第1312回 小さな石に お花が

 平成30年 3月 22日〜

 巡番報恩講の季節、正装して法要に出勤するために後堂で待っている時に、
本堂の裏に石が等間隔に置かれ、花が飾られている一角が目にはいりました。
お墓にしては、小さな石で、しかも不揃い、庭石にしては小さすぎで、
それぞれの石の前には、花が供えてあります。

「何だろうとつぶやく」と、前にいた地元の老僧が、小さな子どもさんの
お墓ですよと、教えてくださいました。
「家の墓には、納めないんですか」と聞くと、「あまりに小さくて火葬すれば

 なくなってしまう、そこで、ここに埋葬してあるのですよ」と。

 お寺の過去帳に、昭和30年代までは、小さな子どもさんの名前がたくさん
あることを思い出しました。
そうした赤ちゃんたちは、火葬できずに、ここに埋葬されているのでしょう。
よく見ると、造花もあるものの、新しい花が供えてあるところもあります。
その数、四十から五十近くもあるようです。
もう、親たちは亡くなって、兄弟姉妹たちが、今も墓参に来ているのでしょう。

 現代は、医学が進んで年配者から順に亡くなっていく時代になりました。
ところが、終戦から二十年余りは、効果的な治療薬がなく、栄養状態も

良くない時代には、かわいい我が子を亡くす悲しみ、幼い兄弟を亡くすことも
珍しいことではなかった。
死別の悲しみが、他人ごとではなく、自分のこととして降りかかっていた時代には、
宗教がもっと身近にあったことでしょう。


しかし、今、身内の死ということが、だんだん遠いものになり、驚きや
悲しみを経験することが、少なくなってきたように感じられます。
その結果、人生に味わいを増す はたらきがあるお念仏の教えに

なかなか遇えない時代になってきたのでしょう。

つらい苦しい逆縁を経験しなくなったことで、尊いご縁に出合えるチャンスが
少なくなったのだろうと残念に思います。
どうか、悲しみを伴わなくても、一日でも早く、お念仏の教えに出会って
いただき、人間らしい人間、仏様にならせていただく身に、育てていただきたいものです。

南無阿弥陀仏に遇えば 人生は大きく変化して、味わいを増し、喜び多い毎日が
受け取らせていただけるものです。
阿弥陀さまの呼び声を、お聴聞して、是非聞きとっていただきたいものです

          


           私も一言(伝言板)