第904回 呼ばれたら 〜南無阿弥陀仏と応え〜

 平成22年 5月20日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

今 境内の入り口にある 掲示板には

  別れても 同じ仏の慈悲の中 御名称うれば  よびつ答えつ

 と 貼りだしています。


このところ 多くの方々とお別れをしましたが 「南無阿弥陀仏」と 称えれば 
「南無阿弥陀仏」が 帰ってくる。


いつも一緒 遠く離れてしまったのではなく この世も 阿弥陀さまのお慈悲の中 
お浄土も 同じ阿弥陀さまのお慈悲の中 同じ お慈悲の中にいるのだと気づくと 
悲しさを乗り越えられ
 有難く味わえるものです。 

ところで やまびこも こちらが呼ばないと 返事がないように
「南無阿弥陀仏」も ただ 待っていただけでは なかなか 
聞こえてこないのではないかと 思います。


共に 同じ 仏さまの慈悲の中 
春 進学や就職で 可愛いお子さん方を 手元から旅立たせて 淋しい思いを
なさっている方もあるかと思いますが
  この世の中でも 遠く離れて会えなくなれば 
心配なもの、
 でもまた 休日にでも 帰ってくれば会えるもの それまでは
同じ仏の慈悲の中にいる そう味わえると 有難いものです。

どうか 巣立った若い方 友達とばかり電話するだけでなく 親元にも 
その声を聞かせてあげてください。
親は 子供の元気な声を 待っているものです。


さて 5月は 親鸞聖人のご誕生を お喜びする 降誕会です。
沢山の方に ご参加いただきありがとうございました。
本堂では お顔を見ることの出来なかった方も はじめてお参りいただき 
有難く思いました。

この降誕会のご案内 ハガキで 呼びかけをしましたが 出席できないと 
ご返事いただく方もあれば 自分には関係ないと 無視される方もあります。

欠席のご返事をいただいた中で 一番多い理由が 自治会のお世話をしていますので 
ちょうど重なってというものでした。


地域のみなさんのお世話をされることは 誠にありがたいことですが、
最も大事な方からの呼びかけに 答えることが出来ないことは 誠に残念です。

ほんの少しの間だけでも ご縁にあっていただければ 別れた両親や大切な人たちは 
喜んでいただくだろうにと 残念に感じています。


阿弥陀如来さまは すべての人を 救いたいと誓いを立てられ いまも 
はたらき続けておられます。

すべての人とは この私のこと 誰か自分以外の人ではなく この私のこと
そう味わうと この私のために この私を何とか救わねばおかないと 
この私一人のために 呼びかけて下さっていると味わえば 答えずに 
無視することは出来なくなります。


どうか お寺からの呼びかけ 自分は関係ないと 思わないで この私への
呼びかけと味わって 答えていただければ 有難いことです。

先だった先輩たちが 一番喜ばれるのは 「南無阿弥陀仏」を口にして
阿弥陀如来さまの慈悲の中で 阿弥陀さまの願いにかなった 生き方を
することだろうと思います。



自分中心の 人間中心の 言い訳ばかりして生きるのではなく 
素直に呼びかけに答える人生 それを 受け取ってほしいものです。

呼ばれているのは この私 「はーい」と答えて 呼びかけの内容を聞き
取らせていただきたいものです。

『南無阿弥陀仏』には 「南無阿弥陀仏」と答えて あなたの元気な
その声を どうか大切な方へ 聞かせて あげてほしいものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、527日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)