第1465回 聞くこと ~体全体で味わう~

 令和 3年 2月25日~

この電話サービスの法話を 
開始して 20年以上になりますが、

改めて、その原稿を読み直ししています。
最初から ひとつひとつ、読んでいき
誠にありがたい内容に出会っています。


今回は、目で見るだけではなく、
「読み上げソフト」で 読み上げて

それを耳でも聞きながら、文章を
見直していますが、これまで
気づかなかった誤字や脱字を、
次々に発見して、その修正の作業に
今追われています。


 書き終わって、何度も何度も
読み直したつもりでいましたが、

自分で書き込んだ文章は、目で見る
だけでは、間違いになかなか
気づかずにいたようで、耳で内容を
聞くと、おかしいところがつぎつぎに
出てきました。


 聞くといえば、お念仏は、
聞くものであり、お聴聞は 
ご法話を耳で聞くものと分かって
いましたが、こうして、機械に
読み上げてもらい、耳で聞く

ことによって、目では見過ごして
いたことを、沢山発見することが
できました。


今、平成12年ごろ 西暦2000
年頃に、ホームページにアップした
ものを見直している途中ですが、
20年以上も、間違いをそのままに
していたことが恥ずかしくて
なりません。


 ところで、聞くということは、
お念仏やお聴聞だけではなく、
音楽も聞くといいます。
若い頃、大河ドラマのテーマ音楽を
収録するとき、N響の演奏を

スタジオの中で聞くと、身体全体に
振動が突き刺さってくるように
感じたのを思い出します。


また、聞くということは、お香の
匂いを嗅ぐことも聞くといい、

臭覚も聞くといいます。
お酒のきき酒も、おさけの香おり、
目で見た色合いや艶、表情、そして
口で味わう味覚を、まとめて聞くと
言っているようです。


利き酒の 利きは、美術品や刀剣
などの目利き、利益・利用の利の字
かもしれませんが、目や耳、鼻、舌、
触覚などの五感全体でものの真の姿を
知ることが大事だと、日本人は、
それを聞くと言う言葉を使って
表現してきたのでしょう。


 そういう意味では、お念仏や、
ご法話を聞くことも、ただ耳で

きくだけではなく、身体全体で、
味わい聞き取っていくものなの
でしょう。


昔から、薫習(くんじゅう)と
いう言葉が使われてきました。

「物に香りが移り沁むように、
お念仏の生活をする中で、知らず
知らずのうちに染みこんでいく、
身についてくること」を言いますが、

それは、耳から聞くだけではなく、
五感すべてから仏さまのはたらきが

この身に入り込み、染みこみ知らず
知らずに、仏さまのはたらきに

染まっていくことを意味して
いたのでしょう。


コロナの季節、なかなかご法話に
接する機会が少ない時期ですが、

このホームページも目で見るだけ
ではなく、耳でも聞いて、味わって
いただきたいと思います。
そして、もし、誤字脱字を発見
されましたら、私も一言のメールで
お知らせいただければ 
大変に有り難いことです。


          


           私も一言(伝言板)