第1622回 諦めず呼び続ける

 令和6年 2月29日~

 大阪に行信教校という 浄土真宗の専門学校がありますが、
その卒業生の方が 在学中の校長先生のご法話を思い出して
こんな話をされました。

 まだ携帯電話が珍しい頃のこと、新しいもの好きのこの先生は
早速購入されたそうです。しかし、携帯電話の電源はいつも
切ったままだったと言います。
それは、どこからか電話があるのが、イヤで、自分の方から電話を
するとき以外は、電源を入れることはなかったといいます。

 ある日、先生が 外出中に、お寺に急ぎの電話があり、
坊守さんは住職さんに、連絡をとりたいものの、いくら電話をかけても
つながらない。
それでも、諦めないで、繰り返し繰り返し、電話をされ、いつか電源が
入るときに、気づいてもらえるように、かけ続けられたそうです。

 そして、ついに、重要な急ぎの連絡がとれたことがあったといいます。
そのことを、校長先生は、ご法話で、有り難いことだと気づいたと。
阿弥陀さまも、こっちが電源を入れていなくても、気づかなくても、
絶えず、呼び続けていただいている、いつか気づいてくれるだろうと、
諦めず呼び続けていただいているということに、
携帯電話を通して、阿弥陀さまの有り難さを 改めて
味わわせていただいたとのお話だったといいます。

 「心配いらない必ず救う お浄土に生まれさせ 仏にするぞ」との
はたらきかけに気づかずにいるのが 私たちなのでしょう。
それでも、あきらめることなく南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼び続けていただいている。

いつかは気づいてくれることを願いながら、そして、先だった父、母、
祖父母は、阿弥陀さまと一緒になって、一日でも早く気づいてくれ、
気づいてくれと呼び続けていただいている。、

 そして、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏の呼びかけに気づくことが出来れば、
平凡なつまらない、当たり前の人生ではなくなりますよ。
仏さまになるこの身であることに気づかされ、人生の受け取り方が、
生き方が違ってくるものですよと、
はたらきかけ続けておられるのです。
私のことを、諦めず呼びつつけていただいているのです。

自分だけのいのちではなく、仏さまになる尊いいのちを今
生かされているのですと。

          


           私も一言(伝言板)