第1297回 新しいいのちを開く み仏の声

 平成29年12月 7日~

こんな文章に出遇いました。廣島の正覚寺さまのテレホン法話のお話です。

この度のご法座でお話いただいた天岸浄圓先生から

「念仏者は無碍の一道なり」つまり「念仏するものは世界一の幸せ者ですよ。」と
味わえる意味で始まる歎異抄第七条のご法話をいただきました。

 一体、何が幸せ者かというと、一つには、仏様の教えを頂く者には、
死が無くなるという事です。
死は、そのまま浄土に生まれるという生に変わるからです。
このことを受け入れられるかどうかが問題で大切で「そんなバカな」と
切り捨てるか。

「あっ、そうですか。私は死だと思っていました。死は無意味で、嫌われ、
嫌なことだと思っていましたが、仏様は浄土に生まれるとおっしやるのですね」
と受け止めることにより闇に思えた死は無くなり新たな生に変わる
というのです。

つまり、私たちは何でも自分中心に「生まれたら死ぬ」「死は不幸なことだ」と
考え思いがちですが、仏様のみ教えを中心に生きていこうとするところに
生まれる新たな生き方が世界一の幸せ者になっていくという事なのです。

 もちろん、死は、生身の肉体の別れを伴い悲しみや涙を伴い、
お葬式は確かに死者を葬るのですから、いきなり喜べと言って喜べる
はずもありませんが、讐えるなら卒業式のようなものと受けとめたいものです。
と教えていただきました。

つまり凡夫の卒業式だとおっしゃるのです。
卒業式には涙と喜びの両方があります。今まで共に学んだ者、
共に過ごした者が別れていくという辛さの涙があると同時に、
新しい世界へ羽ばたいていく希望の喜びもあるのが卒業式だからです。

 だから、「死んだ、死んだ」と泣くばかりなのと、「ああ、もう今まで
通りには会えないなあ。しかし、今度はお浄土だな」と受け止めて
いくのでは心の仕合わせ度が大分ちがいますからね。

御満座の後に天岸先生が色紙に「お念仏は 往生という新しい
いのちを開く み仏の声」と書いてくださいましたお言葉が印象的でした。 

  南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏………。


            かけられた願い 清胤弘英師より

          


           私も一言(伝言板)