第1341回 仏さまのおこころ

 平成30年 10月11日〜

『仏説観無量寿経』の中で、お釈迦さまは、「仏心とは大慈悲これなり。
無縁の慈をもってもろもろの衆生を摂す」(『註釈版聖典』一〇二頁)と
いわれています。

 仏さまのおこころを一口でいえば、「大慈悲」です。
慈悲の「慈」とは、人にまことのしあわせを与えようとする心、
「悲」とは、人々の悲しみや悩みを取り除こうとする心であるといわれます。


 そのためには、まず自分自身に対してと同じように、心から、他の人の気持ちが、
わからなければなりません。
ですから、慈悲は「人の悲しみをわが悲しみとし、人のよろこびを
わがよろこびとする」心だといわれるのです。


 このような慈悲のこころを、人間はなかなか持つことができません。
私たちにはいつも、自分に都合がいいようにという、自己中心のこころが、
はたらいているからです。
ただ、母親のわが子に対する気持ちは特別です。
自分のことは忘れて、わが子のしあわせを思います。

しかし、その心も、残念ながら、他人の子どもにまでは及びません。
このような、限りのある人間の慈悲に対して、仏さまの慈悲は、
あらゆる人びとに対し、差別なくかけられる、限りのない慈しみのこころです。


 その「大慈悲心」から、仏さまは、私たちが早く迷いの現実に気づき、
真実の世界にめざめてゆくことを、願いつづけておられるのです、
しかもそのこころは、たとえば、幾人の子供があったとしても、
母親の思いは、子供たちみんなにかけられているように、私たちの
一人ひとりに、わけへだてなく向けられているといわれています。


 親鸞聖人は、そのような仏さまの深い親心に、気づかれたのでした。
阿弥陀さまは、このような愚かな私ひとりを救うために、大悲の本願を
おだてくださったのだと味わい、「ひとへに親鸞一人がためなりけり」
(『歎異鈔』・『註釈版聖典』八五三頁)と仰せられたのでした。


 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                          朗読法話集 第一集より

          


           私も一言(伝言板)