第1353回 南無阿弥陀仏のおいわれ

 平成31年 1月3日〜

 蓮如上人は『御文章』のなかで、信心を得るにはどうしたらよいか、
ということについて、つぎのようにおっしやっています。


 信心を得るということは、阿弥陀如来さまがお誓い遊ばされた、
第十八願のおこころを聞きうけさせていただくことですが、その第十八願の
おこころは、南無阿弥陀仏という六字のみ名のうえにあらわされているから、
南無阿弥陀仏のいわれを心得たらよろしいといって、くわしく説明されています。


 南無阿弥陀仏とは、インドの言葉の音を写したものですが、
南無とは、帰命と翻訳されているように、如来さまの勅命(仰せ)に

帰順する(したがう)ということで、仰せにしたがい、おまかせするという
信心をあらわしています。そのように、仰せにしたがい、まかせることを、
「たのむ」ともいいますから、南無とは、阿弥陀如来さまを
「たのむ」ことであるともいわれています。


 つぎに阿弥陀仏とは、また無量光仏とも無量寿仏ともいわれますように、
はかり知れない智慧の光と、限りない「いのち」をもって。

すべてのものを救いたもう如来さまという意味の言葉です。蓮如上人は、
それを要約して、「おさめ、たすけ、すくう」というおこころをあらわす
み名であるといわれました。

要するに「阿弥陀仏」とは、阿弥陀如来さまに依りかかり、たのみ、まかせるものを、
この世においては護りつづけ、いのちが終われば、必ずお浄土へ救いとつて
くださるという「摂取不捨」のことわりをあらわしています.


 こうして、南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏という言葉の方からいえば
「われをたのめ、必ず救う」という本願の仰せであり.
南無という言葉からいえば、それを疑いをまじえずに聞きうけている私ども

の「必ずお救いにあずかると阿弥陀仏をたのむ」信心をあらわしています.

このように「たのめ、たすける」という南無阿弥陀仏を聞けば、
「おたすけをたのむ」信心となってくださることを.
「信心を如来より与へたまふ」と仰せられたのです。


 では ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……

                   朗読法話集 第一集より


          


           私も一言(伝言板)