第1362回 光顔巍々

 平成31年 3月7日〜

こんな文章にであいました。
『大乗』に蓮照寺の松岡満優住職のことばです。

 わが子の話をしている時のお母さんの顔は 輝いています。
保育園の園長として 保護者と話をするたびに思います。
それまで違う話をしていた時の顔とうってかわって、わが子の話に
なった途端、パツと顔が明るくなって目が輝きます。
その日イヤなことがあったとしても、つらいことがあったとしても、
わが子を思った瞬間、いい顔になります。

 カメラを向けられ、「笑って」とよく言われますが、笑顔になれるコツは、
大好きな人を思い浮かべることだそうです。
私自身も「笑って」と言われると、わが子や園児のことを思い浮かべます。
大好きな人を思うということは、慈しむということにもなるのでしょう。

 子どもたちにも同じことが言えます。
皆、お母さんが大好きです。「世界一のお母さん」と誇らしく語ります。
照らし照らされ、慈しみ合う親子の姿こそ、輝いています。
その姿に、親は子の皮膚の内側のかゆみまで感じ取ることができるのでは
いかとさえ思ってしまいます。

 「讃仏偈」みなさんも日頃から親しんでいらっしゃる偈文です。
そのはじめに「光顔巍々」とあります。
法蔵菩薩(阿弥陀如来)が、師の世自在王仏のお顔をご覧になり、
「お姿が光り輝いています」と、そのお姿とお徳を讃えられるのです。
そして法蔵菩薩ご自身も、そのようになりたいと、一切の衆生を
救わんがための願いを誓いとしてお立てになるのです。

 その時、世自在王仏が輝いていたのはもちろん、法蔵菩薩もまた
光り輝いていたことでしょう。
衆生が救われるなら、どんなこともいとわないと誓われたそのお姿は、
世自在王仏とともに光を放っていたと思います。

その救いの対象が、「私が一番かわいい。私さえよければいい」と
思っているこの私だと言われるのですから、その慈悲の深さは
凡夫のはからいを超越しています。

 いま阿弥陀さまは、私たちの苦しみ悲しみに常に寄り添い続けて
くださっています。どんな人生であっても、あなたの人生は
光り輝いています、と。

                       大乗 20193月号より

          


           私も一言(伝言板)