第1016回 親の片思い  〜今も休まず 私のために〜

 平成24年 7月12日〜

 今にして 知りて悲しむ 父母の
   われにしましし その片思い  

 90歳を過ぎてから 窪田空穂さんが
読まれた歌だといいます。

若いときには 自分のことだけ、自分の努力しか気づかずにいます。
成人し親になると 自分が子どものために苦労していることばかりしか
感じていません。

子どもも成長し、人生をふり返ってみると 自分が子どものために

努力し苦労した以上に、自分の父母はもっと苦労してくれたのだとやっと
わかったとの感激と慚愧の歌だと 味わいます。


片思いとは 相手には気づかれないものです。思われている方は

まったく気づかないものです。

思い出せば あれもこれも親の強い思いであった、この私のため
この私の幸せを思っての大変なご苦労であったと、やっと味わえたと。


 貸した100円借りた千円ということわざがあるそうですが、

自分の苦労は小さなことまで すべて記憶しているものの、他の人からの親切は
まったく忘れてしまうのが、人間の本質のようです。

思い返してみれば、両親はじめ、多くの仲間や先輩たち、人間ばかりではなく

ありとあらゆるいのちを頂いて生きているのです。

家庭で鶏を飼って居た時代は、自分たちでそのいのちを奪い食べることで
いのちの有り難さに気づいていましたが、今は 自分では手を染めず

すでに食品としてパックされたものを 買い取るために 気づかずにいます。

魚も牛も豚も、果物も野菜も、みんな生きているもののいのちを頂いて

生きているのが 私たちですが、ほとんどその意識を持たずに生活しています。


 浄土真宗では 最も大事な法要は 報恩講です。
 また一番多く口にするご和讚は 恩徳讃です。

お念仏の教えは、恩の宗教と言っていいのではないでしょうか。
何もかにも当たり前 当然と思っているこの私が そうではなかった、私のために
多くの努力 多くのはたらき 多くの思いがあったと気づかさせていただいたとき、

余りにも甘えすぎの自分に気づき、これではいけない、申し訳ないと、
ものの考え方や行動に変化が訪れてくるのだと思います。


 南無阿弥陀仏は ありがとうございます、この私のために ご苦労いただき
この私のために はたらいていただき、この私のために いのちを投げ出し、
自分の人生のすべてを かけてお育てくださったことを 気づかせていただく、
すべての出来事を喜びに変えていただく はたらきのある 有り難い言葉です。

あの方も、この方も、都合のいい人も都合の悪い人も、親切な人も意地悪な人も
無視する人も 関係ないと思って居る人も みんなみんな この私のために
私を育ててくださる方々、私のことを片思いしてくださる方だと味わわせて
いただくことができれば、人生はもっともっとイキイキとした素晴らしいものに
見えてくるものです。

仏さまは 今も休まず、この私のために、いろいろの姿を通して はたらいて
いただいているのです、すぐ近くに、予想もしないところで、いのちの限り
いのちを掛けてはたらいていただいている。


それを一つでも多く感じられる、発見出来る豊かな喜び多い

生活を、南無阿弥陀仏とともにさせていただきたいものです。

妙念寺電話サービス 次回は719日に新しい内容に変わります。

         


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