第1641回 いつも一緒の阿弥陀さま

 令和6年 7月11日~

 近頃 ご門徒のお宅へお参りするのがとても
楽しくなりましたと、いうご住職に会いました。

どうしてなのか、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてくると ああここにも、
阿弥陀さまが はたらいておられると味わえるようになったからですと。
朝目覚めたとき 南無阿弥陀仏とお念仏して、ああここに阿弥陀さまが
顔を洗いながら 南無阿弥陀仏 ここにも阿弥陀さまが、
食事のときも、着替えのときも、おつとめをするときばかりではなく、
南無阿弥陀仏といつも私と一緒の 阿弥陀さま。

 ご門徒のお宅にお参りすると、お経さんの本をちゃんと
準備して、待っていただいており、一緒に合掌し、いっしょに声を出して
おつとめをしていただくと、ああ、このお宅でも阿弥陀さまは
間違いなく はたらいておられるのだと、確認出来て有り難く
嬉しくなり、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。

 自分の口から出た 南無阿弥陀仏は勿論ですが、近くの
どなたかの口に南無阿弥陀仏が出て、聞こえてくると、
阿弥陀さまのはたらきが、なお一層はっきりと、感じられます。

日差しが 暑い中、境内のお墓参りにおいでの方を見ても、阿弥陀さまが
あの方を、お墓まで導いていただいていると、
法座の時に、沢山の方が本堂に座っていただくと、目でも見えて
とても心強く、頼もしく、お堂いっぱいに南無阿弥陀仏が聞こえてくると、
有り難く嬉しくなってくるものです。

 ところで、若いころ、親しい友と また明日ねと 別れる時など 
バイバイ、グッドバイといっていましたが、その意味を訪ねてみると
実は、「神様があなたと一緒にいますように!」とか、
「神さまの御加護を!」という意味なのだといいます。
いつも、神様があなたを守ってくださいますように、
というキリスト教の祝福の言葉だったというのです。

 そういうことなら、浄土真宗では、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は
いつも阿弥陀さまが一緒という意味なので
別れの時、「では、またあした 南無阿弥陀仏」でいいはずです。
私たちが 気づいていなくても、忘れていても、阿弥陀さまは
いつも私のことを見守り、励まし、導いてくださっているのです。

 寝ても覚めても、居ても立っても、嬉しいときも悲しいと時も
悔しいときも、悲しいときも、いつも阿弥陀さまがいっしょ
阿弥陀さまは、私といっしょに、はたらき詰めであります。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏となって。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。

          


           私も一言(伝言板)