第1559回 お仏壇の前で

 令和4年 12月15日~

 毎月 毎月 月命日に 月忌参りをしています。
つくづくと。 時代の変化を感じるようになりました。
お仏壇に供えるお花は どの家でも自分で育てたものか、
野菜や魚など売り歩く行商のおばさんが運んできた
素朴な花が多かったものです。

住宅地では 大きな音楽をならしながら、小型トラックで商品を
売る、移動販売の花もありました。
しかし、現代は、近くの店で簡単に買えるようになったのか、素朴な花から
色鮮やかな洋花が ほとんどになってきました。

 また、お勤めを始めようとして、キンのバチが 
見当たらないことがよくありました。
小さな子供が お仏壇の前で遊んで、どっかへ行ってしまい みんなで
探すこともありました。
一昔前までは、子供や孫が、一緒に生活したり、よく訪ねてきて
お仏壇にお参りしていたためでしょう。

 しかし今 ほとんどの家では、年寄りは年寄りだけ、若い人は若い人と分かれ
同居といっても、別棟に生活する時代になったようです。
このため、お仏壇のある家で育つ子供はだんだんと
少なくなったのではないでしょうか。


 リンの棒で、リンのバチで思い出すことがあります。
リンの当たるところが、削れてささくれ立って、くびれていたお宅が
ありました。
朝晩毎日お参りして、リンを強く打ち くびれてしまった有り難い棒です。

 ご主人を戦争でなくし、お子さん三人を立派にそだてあげ、
同居のお舅、お姑さんを看取られた方でした。
そっとリンを打つのではなく、感情にまかせて力一杯たたかれた
その結果だと思います。

 怒り、腹立ち、苦しみを日常生活の中では素直に表すことが出来ず、
せめてお仏壇の前で 抑えきれない思いを 力一杯 強く
たたかれていたために、年がたつにつれてえぐられ、くびれていった
ものだったと思います。

 そのおばあちゃんが亡くなられると、その思いのこもったリン棒も
手垢のついた膨れ上がったお経本も、消えてしまいました。
若い人から見ると、古くなって使い物にならないものだったのでしょう。
いつのまにか美しい新しいものに変わってしまいました。

 ぐっとこらえ 耐えて生きる時代ではなくなってきたのではないでしょうか。
お仏壇の前だけが、感情むき出しにしても大丈夫な、安心できる、
こころやすらぐ場所だったという時代は、もう
遠くなったように思います。

          


           私も一言(伝言板)