園にかえりきて まよえる人を 救うなり」とか、
 「往くも還るも他力ぞと」などとありましたが、
信心でお浄土に生まれることが強調されて、還相回向については、
教義の上では ハッキリと書かれていませんでした。

 そういう意味では、お浄土に生まれて仏となった方は
お浄土でじっと待っていてくださるのではなく、
この私の所に 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のお念仏となって
呼びかけ お浄土への道を歩んでくださいと導き、はたらきかけておられるのです。
往生のその日から、そのときから、お浄土を出て私たちに
はたらきかけていただいているのです。

 お浄土へ生まれ 今度お会いした時には、どうも有り難う
ございました。御蔭さまで、こうしてお浄土へ生まれることが出来
ご一緒に 活躍することが出来ますと、ご挨拶をするのです。
亡くなった方は、過去完了形の仏さまではなく、現在進行形の
仏さまとなって、今、ここに働いていただいているのです。

          


           私も一言(伝言板)