第1351回 「聞く」ということ

 平成30年 12月20日〜

 仕事ひと筋に、何十年も歩みつづけ、立派な業績を残した人々がおられます。
たとえば、「人間国宝」と呼ばれる人たちです。

こうした、一芸にひいでた人たちは、こぞって「多くの人びとの支えがあったればこそ、
なしえたことだ」と、語っておられます。


さらに、その仕事を、ひと筋に歩みつづけることは、その“仕事に聞きつづけていく”
ことだともいわれます。

「仕事に聞く」というのはおかしな表現ですが、こういうことです。

 たとえば、陶芸の道ひと筋に、生きぬかれたある方は、自分の窯に合った土を求めて、
土をさがす中で、土は生きてていると実感したとおっしゃいます。
また、農業ひと筋の人は、稲は生きていると語っておられます。
そして、山へ田へ、土の「声」稲の「声」を聞きに出かけるのですと、
おっしゃっていました。


 私が力をつくす中で、それぞれの道をきわめていくと、それまで「私がしてやった」
という自負心は消え、私に呼びかけてくる、いろいろな「いのちの声」を、お聞かせ
いただいたからこそ、今の私があるのだという、感謝の日々の中で、さらに
新しい境地に入って、仕事をされるというのです。
「聞く」という世界は、「いのちの声」に、「呼びさまされる世界」でもあるのです。

浄土真宗における「聞法」、つまり、阿弥陀如来の法(みのり)を聞くのも同じことです。
お寺などでお説教を聞いても、初めのうちはうわの空でしょう。
しかし、何度も何度も聞かせていただいているうちに、柿の実が、お日さまに照らされて
すこしずつ赤く熟していくように、仏さまのお言葉を、素直に受けいれられるように
ってきます。


 初めは難しく、抵抗を感じていた私が、その一言一言に、今までとは違った響を
感じるようになってきます。
ひたすらお聞かせにあずかるなかで、新しい境地が開けてくるのが仏法なのです。


 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                         朗読法話集 第一集より

          


           私も一言(伝言板)