第613回 如来まします

 平成16年10月21日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

大分の臼杵にお住まいだった佐々木蓮麿さんの文章をご紹介しておりますが、
今回も
 「如来まします」の一部分をご紹介します。
ある時法話で、清沢満之先生の話をしました。「明日炊く米がないが、
 どうしましょうか・・」と困った様子で奥様が尋ねられたところ、清沢先生は言下に
「心配する必要はない。如来さまがましますから」と力強く答えられたという話であります。

 ところが一般の参詣者は何のことだか合点がゆかぬような顔付きでありましたが、
一人の同行だけが手を打って「そこだ」とニッコリ笑って念仏しました。

「明日炊く米がない」という問いに対して「如来がましますから必要がない」という返答は、
少し飛躍し過ぎているので、普通常識としては受けとり難い言葉です。


明日炊く米がない場合には、必ず近所へ借りに行くか、知人の所へ分けてもらいに
行かれると思います。


 もしそれをせずに、手を拱いて如来のお与えを待っておられるようであれば、
非常識というほかはありあません。


先生が「如来がましますから心配するな」と言われたのは、最後の腹を決めておれば、
何事によらず心配する必要がないということを、単刀直入に教えられたものと思います。


この話を聞いて狂喜した同行は、いつも危険と隣り合わせの漁師さんでしたが、
それ以来、全く心機一転して、愚痴や不足や、また泣きごとを言わぬようになりました。


そのうちに、彼は再起不能の難病にかかって寝込みましたが、
信仰の変化はありませんでした。


私は一枚の紙に「如来まします 万事憂うる要なし」と書いて送りました。

彼は大変喜んで、いつも枕辺に張り付けて念仏の生活をしておりましたが、
遂に最後の日がやって来ました。


近所に住む弟を呼び「どうも今日は往生させてもらいそうにあるから、お仏壇に
お灯明を上げて、お勤めをしてくれ。私は、そのお勤めの声を聞きながら、
往生させて頂くから・・」
弟は驚いて「そんなに悪いのか・・。それでは死んで行く先について、安心ができているか」と
聞くと。
ニッコリ笑って「如来さまにお任せした以上何の心配があるか」


「死んだ後のことについて、言い残すことはないか」
「何の心配があるか、如来さまがましますのに」と言って安らかに念仏しておりましたが、
弟さんが正信偈を読んでいるうちに、往生の素懐を遂げたといいます。


他力の信仰は、一般にはむつかしいものと思われていますが、実はむつかしい
どころか信ぜずにはおられないいわれであります。


自己の真相が知らされてみれば、いかなる人でもこの同行のように、聞くことで
信が得られるのであります。


佐々木蓮麿さんの[如来まします」という文章の一部分をご紹介しました。

ところで、深川倫雄先生の観経の講話を聞いておりましたら、「白毫の恩賜」
ということが、佛蔵経にはあるそうで、信心の人は、食べることに困らないという事が
説かれているということです。

清沢先生はそのことも味わっておられたのかもしれません。

次回は、10月28日に新しい内容に変わります。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

    百華苑発行  信心清話より 一部分紹介