第928回 親指と小指の法則 〜仏さまと 私〜

 平成22年 11月4日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

インターネットで 調べ物をしていましたら 面白いものに出あいました。
右手で じゃんけんのグーを作って 親指と 小指を立てて その指を 動かしている
アニメーション映像です。


野球の試合でキャッチャーが ツーアウトと 仲間に確認する時 数字の2を
表す様子に似ています。

その状態で 親指を動かすと 親指は 必ず 小指の方向に動くのに
小指の方は 親指の方には 向かず 別の方向に向くものです。

その映像の解説には 「親指・小指の法則」仏さまと私の関係(間柄)と 
記されていました。



妙好人 浅原才一さんが住んでおられた、島根県の温泉津にある 
西楽寺さんのホームページでした。

そのページの最初には
『仏教(浄土真宗)は、とても素晴らしい教えです。
 ところが、それを伝えていく際に、あまりにも専門的な言葉が使われてきたように
 思います。
 そして、お坊さんといえば、法事や葬式の時だけ用事があるものになりました。
 しかし、仏さまの教えは、決して 「死ぬための準備」ではありません。
 それは、この私が「生きていく糧(=活動の源 )」です。

 今、そのことをお伝えするのに、そのキーワードをひらがな としようと思います。
 そう、漢字だらけのお経を、「ひらがな」でお伝えしたいのです。
 つまり、お経の解説ではなく、直にあなたにそのこころを届けたいのです。・・・・と』

ありました。


さて、先ほどの 親指と小指の法則に 戻りますと。このように書かれています。

『今、この手(指)の動きを通して、2つの面が知らされます。
  1番目は、小指によって知らされる  よそ向きの私。
  忙しい、忙しいと、仏さま(真実)の方を向くこともなく、アクセクしています。
  そして、その方向が、自分中心の身勝手なものだとは考えず、「間違いない」
  ものだと
  思い込んでいる「わが身」です。

  そんな よそ向きの私 に対して 阿弥陀さまは、「こっちを向きなさい」とは
  おっしゃらない。
  言い換えれば、「立派な人になりなさい」、「善いことのできる人になりなさい」
  とは 言わないのです。


   なぜなら、阿弥陀さまは、この私以上に 私のことを知り抜いておられるからです。
   ・・・・・


  「他人に迷惑をかけない立派な人になれ‥」ではなく、
  「迷惑をかけなければ、生きていけないことに気づいておくれ」とおっしゃるのです。
  
   そして、そんなよそ向きの私だからこそ、見捨てることができない、放っておけないと、
  いつでも、どこでも あたたかいまなざしの光の中に包んでいて下さいます。


   それが親指の向きで知らされます。
   いつも 阿弥陀さまの光の中につつまれているのです。・・・・・』

このように 書かれていました。

ところで 何度も試しているうちに 手を握り締めずに 両手を合わせて合掌した後は、
親指に小指が近づくことを 発見しました。簡単に親指に触れることが出来るのです。


合掌した後は 仏さまとも お話出来るもののようです。

力を入れて手を握り締めると 小指は よそ向きになる。
どうか やさしい気持ちで 南無阿弥陀仏で 阿弥陀さまのはたらきを 
味わわせていただく 毎日でありたいと思います。

両手を合わせて 合掌したとき 親指と小指のことを 阿弥陀さまと私のことを
思い出していただきたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。   
次回は 1111日に新しい内容に変わります。

              

         


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