第1615回 ただ念仏して

 令和6年 1月11日~

 これまで 私どものお寺での ご正忌報恩講では
御絵伝を写真にとって プロジェクターで投影しながら
親鸞聖人のご苦労を、四幅の絵像を、二日間にわけて 
解説していました。


 今年は、本願寺派の総合研究所で作成された 「はじめての歎異抄講座」
を、アレンジしてのご正忌報恩講にしたいと 今 準備しています。

歎異抄の魅力についての項目や 歎異抄の概要と構成などの説明につづき
歎異抄誕生の背景 親鸞聖人のご生涯から という項目があり、その中に、
比叡山で厳しい修行をし、煩悩を無くして、さとりを開こうと
親鸞聖人は、20年間、努力されてきたものの、どうしても煩悩を
無くすことが出来ず、悩まれていました。

 そして、得度した青蓮院の近く、吉水の法然聖人の元を訪ねられると、
そこでは、比叡山とはまったく違って
「阿弥陀仏の救いの前では、煩悩は邪魔にはなりません。
  阿弥陀仏は どんな人もわけへだてなく、お救いくださるのです。」と
そして、命懸けの厳しい修行するのが仏教の常識であるのに、
「ただ念仏して阿弥陀仏に救われ往生させていただくのですぞ」との
ことばに 非常に驚かれたことでしょう。

 そこには、比叡山とはちがって、僧侶ばかりではなく、
商売をする普通の街の人たち、女性も その話を聞いて、
よろこびお念仏をしている人たちがいたのです。

 仏さまは すべての人を救おうとされる、すべての人を
救うには、誰でもできる方法、それはこれしかないと、お念仏に
生きる道を選ばれたのです。

 自分の力で さとりを開くのが仏教ということを信じて、
励んでこられたのに、人間の力を頼っては、すべての人が
すくわれることはなく、
仏さまのはたらきによらねば、お念仏でなければと
確信されたのです。

 阿弥陀さまは 信じさせ お念仏させて お浄土に往生させたいと
はたらき続けておられることを、親鸞聖人は、かずかずの書き物を残し、
私たちに 教えていただいているのです。

          


           私も一言(伝言板)