第1379回 お念仏によって方向転換する人生(2)

 お釈迦様は『大無量寿経』を説かれましたが、私が念仏することは
お釈迦様の『大無量寿径』の説法とまったく同じなのです。

『大無量寿経』は お釈迦様がお説きになったのだから大切にしなければと
想っているでしょう。
ところが自分が称える念仏は自分の念仏だと想っているのです。

それは大きな間違いです。

自分の口から念仏が出てくることが、じつはお経が与えられているのと
同じことで、阿弥陀様が私の口にあらわれ出て来て、そして私の耳に、
こころの耳に聞こえてくるのです。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と。この阿弥陀様が私の口に
あらわれてくるということは、「どうぞ、私の言うことを聞いて、
私にまかせなさい」「どうぞ、私の言うとおりにものを考え、
行動するようにしてください」ということが聞こえてくるのです。

 それが聞こえてきますと私の周辺が変わってくるのです。
どうして変わるかというと、私のこころが変っていくのです。
人ひとりのこころが、自分の生きる周囲、世界の状況の意味を
変えていくのです。
意味が変わってくると人生が変わっていきます。
一人ひとりの自分の人生が変わります。

教えを聞いたら人生が変わるのです。
ものの考え方が少しずつ変換していきます。
これは一度に変わることはありません。

 私はいつも言っていますことですが、小さいモーターボートだったら
すぐにでも方向転換が可能ですが、大きな何万トンという船だったら
そんなに簡単に方向転換はできません。
しかし、この何万トンの船でも、しっかりとハンドルを切れば、
徐々にですが方向転換が可能です。

 私たちも同じことで、久遠劫来より罪業を積んできたのですけれども、
教えに従っていけば少しずつ回転して行き、自分の生きている領域が
変わっていきます。

 自分が描き出したことなのだから変わることが可能なのです。
こころが変わっていくのだから、描いていこうとする人生が変わっていきます。
怒りっぽい人を優しい人に変えて行こうとすることは大変難しいことです。
しかし優しい環境に、そして自信を持って生きていける環境に、
自分の人生を少しずつそこに置いて行き、少しずつ変えて行こうとすれば、
怒りっぽい人は優しい人にと、少しずつですが変わっていきますよ。
人間というのは変わらないものではありません。

 「南無阿弥陀仏」によって、私たちに持たらされた行動というのは、
いつも仏様の教えを聞き、いつも仏様の教えに喚び覚まされながら
生きるような、そういう人間にしてもらうわけです。
それをお念仏の行者というのです。

お念仏の行者というのは、お念仏を絶えず称え、そしてお念仏によって
少しずつ また私はくだらんことを考えていたな“ ということに
気づかされていくことです。
そして少しずつ、仏様の思し召しにかなったものの考え方と受け取り方、
表現の仕方に転換していくようにつとめて行かねばならないのです。
そういうふうにつとめて行くことが仏様の教えに従っているという姿なのです。

仰せに従っているということは、ただ聞いているだけではなく、行動全体が
仰せに従う、人生全体か仰せに従って少しずつだけど方向転換していくのです。
するとですね、少しずつだけど人格が変わるのです。
人格なんてものは変わらないものだと思っているでしょうが、
変わるものなのです。

お念仏という「行」が、私を絶えず喚び覚まさして、絶えず仏様の方に、
私のこころの関心を向けさせるようにと、お念仏が私たちを動かしてくれるのです。
ですからお念仏は、私が称えているというよりも、そのお念仏が私の人生を
動かしていると思ったらよいのです。

浄土から届く真実の教え

                     梯実圓師 自照社出版


          


           私も一言(伝言板)