第1531回 浄土真宗は 讃嘆の教え ~ものの本質を知る~

 令和4年 6月2日~

「佐賀の念仏者」という お念仏の人を紹介する本の
第2集が完成しました。
コロナのため、みんなで集まることが出来ず、こんな時に出来ることは
ないかと、身近な念仏者を紹介する本の 続編の出版です。

 第一集は 20年前に出版されていますが、
改めて読み直してみますと、こんな文章がありました。

 「立派ですね。素晴らしいですね。有り難いですね 
  ~讃嘆の手本を示してくださった 藤木法舟師 

「近くにお参りに来ましたので、ちょっとお邪魔します。」と、
にこやかに静かに玄関に入ってこられるなり、
「これは綺麗な花が生けてありますね。花瓶も
  めずらしい、素晴らしい。」と、つぎつぎに、
ほめ言葉を連発されます。

 ご本尊へのご挨拶は長く、お茶のご案内の声が
なかなか掛けられません。
やっと座っていただいても、「このお茶はおいしい。
いれかたがお上手なのでしょうか。おいしいですね。
あーおいしい。あー、このお茶碗も立派で・・・・」
見るもの聞くもの、手にするものすべてを、ほめて頂きました。

 いよいよ、お帰りの時にも、そのほめ言葉が次ぎ次ぎと続くために
玄関に到着することが出来ず、玄関でもまたほめ言葉で、
なかなかお別れ出来ませんでした。

 最初の頃は、物珍しく笑ってお相手をしていましたが、
立ち寄られる度に、毎回 毎回、一度や二度でないと、だんだんと
引きこまれていきます。
今になって思えば、讃嘆する手本を示していただいたのだと思います。

 当たり前のことを、当たり前に見るだけではなく、その美しさ素晴らしさを、
何とか表現しようではないかとのご指導だったように思います。

 とかく値段や肩書や経歴など、第三者の評価を基準にして、
ものを見る習慣を身につけていた私に、自分の目で見て、
そのものの素晴らしさを発見することの重要性を、
どんな小さな物にも、それぞれに素晴らしい部分があることを、
しっかり見つめるようにとの教えではなかったかと、やっと
思えるようになりました。

 よくみれば、それぞれに素晴らしいものなのに、何も感ぜずに
見過ごしていることを、先輩として伝えていただいたのだと、
味わっています。・・・・

 という文章です。浄土真宗は 讃嘆の宗教 すべての仏さまは
南無阿弥陀仏,南無阿弥陀仏と、讃嘆されていると聞きます。
身近な人、もの、はたらき、見るもの聞くもの触るもの
その本質を見いだし、有り難く味わい喜ばせていただきたいものです。

          


           私も一言(伝言板)