第1665回 浄土真宗は 有り難いですね

 令和6年 12月26日~

こんな話を聞きました。
あるご住職が、普段着に着替えず、布袍を着たままで
銀行に行かれた時の話です。
ATM 現金自動預け払い機の前に行くと、長い行列が出来ていました。
カンターにある受付の方を見ると、そこには、お客さんの姿がありません。

 申し込み用紙に、名前などを記入したり、ハンコを押すのが
面倒なので、みなさん機械の方に、並んでいるのでしょう。
このまま 立ってじっと待っているよりも、あっちの方が早いかもしれないと、
申し込み用紙に、必要事項を記入して、奥の窓口の方に向かいました。

 受付の女性の方は、「いつも有り難うございます」と、挨拶した後、
「ご住職は 何宗ですか」と、尋ねられ、びっくりしました。

記入する欄に、宗派を書く必要があって それを忘れていたのかと
一瞬思いましたが、自分が僧侶の布袍の姿だったので、
尋ねられたのだろうと、気づき、「浄土真宗ですよ」と、答えたそうです。

すると、その女性は、「そうですか、浄土真宗は有り難いですね」と
にこやかに仰います。
突然の言葉に、驚きながら、見つめ返すと、その女性は
「大好きな 祖母を先日亡くしまして、悲しくて、辛くて 落ち込んでいましが
 ご住職が、死んだら すべてが終わりではなく、
 お浄土に生まれて 仏さまになられて 私たちに
 はたらきかけてくださっているのですと、教えていただいて、
 ほっとしました。

悲しさが少し消えて 嬉しくなりました。死んでしまったのではなく
 おばあちゃんは 生まれたんだと聞いて、浄土真宗は 有り難いですね」
と、手続きをしながら、仰いました。

いつもお会いするご門徒ではなく、まったく関係のない銀行の窓口の
人に、浄土真宗は有り難いですねと、言われて、気づきました。
子供のころから、お浄土がある、仏様になると、繰り返し聞いて

いましたので、当たり前になっていました。

そして、誰もがみんな そのことが分かっている、知っているものと、
思い込んでいました。
しかし、多くの人が そうではなく、亡くなった人はどうなるのか
自分が死んだらどうなるのか、心配しながら生活しておられるのだと、
改めて気づかせていただきました。

 近頃 お仏壇の無い家で 子供たちは育っています。
きっと多くの若者が、お浄土があることも、仏さまになった方が
はたらきかけていただいていることも、まったく知らずにいるの
だろうと、思います。

 大切な方を亡くした人に、「浄土真宗は 有り難いですね」と言われ、
この言葉が、新鮮に聞こえ、とても嬉しく、有り難く味わわせていただきました。
私たちは、もっともっと 素直に お浄土があることを、
喜んでいいのだと思います。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


 

          


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