第1371回 次の世代に引き継いでいく

令和 元年 5月9日~

 前に生れんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ、
 連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。・・・ 教行信証

 最後の部分に引用

上の文章は、親鸞聖人の「教行信証」の終わりの部分に引用されたもので、
道綽禅師の「安楽集」の文章です。

教行信証は、親鸞聖人が、浄土真宗のみ教えを後の人たちに伝えるために、
いのちをかけて書かれた書物です。
五十二歳の頃書き始め、七十五歳の頃に一応の完成をみたものの、生涯、
推敲を続けておられます。

「前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね、
 果てしなく繋がって、途切れることのないようにしたい」


親鸞聖人は、この言葉をどのようなお気持ちで引用されたのでしょう。

  親鸞聖人は、二十九歳の時、法然聖人のもとで、「善人も悪人もすべての人
平等に救われていくお念仏の教え」に出遇われました。
この教えは、自らの力をたよりに修行して、この世でさとりを得ようとする
自力の教えとは、まったく違うものでした。

自力の教えは。煩悩だらけのものにとって、歩むことのできない厳しい道でした。
それに対して、法然聖人の伝えてくださった、お念仏ひとつで救われる他力の教えは、
どんな人にも開かれた道でした。

ここでいうお念仏は、たくさん称えてその見返りとして救いが与えられるという
自力のお念仏ではありません。
称えているままが、阿弥陀さまがはたらいてくださっている姿であるという
他力のお念仏です。


 南無阿弥陀仏と称えることは、南無阿弥陀仏と聞くことです。
それは、教えを聞くことと一緒であると言っていいでしょう。


 自己中心の私に

私たちは、自己中心の心から離れられず、周りの人に対して、
「いい人・悪い人」と分け隔てをして、人を傷つけながら生きています。
また、人生に対して、「こんなことをしても意味がない」とか、
思うようにならないことがあると「人生、終わりだ」とか、
勝手な判断をして落ち込んだりしています。


 お念仏のみ教えは、そんな私たちに、すべての人が光り輝き、
すべての人生が光り輝くような世界に出遇わせてくれます。
そして、その世界が、私の人生を根底から支えてくれるのです。


 このお念仏のみ教えを、次の世代へと引き継いでいくお手伝いが、
少しでもできればいいと思っています。

      いのちの栞 毎日を仏法という鏡に 本願寺出版社 小池秀章師より 


          


           私も一言(伝言板)