第1298回 至極最上の教え

平成29年 12月 14日~

 仏さまも いろいろあって、お経の中には 諸仏とか、十方諸仏、
ガンジス川の砂の数ほどいらっしゃる、恒河沙数諸仏などとの表現と

具体的に、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)大日如来 釈迦牟尼仏 
阿弥陀如来などとさまざまに説かれています。


 その阿弥陀さまも、座った阿弥陀さまもあり、立っておいでの阿弥陀さまも
おられます。
親鸞聖人は、数多い仏さまの中で、 何故 阿弥陀仏 一仏と
おっしゃるのでしょうか。

その理由を、教行信証 教巻の最後に、六つにまとめてお書き頂いています。
法要の時にお勤めする「頌讃(じゅさん)」と言われる内容です。

 如來興世之正説(にょらいこうせししょうせつ)
 奇特最勝之妙典(きどくさいしょうしめうでん)
 一乘究竟之極説(いちじょうくきょうしごくせつ)
  速疾圓融之金言(そくしつえんにゅしこんごん)
 十方稱讃之誠言(じっぽうしょうさんしじょうごん)
  時機純熟之眞教(じきじゅんじゅくししんけう)

  この頌讃の 現代語訳では
数ある教えの中で、無量寿経は、如来がこの世にお出ましになった
本意を示された正しい教であり、
この上なくすぐれた 経典であり、
すべてのものにさとりを開かせる 至極最上の教えであり、 
速やかに 功徳が満たされる 尊い言葉であり
すべての仏がたが ほめたたえておられる まことの言葉であり、
時代と人々に応じた 真実の教えである。よく知るがよい。

 と書き残していただいています。

無量寿経の最初には、いつものお釈迦さまとまったく違ったことに
気づいた阿難尊者が、

世尊は、今日、世の中でもっとも尊い、特にすぐれた禅定に入っておいでになり、
何より もすぐれた智慧の境地に入って、すべての世界でもっとも尊いものとして、
如来の徳を行じておいでになり、過去・現在・未来の仏がたと互いに念じあって、
おいでになるに違いありません。
そうでなければ、なぜ世尊のお姿がこのように神々しく輝いておいでになるのでしょうか 」と
讃嘆したのに応えて、


お釈迦さまは阿弥陀如来の救いの教えをお説きいただいたとあります。
そして、その願は いつでも、どこでも、南無阿弥陀仏を信じ口に
生活する者を必ず浄土に生まれさせ、仏にすると、
また、すべての仏さまが南無阿弥陀仏と讃嘆される仏になろうと、
永い厳しい修業して、今から十劫前に仏に成られ、
はたらき続けておられると、説いて頂いています。

親鸞聖人が示していただいた、その真実の最上の教えを、繰り返し
お聴聞しながら、多くの仏さまと一緒に、
南無阿弥陀仏を口に、お浄土への道を歩ませていただきたいものです。

          


           私も一言(伝言板)