第1045回 ナモアミダブツとは、なんですか

 平成25年 1月31日~

こんな文章に出あいました。

素朴な問いを申しますが、私たちがとなえる「ナモアミダブツ」とは、
なんでしょうか。

 多くの人たちは、仏さまにお参りするのは、自分の願いごとを
かなえてくださるようにお祈りすることだと考えているようです。

そしてその願いごとを申しあげるときにとなえる言葉の一つが

「ナモアミダブツ」ではないかと考えるのです。

しかし、親鸞さまの教えには、そのようなお示しはありません。
親鸞さまは、自分の願いごとのためにお参りするのではないと、
はっきりとおっしゃいます。

 それでは、何のためにお参りするのかと申しますと、
親鸞さまは、それはみ仏に「お導きくださって、ありがとうございます」
と感謝するためにお参りするのだと教えてくださいました。


「ナモアミダブツ」とは、お念仏ですが、その意味は
「わたしをよりどころとしなさい、きっとたすけるから」という、

み仏さまの声に応えて、「み仏さま、ありがとう」とも申しあげることです。
み仏さまといっても、ただちにそのお声を聞けるわけではありません。

お姿も、こちらからは見えません。

お寺やお仏壇には、お木像やお絵像があって、礼拝しますが、
それはみ仏さまのお徳を表した仮のお姿にすぎません。

しかし、たしかにみ仏さまはいらっしゃって、わたしたちを照らし育て、
導いていてくださるのです。
太陽の光が植物を育むように、み仏さまの光は、心の闇を除き、
大きな希望と力を与えてくださいます。

そのみ仏さまに、心から感謝の気持ちを表すのが「ナモアミダブツ」

という言葉なのです。

 私たちが生きていく上で一番大切なことは何でしょうか。
親鸞さまは、それは、み仏さまのお育てを常に受けていることを喜び、
はかりしれないご恩にお応えするように努めることだとおっしゃいます。


 ところが私たちは、そのことを忘れがちです。
私たちは、それぞれに、家庭を築いたり、社会を構成する一員として

役割を担ったりして、何らかの自負を持て生活しています。

自分が子どもを育てた、園児を育てた、組織に貢献したという思いは
強いのに、自分もまた育てられている身であるということは、
どうしても忘れがちになるのです。

これは、私たちの本性といってよい。自分の功績や働きは、
いつまでも忘れないのに、み仏さまに育てられて、導かれている
ということは、聞いても聞いても、すぐに忘れてしまうのです。

 ですから、み教えを、繰り返し聞くことが必要となってくるのです。
蓮如さまが、さかんに聴聞をお勧めくださったのも、そのことを

よく心得ていらしゃったからでしょう。

そのことを、園の先生がたも、お父さんお母さんもしっかりと
心がけるなら、子供たちの心も、自ずと豊かに育つものと確信します。

   「ないおん」育心 元京都女子大学長 瓜生津隆真先生執筆より


   妙念寺電話サービス 次回は、2月7日に新しい内容に変わります。

 

         


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