第1513回 遇い難くして 今遇 ~ 生まれた意味は ~

 令和4年 1月27日~

三つの宝ものがお寺にはあると、 仏・法・僧の  三宝がそれで
この三宝 に あうことを

 南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧

仏法僧の僧とは、僧伽(サンガ)仏法を信じる仲間のこと。
そして、日常勤行集の最初には 『華厳経』(浄行品第7)を元に
作られた 礼讃文 ~三帰依文~ があります。


 礼讃文 ~三帰依文~
 人身受けがたし、今すでに受く。 仏法聞きがたし、今すでに聞く。
 この身今生にむかって度せずんば、 さらにいずれの生にむかってか
 この身を度せん。
 大衆もろともに至心に 三宝に帰依したてまつるべし。

 みずから仏に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、
 大道を体解して無上意をおこさん。
 みずから法に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、
 ふかく経蔵に入りて智慧海のごとくならん。

 みずから僧に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、
 大衆を統理して一切無碍ならん。


 無上甚深微妙の法は、 百千万劫にもあい遇うことかたし。
 われ今見聞し受持することをえたり。 願わくは如来の真実義を
 解したてまつらん。

とあります。

生まれ難い人間に すでに 人間に生まれており
遇い難い 仏法に  今 遇えている このことを 有り難く 
感じることが  出来るか 出来ないかで、私の人生は

大きく違ってくるものです。

この三帰依文は 仏教各宗派共通ですが、最後の部分だけは
浄土真宗だけで他のご宗旨では使われません。

 無上甚深微妙の法は、百千万劫にもあい遇うことかたし。

 われ今見聞し受持することをえたり。
 願わくは如来の真実義を解したてまつらん。


お釈迦さまは お弟子に、ガンジス川の砂を手ですくわせ
多くの生き物がいても、人間に生まれることが出来るのは、
その手の砂ほど、人間に生まれても 仏法に出会えるのは

親指の爪に乗せた砂ほど ほんのわずかである。と

生まれがたい人間に生まれ 遇い難い仏法に出遇えたのは、
私の力ではなく、多くのご縁によるもの、お聴聞すればするほど
人間に生まれた意味と、生まれた喜びが味わえてくるものです。


          


           私も一言(伝言板)