第1354回 念仏の生活

 平成31年 1月10日〜

 お念仏をとなえるということは、お念仏を聞かせていただくことです。
お念仏を聞かせていただくというのは、実は「南無阿弥陀仏」という
み名にこめられている、如来さまの本願のみ教えによびさまされて、
如来さまの智慧と慈悲こそ、私の人生のまことの依りどころである
ということに、気づかせていただくことです。

そしてそれを基として、ほんとうの自分の姿を知らされ、正しい方向に
かれていくことが、「お念仏を申す生活」だといえましよう。

 お念仏をとなえたら、願いごとがかなったり、お金がもうかるという
のではありません。
自分本位にしか生きられない、罪深い私でありましたと慚愧しつつ、
少しでも如来さまのみこころにそいたいとつとめる生活が、お念仏を
とおして開かれるのです。


 自分本位の心をもった愚かな私どもが、共に手をとって、生きるには
どうしたらいいのか、お互いが心と心を通わせて生きるには、どういう
心がけが必要であるかということも、教えを聞き、お念仏申す中から、
知らせていただくのです。


 お念仏さえ称えておれば、どんな悪いことをしてもいいというような
考え方を邪見といいます。
私自身が、いかに罪深い人間であるかということを知らされることによって、
さらに悪を犯さないように、できるかぎり身をつつしみ、互いにいたわりあい
ながら生きようと努めるようになります。

それによってお互いに、さらに充実した日々をおくらせていただけるように
なるのです。


 願いごとがかなったり。病気が治ったりすることを宣伝する宗教が多い中で、
お念仏というまことの仏の道を、心豊かに生きぬかれた親鸞聖人のみ教えを、
間違いなく聞かせていただき、私どもの人生の指針とさせていただかなければ
なりません。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                        朗読法話集 第一集より

          


           私も一言(伝言板)