第1435回 常識を超える教え

 令和 2年 7月30日〜

  日本人の多くが持っている仏教のイメージは、
厳しい修行をして悟りをひらく聖道門と
いわれる仏教と、日本古来の民族宗教とを
ミックスした教えであると思われています。


しかし、一口に仏教といっても、
浄土真宗は 日本人が思っている、

このような仏教とは、大きく違って、
人々の常識を超えている教えです。


 ご正忌報恩講で、ご伝鈔や伝絵で、
親鸞聖人のご苦労を毎年語りますが、

9歳で得度して、比叡山で20年間
修行し、山を下りて 法然聖人の元に

行かれたことを、繰り返し、繰り返し
説いてきたのは、これまでの仏教を
捨てて新たな教えに出会われたこと、
従来の仏教とはまるで違う教えである
ということを、強調するためだと
思われます。


  親鸞聖人は、20年間比叡山で修行を
されましたが、この教えではすべての
人が救われることはない、すぐれた
一部の人は救われるかもしれないが

多くの人々は 取り残されて、辛い
苦しい人生で終わってしまうと

法然聖人が説かれる、すべての人が
一人残らず救われるというお念仏の
教えに入られたのです。


 ですから、浄土真宗は それまでの
仏教を否定した、まるで違った教え
なのです。


 毎月命日にお参りするお宅で、
お話をしますと、よく、精進が
たりませんので・・・・

とおっしゃる方があります。

努力して努力して 煩悩を無くす
ことが 重要で、幸せになるには

煩悩を無くすことが必要である。
入学試験の勉強のように自分で努力し、
人並み以上に頑張って成果を得る

これを、聖道門の仏教といいますが、
これが一般の常識です。


 ところが、お念仏の教えは 
煩悩のあるままで煩悩を持ったままで

救われるという教えです。

本人の努力ではなく、仏様の方が
先にはたらきかけ、私を救って
くださるというもの、努力こそが
すべてとの価値観の現代人には 
なかなか理解できない教えなのです。


自分の努力より 仏様のはたらきが
大きいとは どういうことか。

野球や サッカー ラクビーなど 
秀でた選手たちは あちこちから

お誘いがあります。いろんな学校から、
入学してくれと頼みに来るし、

球団やプロのチームから うちに
是非来てくれと誘いがくる、
これと同じように南無阿弥陀仏の人は 
阿弥陀さまが誘っていただいて
いるのです。

是非お浄土へ来てくれと、スカウトに
来てくださっているのです。


私は平凡で、人よりすぐれた能力は
ありませんが、南無阿弥陀仏の人は 

必ずお浄土へ生まれさせ、仏にする、
もうその候補生だとおっしゃるのです。
私の力ではなく、南無阿弥陀仏の
はたらきで、お浄土へ来てくれと
期待され、頼まれ待たれているのです。

私の努力が必要ではなく、私の秀でた
能力ではなく、南無阿弥陀仏・
南無阿弥陀仏とはたらきかけて、
この私をお浄土へ生まれさせ

仏に成すと、先だった親たちと
一緒になって、呼びかけて
おられるのです。


          


           私も一言(伝言板)