第1288回 献杯というよりは

平成29年 10月 5日~

こんな文章を、大阪津村別院から毎月発行されている「御堂さん」という
月刊誌の巻頭で見ました。

献杯というより

「献杯」という言葉が使われるようになったのは、いつのころからでしょうか。
少なくとも私が住職になった四十年前には、誰も献杯なんて言って
いませんでした。

 それが今や、法事の後の会食の場での、「食事を始めてください」という

合図として、一般化しているようなのですが、正直、私は何度聞いても
違和感があります。

 普通なら、「乾杯」と言うべきところを、お祝い事でもないし、拍手するのも
おかしいので、それじゃしめやかに、「献杯」ということかもしれません。

 でも、浄土真宗では、亡き人に陰膳を供えるということをしないのと同様、
お酒を献ずるという作法もありません。

 それでは、どう言えばいいのかということですが、施主の方が立ち上がって、
「それじゃ皆さん、乾杯の代わりに、食前の言葉を唱えましょう」と
挨拶されたことがあります。
「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
  深くご恩を喜び、ありかたくいただきます」

 これは本当に感動しましたが、普通はなかなかそこまではいきません。
そこまで言えなければ、たった一言でいいのです。
「いただきます」という、素晴らしい一言です、

 グラスを手に持って、「それじゃ皆さん、いただきましょう。いただきます!」
たったそれだけです。
それだけで、「献杯」などと言うよりよほど法事の意義に適った、
食事開始の言葉となりますよ。

          


           私も一言(伝言板)