第1535回 歩くカラス ~生きるということ~

 令和 4年 6月30日~

 子どもに聞かせたい法話 ~ 心に響く 三分間法話 ~ という
法蔵館発行の本を手にいれました。「 仏の子を 育てる会 」という
福井の浄土真宗寺院の住職さんや坊守さんが 福井新聞の宗教コラムに
書かれたものを まとめた本です。


 皆さんは 鳥が歩いているのを 見たことがありますか。
鳥は 飛ぶよりも 歩く方が 楽なのだという話をききました。ですから、
飛ばなくても いいときには、できるだけ 歩きまわるのだそうです。


 この夏、私の家のまわりには 十数羽のカラスが 毎日歩きまわっていました。
何をしているのだろうと  よく見ていると、カラスは、地面の中から
はい出てくる セミの幼虫を待ちかまえ、かたっぱしから食べていたのです。
ですから家のまわりには、セミが出てきた穴が  たくさんあるのに、
セミの鳴き声は ほとんど聞かれませんでした。「 ミーン  ミーン 」とか
「 カナ カナ 」という声が  あまり聞こえない、さみしい夏でした。


 セミは、何年もの長い間、地面の中にいて、やっと地上に出て、
羽化して  セミになっても、せいぜい十日ほどの  いのちだそうです。
その十日ほどの  いのちが、カラスに 奪われてしまうのです。
「 かわいそうな セミ、にくたらしい カラス 」と 私たちは  すぐに思って
  
しまいます。

しかし、カラスには「 セミ 殺し 」などという 罪を犯したという気は
まったくないでしょう。
きっと餌不足の中で、生きるために セミの幼虫を  待ちかまえるように
なったのだと思います。


実は、そんなカラスと  同じことをしているのが  人間なのです。
直接 手をくだすことはないけれども、動物や 植物のいのちを奪って
生きているのです。
ただ、カラスと違うのは、人間は  そのことに 気づくことができる
ということです。
そのとき、私たちの口から「 ありがとう 」「 ごめんなさい 」
「 いただきます 」の声が出て、そして 手を合わせる心が 生まれて
くるのです。

皆さん、食事のときには  かならず手を合わせて、みんなで
「 いただきます 」を しましょう。 
                    (佐々木俊雄師)

生き物が 生き物を  殺すことは、大変悲しいことです。
しかし、生きていくためには 他の いのちを頂かなければ、生きていくことは出来ません。
カラスが 蝉の幼虫を 食べることをかわいそうと思う私たちも、自分には
寛容でいます。
近頃店頭の野菜は 虫に食われたものが一つもありません。
虫の餌でもある野菜に、農薬をかけ  人間が奪っているからなのでしょう。
蚊に刺されないようにと打ち殺すことも、悪いこととは思っていません。

人間ほど 自分本位で罪深い生き物は 他にはいないようです。
仏さまの願いを、お聴聞することで 本当の姿に気づかされていただくのです。
「 いただきます 」「 ありがとう 」を、忘れては 申し訳ないことです。


          


           私も一言(伝言板)