第1586回 ちゃんと見られている

 令和 5年 6月22日~

 ご門徒と一緒に 記念行事などの準備をするときに思います。
歳を重ねたせいか、若い住職たちが 若者独特の派手な衣装で
参加していたり、お勤めの稽古を始めたのに、布袍を着用しなかったり、
ついつい気になるものの、口に出せずに見過ごしています。

 どうして、気になるのだろうかと、考えました。
会社勤めをした経験を思い出すと、ボーナス査定や昇進、転勤などのために、
責任者は自分のチームの人たちの人事評価を書く必要があります。
また、どこに異動させるのか、その適性を見て判断し、最適な所への
配置転換の案、移動の案を出さねばなりません。

本人の希望が優先されますが、上司がそれに賛同して推薦しなければ
希望どおりの部署への移動は成立しません。

 若いときには、人事部などが勝手にやっているのだろうと思っていましたが、
実は、一番近い上司が、その人の人生を、将来を左右しているものなのです。
それはちょうど、プロ野球の監督が自分のチームの選手の特性を見て、
試合に起用するか、起用しないか、自分のチームに残すのか、他のチームに
放出するのかを、毎試合 毎試合見ているようなものです。

 お寺は、そうした競争がありませんから、大丈夫と気を許していますが、
ご門徒の方々は、こうした世の中で生活していた人たちです。
取引先のこの若者は信用できるか、ちゃんと上司に伝わるか、もう一度
相手会社の責任者に確認する必要があるのか、文書で確認しておくべきか、
ひとつひとつ見定めないと、大きな失敗につながるものです。

 ですから、多くのご門徒は、この住職の言うことは大丈夫か、信用できるか、
理解力や行動力、包容力はあるのか、
人生の岐路にさしかかったとき、相談できるか、相談しても無駄かなどと
ついつい観察し、評価しているものなのでしょう。

 そうした、ご門徒の思い、目があることを、気づき、自分を律して
いるのか、のんびりと勝手気ままに、自分のいいようにしているのかで
違いが出てくるのだろうと、思います。

 若い人たちに、それをどう伝えたらいいのか、そんなの関係無い、自分は
自分で思うようにやる、自分は他人をそうゆう見方をしないので、
大丈夫だと思うのか。

こうした、世間の厳しい目が存在することを、知っている人間は
どのように伝えたらいいのか、そのチャンスをどうつくるのか、
感じたことを、だまっておかずに、 ちゃんと知らせることが、
年寄りの勤めだろうと思いながら
  どうしていいのか分からずに、
イライラしているのだろうと、思います。


          


           私も一言(伝言板)