第1381回 聞法の道場に

 令和元年 7月18日~

 私たちは死ぬと言いますが、死ぬというのではなくて生まれて往くのです。
往生のことなのです。
仏教では往生というでしょう。死ぬとは言いませんね。
もう死ぬと思っている人は、その考えを正さねばなりません。
生まれて往くと思っていただきたいですね。

どこに生まれて往くかというと、阿弥陀様のところに生まれて往くのですよ。
お浄土へ生まれて往くのですよ。
それでどうなるのかというと、阿弥陀様になるのですよ。
今度は………だから救ってくださる人になるのですよ。
それを還相回向というのです。

その他の人びとを救うはたらきを限りなく行うのです。
苦しむ人がいる限り、私は救い続けるというのです。
これが仏道というものなのです。

 仏教というのは、自分だけが救われればそれで良いというものでは
ありません。みんなが真実のお救いにあずかって、そしてみんなが
幸せになってくれるようにと、そういう活動をできるものにして
いただくことが、覚りを開くということです。

覚りを開いた後はどうするかというと、人びとを救い続けるわけです。
私はいつも言っていますが、お浄土は遊びに行くところとは違う、
人びとを救いに行くところなのです。だから死ぬのではなくて、
永遠に生き続けることなのです。どういう形で生き続けるかというと、
今申しましたように、人びとを苦しみから悲しみから救い上げて、
やすらかな喜びを与えていくことなのです。

そういうはたらきを今度は私がさせてもらうわけです。
そこまで全部、阿弥陀様のはたらきなのです。ですから阿弥陀さまは
私の上にあらわれて、そして私たちにこういう世界を開いてくださるのです。

ただ生まれて死ぬような貧しい人生ではない。
生まれてきたということは、仏様の教えに遇わせていただく場として
与えられた聞法の道場です。
この生きていること、人生は聞法の道場なのです。
だから、いのちが終わった時は死ではなく、覚りが顕現した時なのです。

 これはもう、私は永遠に生き続けて、そしてどうするかというと、
人びとを救い続けるのです。この世ではどうしてやることも
出来なかった人も、今度は救ってあげると。
一人も残さずに救ってあげると。そういうことを言い切ることが出来るような、
そういう身にしていただけた。だから親鸞聖人は有難いことだと。言われた。

これを浄土真宗というのです。

 浄土から届いた真実の教えによってお浄土に生まれさせていただく、
そして人びとのこころの中に、人びとの上に浄土を建立していくのです。
一人ひとりのこころの中に浄土を開いてゆく。そういうはたらきが
出来るものにならしてもらうのです。これが浄土真宗という教えなのです。

そういうことを親鸞聖人は、『教行証文類』の中で、ずーつと展開して
いかれるのです。
これは親鸞聖人の独特の世界です。そしてその世界を、親鸞聖人が
どういうふうに展開されていくかを、『正信念仏偈』を通して、
教えていただいているのです。

              浄土から届く真実の教え  梯実圓師 自照社出版


          


           私も一言(伝言板)