第1356回 悪を転じて徳とする

 平成31年 1月24日〜

「困った時の神だのみ」という諺があります。
そして多くの人びとは、困難な問題にぶつかったときに、神や仏にすがって、
をなくしてもらうのが、宗教であると考えています。
ですから人びとは、霊験あらたかな神さま、仏さまを求めて祈願をし、
ご祈祷をしてもらいにいきます。


 しかし、人間は誰もが、生きる、老いる、病気になる、死ぬという、
人生の根本の問題をさけることはできません。
老いない人はいないし、死を避けることは誰にもできません。
どんなに神さまにお願いし、おすがりしても、一時的な気休めには
なるかも知れませんが、根本的には何の解決にもなりません。

では、いったい私たちは、「生、老、病、死」という、人生の
本問題に直面したとき、どうすればよいのでしょうか。
親鸞聖人はこのことについて、「名号は、悪を転換して徳にする
智慧のはたらき」をもつと、お教えくださいました。

私たちは、生身の体です。どんな災難に見舞われるか知れません。

病気をわずらったり、大ケガをすることもあるでしょうし、
死と向きあわねばならないときが必ずきます。
そのとき、その苦難に耐える力と、のりこえていくい智慧を与えて
くださるのが、お念仏のみ教えです。


 親鸞聖人は若いころに、念仏弾圧によって流罪になるという
苦難にあわれました。
また晩年には、お子さまや、奥さまと別れ別れに暮さなければなら
ないというような、悲しいことや淋しいことにしばしばおあいになりました。
しかし、どのようなときでも、お念仏のみ教えに導かれて、みごとに
悲しみを克服し、力強く生きていかれました。


 悪が徳に転じられるというのは、お念仏をとおして与えられる
さまの智慧と慈悲が、私のかかえている、苦しみや悲しみを
縁として、かえって私を人の痛みのわかる暖かい心と、どんな
苦難にも堪えられる力強さをもった人間に、育ててくださるということです。


では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……、

               朗読法話集 第一集より

          


           私も一言(伝言板)