第1519回 念仏者の生き方 ~親の思いが届く時~

 令和4年 3月10日~

 ご本山発行の『大乗』に、こんなお話がありました.

 春 旅立ちの季節ですが ボクサーでタレントの
ガッツ石松さんは、中学を卒業、ボクサーを志して
東京に旅立つ朝、お母さんが働いている現場に
行きました。

お母さんは家族6人を食べさすため、男たちにまじって
日給240円の道路工事で働いていました。

「かあちゃん、じゃあ行ってくるから」と言うと、
お母さんはツルハシの手を止めて、ポケットから
クシャクシャになった泥の付いた千円札を出して
持たせてくれました。

 以後、ガッツ石松さんは、どんなに貧しくても決して
その千円札は使ってはいけないと思ったそうです。
その千円札にはお母さんのありったけの思いが詰め込まれて
いるからです。
そして、つらい時、悲しい時、いつもその千円札を

手にしたそうです。

 これと似た話があります。親から仕送りのない友人がいました。
授業をまじめに受け、夕方からは毎日アルバイトをしていました。
夏休みは工場に泊まり込みで働き、彼が遊んでいる姿は
見たことがありませんでした。

そんな彼が三年生になった時、親からの仕送りが始まりました。
しかし、彼は変わることなく、卒業までずっとアルバイトを
続けました。

「親の仕送りが始まったのに、なんでアルバイトばかりしているの」
「父親が血を絞るようにして作ったお金、僕は絶対にこのお金は使えない、
 まだアルバイトした方が楽だ」と。

この友人とガッツ石松さんには、お金と同時に親の思いが
届いているのです。
そしてそこには感謝の喜びがあるからこそ、二人とも自らに
厳しいのです。

阿弥陀仏は 南無阿弥陀仏の六字の中に、すべてを注ぎ込んで、
どのような罪悪があろうとも必ず救うとはたらいておられます。

その阿弥陀仏の呼び声が届けば、甘えるのではなく、
自ずと喜びの中に自らに厳しくこの人生を歩んでゆくことになる。

それが念仏者の生き方となってゆくのだと味わわせて
いただいております。(原文を 大幅に省略させていただきました)


       大乗 福間義朝師 広島・教専寺住職 著 

親の思いが、仏さまのご苦労が味わえたとき、生き方は
大きく変えられてくるものです。
お聴聞することで、仏さまの願いを聞き、そのご苦労を、
ご恩を感じ取り、味わう力を育てていただけるのです。

そして、ご恩を知ることで、感謝の喜びの人生が、与えられるのです。


          


           私も一言(伝言板)