第731回 後をたのみます

 
平成19年1月 25日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

昨年も末、突然にお電話をいただきました。
「今回はどうも難しいようです。どこか良い葬儀社を紹介してください」と、
元気な声でした。


昨年の秋、お母さんの祥月命日に、ご夫婦揃ってお寺にお参りになり、
次の日から入院すると聞いていましたが、どうも早手回しではないかと
思えるような力強い声でした。


 ちょうど来客中で、長い話は出来ませんでしたが、今は専門家がちゃんと
いますから、何も心配することはありませんよと。


「色々お世話かけますが、後はよろしくお願いします」と、電話は終わりました。

  気掛かりで、一週間後に、福岡市にある大学病院へお見舞いに伺いましたが、
ご自分の病状をちゃんと説明なさる元気さがあり、またお会いしましょうとお別れして、
ちょうど一週間後、父が今亡くなりましたと、息子さんから知らせが届きました。


軍人として戦争に行かれたご苦労、ここ10年、度重なる手術で、死ということを
何度も覚悟されたのでしょうが、余りにもしっかりと自分の死を受け入れられたことに
感動を覚えました。

「まだまだやり残したことが沢山あります。もう少し時間がほしかった」との言葉は、
忘れることはできません。


そして、お通夜、お葬式、今、七日七日の法要に、高速道路で片道一時間かけて
伺っています。                


 私たちは、宗教、仏教、キリスト教などと、何か分かったような気持ちになり、
話をしています。


ところが、同じ仏教でもその教えの内容は、大きく違うものです。一般の常識では、
仏教は、努力すれば、良い結果がでる。あるいは欲望をコントロールすることで、
幸せになる。そのために頑張りましょう、努力しましょうという教えのように受け取られて
います。


 しかし、浄土真宗、お念仏の教えだけはその常識と大きく違うように思いますと、
残された奥様や、毎回参加いただく奥様の妹さん方へお話しをしています。


ご正忌報恩講で、毎年毎年、御絵伝と御伝鈔をご縁に親鸞聖人のご苦労を
讃嘆するのは、どうしてでしょうか。


私たちは、自分の努力や苦労は忘れることはできませんが、周りの人びとの
ご苦労や、思いは、なかなか理解出来ないものです。


特に、身近な人の思いは、ついつい見過ごし当たり前になって、その思いの
深さをほとんど気づかずにいます。


ご正忌をはじめ、ことあるごとに、親鸞聖人のご一生や、ご苦労を繰り返し繰り返し、
深く味わうことで、私の周りの多くの方々のご苦労も、少しずつ気づかせていただく
ことが出来るようになるのでは、ないかと思います。


この私以上に、ご努力いただい方があり、そのご苦労や御恩が味わえたとき、
私の人生の彩りは、大きく変わってくるものです。


お念仏の教えは、いままで気づかないでいた、この私のための大きな働きを味わい、
喜ぶことの出来る人生へと転じていただくものだろうと、お話ししています。


南无阿弥陀仏と出合うと、この私をつき動かしていただく力に出合うことが出来、
しらずしらずに行動させていただく、そういう不思議な働きがあるものですと。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。 
次回は、2月1日に新しい内容に変わります。