第1478回 二の矢を受けない ~お念仏のお医者さん~

 令和 3年 5月 27日~

浄土真宗本願寺派には お念仏にご縁のある
お医者さん達の会があります、

そこに、こんな質問がありました。

 新型コロナウイルスの情報を聞くと、その対応や
将来の見通しに不安を覚えます。
浄土真宗の信仰をお持ちの田畑先生は、なぜ普段通り、
穏やかで平静な姿勢で診療を続けることができるの
でしょうか。
先生の信仰している仏教、浄土真宗について
お聞かせください。(73歳医師)


 それに対して、こんな答えがありました。

 「二の矢を受けない浄土真宗の信仰を」
   田畑正久〔佐藤第二病院(大分県宇佐市)院長 
          外科・緩和ケア・老人科


 仏教は「二の矢を受けない」といいます。
「一の矢(病気の発症)」は誰も避けることはできませんが、

「二の矢(事実から波紋のように広がる苦しみ)」は
防ぐことができます。


 自分が患者となった時を想像してみてください。
病気によっては、「死ぬかも知れない」と悩み、
不安になります。

病気の苦しみと、それに執とらわれる悩みや
不安により、二重苦を受けるのです。


 確認しておきたいのですが、仏教は、
まじないのように医学・医療と競合して病気を
治療するのではありません。

病気に関しては医療者に「お任まかせ」です。
そうすれば、ストレスが最小限となり、
アドレナリンなどの分泌も少なく、自分が持つ
免疫力が十二分に発揮もされるでしょう。


 仏教、浄土真宗は病気から救うのではなく、
病人の根本的な救いを説きます。

仏教の救いは世間的な救い(経済的、医学的など)
とは質が異なります。

事実をあるがままに受け取り、与えられた状況を
「これが私の引き受けるべき現実、南無阿弥陀仏」と、
阿弥陀如来に全てお任せし、今日を精いっぱい
未練なく生き抜く(場合によれば、死ぬ)のです。

 私は、朝、目が覚めた時、「今日のいのちをいただいた、
南無阿弥陀仏」で始め、夜は「今日、私なりに
精いっぱい生きさせていただきました、南無阿弥陀仏」
と休みます。


 そして夜、寝る時には、「これで死ぬんだ、
南無阿弥陀仏」と死ぬ練習をします。

人間として生まれたということは死は必然です。
死ぬのが当たり前のところを、今、今日を生かされている、
「有ること難し」なのです。 
              (宇佐市・圓徳寺門徒)


       『本願寺新報』2020510日号掲載

  こんな内容がありました。

          


           私も一言(伝言板)