第1286回 いのちのふるさと

 平成29年 9月21日~

 本願寺派の仏教婦人会総連盟の機関誌 「めぐみ」に
こんな法話がありました。

「お浄土」と聞くと、なんだか亡くなった後の世界のように思ったり、
生きている間には、あまり必要がない世界のように思ったりしませんか?
でも私は、生きている今、なくてはならない世界のように思うのです。

「ふるさと」という言葉を聞いて、思い出すことは一人ひとり違うのでしょうね。
あなたの思い出に残っている「ふるさと」って、何ですか?

青々とした美しい山々ですか? みんなで遊んだ川や海ですか?
それとも、父や母のやさしい笑顔ですか? 懐かしい友だちのことですか?

 あなたの「ふるさと」、昔のままで変わりませんか? 
ずいぶん変わってしまいましたか?
時は流れて、移り変わり。なんだか少し寂しいですね。

 でも、私の心の中には、いつも変わることのない「ふるさと」があります。
「ふるさと」 それは 私を いつでも待っていてくれる ところ
「ふるさと」 それは 私を いつも励ましてくれる ところ
「ふるさと」 それは 私が いつか必ずかえる ところ
「ふるさと」に支えられて、今、私は、ここに生きています。

 阿弥陀さまは、「あなたには、お浄土という。“いのち”の『ふるさと』が
あるのですよ」「必ず、あなたをお浄土に迎え取って仏さまに生まれさせます。
まかせてくださいね」

「南無阿弥陀仏・なもあみだぶつ」と、お喚びかけくださっています。

 “いのち”の「ふるさと」、それはお浄土。
そこには、懐かしい人たちが、仏さまとなって、「おかえり」と私を
迎えてくださいます。
“いのち”の「ふるさと」、それはお浄土。
阿弥陀さまと一緒に、「ただいま」とかえって往けるのです。

 だから「お浄土」という。“いのち”の「ふるさと」にかえった時に、
少しくらいは胸をはって言えるような、そんな土産話ができるように、
今を自分らしく精一杯生きようと思います。

「お念仏を聞きながら、お念仏を称えながら、みんなで一緒に、
お浄土をいただいて、生きて往きませんか ! 」

  本願寺派布教使 東海教区三重組正覚寺住職  内田正祥師  
                 めぐみ 239号 より


          


           私も一言(伝言板)