第1479回 今よかろうか ~中溝文治さんの思い出~

 令和3年 6月3日~

 20年程前 「佐賀の念仏者」という本を、真宗伝道懇話会で
発刊しました。このコロナで停滞した時代に何か出来ないかと
その続編を計画しています。
その応募原稿の一つです。

 今 よかろうか  中溝文治さんの思い出

 佐賀組では 春と秋、お彼岸の頃に 巡番報恩講が勤まります。
どのお寺にお参りしても、数年前までは、レギラーメンバーが
最前列に 七、八人陣取っておられましたが、中溝さんも
そのお一人でした。


ご自分は禅宗とのこと、ところが、子どものころに日曜学校、
そして龍谷中学と真宗とご縁があって、お念仏を口にする
有り難いお方でした。


「法供養をさせてもらえんじゃろか」と、
稲城選恵、深川倫雄などの先生方を招き、
子どもや孫に、受付係、ご講師接待係と、役割を与え

一家あげての、ご法座を何度も開いていただきました。

「今 よかろうか」と、突然訪ねてこられることがあり、
「何で お念仏で罪が消えるカンタ、どこに、そげん
書いてあるやろか」

「たのむ、たのむチャー、どげんたのみゃーよかろうか」
などと、よくお聴聞しておいでの方なので、まるで
口頭試問を受けている感じもましたが、ご文章や、
現代語訳のお聖教でお答えすると


「そう、そう、そう、そこたい、そこ、そこたい」とか
「そぎゃんカンタ
 ありがたかあー、南無阿弥陀仏 
 南無阿弥陀仏」と、挨拶もなく帰っていかれました。


「今 よかろうか」と訪ねてこられ、「十九日が親の命日、
お参りしてもらえんやろか、夕方、六時に、子ども
集めときますけ」


 四人のお子さんに、そのお連れ合い、お孫さん達、
二十人位が玄関のすく横にあるお仏壇前で、そろって
意訳の正信偈をお称えし、短いお話の後、修山脩一和上が
板戸に法語を書かれた部屋で、皆で食事をすることが、
凡そ十五年余り、ご本人がご病気になられるまで
続きました。

若い方が多かったので、毎回法話カードを作り全員に
お渡して、それを読みながらの月忌参りでしたが、
そのカード作りはその後も続き現在、三百五十回を超え、
他のご門徒のお宅で、今も活躍しています。


 佐賀教堂での常例布教も、願正寺さんでの聖典勉強会にも、
バックミラー付きの古い自転車に黒いカバンを乗せてよく
参加されておりました。

亡くなられた後、奥様に頂いた仏教書は、金子大栄先生の
本が多く要所、要所に赤い線が引かれ、「ここが大事、
そこそこ」「これは良書」などびっしりと書き込まれていました。


書道をたしなむ方で、展示会には、「必至無量光明土」など、
仏語で出品されていました。

くりかえし質問をして、お育ていただいた、なつかしい、
有り難い念仏者のお一人でした。

          


           私も一言(伝言板)