第721回 光と ともに

 
平成18年 11月 16日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

子どもたちの悲しい出来事ばかりが報道されています。
子どもの数が少なくなって、兄弟の間で切磋琢磨することや、上級生から
下級生まで子どもたちが一緒になって、走り廻る姿もなくなり、人間関係が
なかなかスムーズに作れなくなっていることも大きな原因ではないかと思います。


 さて、先日、50歳半ばの息子さんを病気で亡くされ、お葬式や納骨は北陸の
奥さんのところで、済まされましたが、親や兄弟たちは、自分の近くにも分骨を
したいということで、ふるさとの私共の境内にある墓地に分骨されました。


親にとっては子どもに先だたれることこそが、もっとも辛いことはではないかと思います。
苦労して育てた子どもが、自分より先に、自分を残していってしまうのですから。

しかし、参列されたご親戚の中にも、やはりお嬢さんを数年前に、50代の若さで
亡くされた方もあり、人間の命のはかなさを、ままならぬ人の世であることをつくづく
感じました。


 法務が重なり、夕方の納骨になりました。
本堂でお勤めをした後、墓地でもお勤めをし、御焼香をする墓石の背後に、
赤く大きな太陽が、ちょうど沈む頃でした。


お浄土は西方にある。あの夕日の沈む方向に、お浄土に逝かれたのだと、
これまでも多くの親や子どもや連れ合いたちが、もっとも大事な人を送って
感じたことでしょう。


お勤めを終わり振り向きますと、目の前に本堂の屋根が見えました。

そして、いつもその屋根のひさしのところから、朝日が出て来てこの墓地を照らし
輝くことを思い出しました。


ふと、往相還相ということは、こういうことからも味わっておいでの方があった
のではないかと、思いました。


はるか彼方遠いお浄土へ逝ってしまった方が、一夜あけると朝日と共に
さんさんと輝き、この私を照らしていただく、お浄土で仏様のさとりをひらかれた
亡き方は、太陽の光のように、この私を照らし励まし支えていただいている。


そのように、南无阿弥陀仏のお念仏とともに、味わっておいでの方があった
のではないかと。


西に沈んだ太陽が、朝にはよみがえり輝く、その光をあびながら、
仏になられた方を実感されていたのではないかと、味わいました。


暗い辛い夜が明け、明日になれば、必ずこの私の元に、光となって、
働いてくださるのだ、そう思えれば、この悲しさや寂しさを少しは
乗り越えることができて、元気や勇気が沸いて来るものだと思います。


大きな夕日が赤く西の空に輝き沈むのを見ながら、お浄土へ遠くへいって
しまっただけではなく、還相のはたらきがあることを、実感できたのでないかと、
味わいました。


今現に光りとなって、南无阿弥陀仏のほとけさまとなって働いて
いただいているのだと。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月23日に新しい内容に変わります。