第1681回 知恩報徳

 令和7年 4月17日~

 ご門徒のお宅にお参りすると 普段は 蝋燭と花、お香の三具足、
年忌法要などの場合、蝋燭 お花が一対の五具足で、お荘厳されています。

 五具足の場合、蝋燭と蝋燭の間は、僅か 30㎝ほどのしか
離れていませんが、一つの箱から取り出した同じ大きさの蝋燭なのに
お勤めが終わるころになると、長く残っているものと 
短くなったもの 大きな差がつくことがあります。

 短くなったのは、より明るく燃え上がったためだけではなく
空気の流れが微妙に違っているのか、蝋がとけ出し流れ落ちている
場合が多いものです。

 これを見て、人間も同じ家に、兄弟として生まれても、
あるいは同じ時代に同じ地域で誕生し成長しても、ほんのちょっと違う
環境にいるだけで、大きな違いが出てしまう不思議を、
その蝋燭を通して味わっています。

 先輩達は こうしたお荘厳を通して、私たちに何を伝え、
何を感じ取らせようとしているのでしょうか。
お香も花も蝋燭も、仏さまの智慧と慈悲を表すものといわれますが、
もっと長生きし、自由に、思い通り、別の場所で活躍したいと
思っていたのかもしれません。

でも、自分の置かれたその場で、不満を言うこともなく、火が付けられ、
だまって、一生を終わっています。

 ところが、私たちは、すく損だ得だ、他の人がやればいい
自分はイヤだと、我が儘ばかり言って生活していますが、

花も蝋燭も、お香もだまって自分の勤めを果たし、
我が身を焼き、その命を投げ出し、一生を終わっている。

 お前の周りには多くの人々が、黙々と自分の役割を果たして、
精一杯生きていることを、はっきりと気づかせ、感じさせ、
何ごとも当たり前、無感動で過ごすのではなく、感謝することの
出来る力を身に付けてほしいと、こうしたお荘厳を受け継いで
きたのかもしれません。

 知恩報徳という言葉があります。
感じ取る力、そして感謝する力が身につくと、この人生は、
とれも有り難くなんと豊かなものであるかに気づくことが出来ると、

伝え、教えようとしているのでしょう。

 時々ではなく、毎朝 毎晩 お仏壇の前に座り、お荘厳を
目にすることで、大切な子や孫を目覚めさせよう、気づかせよう
育てようとして、代々受け継いできたものだろうと味わっています。

  

          


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