第751回 右か左か 1か0か

   平成19年 6月14日〜

 妙念寺電話サービスお電話いただきまして、ありがとうございます。
親鸞聖人の750回大遠忌を前に ご門主の 「世のなか 安穏なれ」という本が、
出版されました。

大学などで 講演されたものを 再構成したもので、分かりやすく 
大変ありがたいものです。


私どものお寺では 毎月一回の勉強会で この本の内容を プロゼクターに映して
勉強していますが、その中にこんなところが ありました。
提言 現代社会の課題に 取り組むために 単純な「二元論」の克服

 物事を 考える場合 善か 悪かとか プラスかマイナスか というように
二つに分けて考えると 問題が整理しやすくなります。

今のコンピューター時代、 二進法の時代ですので  1か ゼロ という分類は
非常に簡単ですが 世の中の問題、人間の問題を 考えるときには、大事なことを
見落としてしまう  原因になるのではないでしょうか。

仏教の基本的な考え方 から言いますと縁起、縁って起こるという 考え方が
あります。
「縁起がいい、悪い」という場合と 言葉は同じですが、意味は別です。

縁って起こる、すなわち すべての物事は いろいろな 間接・直接の原因が

寄り集まって成り立っていて、 固定的な実体はない、

永続する固定的なものは ないという考えが、仏教の基本にあります。

そういうことを踏まえて  今日のことを考えますと物事を単純に 二つに分けて
いいか悪いか、善か悪かに 決めるということは 非常に危険な思想になるのでは
ないでしょうか。

特に善悪で考えますと 普通は、自分は善で 自分に逆らう人が悪ということに
ならざるを得ません。

現在のアメリカの外交政治を見ていますと、単純な善悪二元論に立っているように
思いますが、それではかえって争いが広がるのではないか、世の中は、善と悪の
中間や  他にもいろいろなものがあって 成り立っているのでは ないかと思います。

特に私たちの宗派  浄土真宗の考えに関連して話題になりますのは 悪人が
救われるという教義です。

高等学校の歴史や倫理の 教科書にも 「悪人正機」 という言葉が出ている
そうですが 「悪人こそが救いの目当てである」という考えをたてますと
重大な事件を起こした犯人でさえ 救われるのか、それでは われわれ真面目な
者は やっていられない、というような 反応になることが しばしば あります。


悪人正機について 一つには、悪いことをした人でも善いことをした人でも
阿弥陀様を信じる身になれば救われるというのが 私たちの考え方です。

どんな悪人でも、信じるか 信じないかを問題にしているということです。

しかし、もう一つは、いわゆる 事件を起こした人だけが 悪人なのかどうか
という問題、善人・悪人というような二元論を立て、自分を善人側において
いいのかという 自分自身の問題です。

こういうことを深めていくところに 宗教的な大事な課題があり、自分自身の
問題として 気が付いてこそ、仏教の教えが身にしみて感じられるという
面があると思います。 ・・・・・・・


一部だけを抜き出しました、若者たちを前にお話くださったものですが、
非常にわかりやすく ありがたいものです。
出版社は 中央公論新社です、一般の 本屋さんに出ていますので 
ぜひ お買い求めの上 お読みください。


私どもでは、今月も 仏教とは何かを この本を通して学んでいくことに
しています。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月21日に新しい内容に変わります。

  中央公論新社 発行  著者 大谷光真 西本願寺門主  
     「世のなか 安穏なれ」 現代社会と仏教 より


         


           私も一言(伝言板)