第1584回 仏前結婚式での ご法話

 令和 5年 6月8日~

 お隣のお寺のお嬢さんが 結婚式をあげられました。
お相手は、在家の方ですが、住職坊守さんの強い希望で
本堂での仏前結婚式となりました。
ご近所のご縁で、司婚者を務めさせていただきました.
そこで、こんなご法話をさせていただきました。

 ご結婚 まことにおめでとうございます。こころからお喜び申します。
こうして、ご仏前での結婚式を挙げていただいたこと、何かと大変でした
でしょうが、本当に尊い有り難いご縁でありました。

 若いときは気づかなかったのですが、孫が出来、ひ孫ができると、
親というものは、自分のことよりも、子どもや孫のことが心配でならない。
どうか、生きがいある喜び多い人生を送ってほしいとの思いで
一杯でございます。

 きっと、ご両家のご両親はじめ、ご親戚のみなさま、そして、こちらでは
先日お亡くなりになったおばあさま、お祖父様 そして 顔も知らない
多くのご先祖も揃って、良かった良かったと、喜んでいただいて
いることでありましょう。


 ところで、坊さんですので何をしているか、
毎日毎日家庭訪問をいたしておりますが、

本当にいろいろなご家庭があるものです。それを、大胆に分類すると
大きく二つのグループに分けることができると思いますが、一つは
有り難う、良かった、御蔭さまと、明るく楽しく生き生きとしておいでのお宅と、

 もう一つは、きつか 苦しか、ハガイか、私一人頑張ったですよ。
腹が立つ、くやしか、世の中間違っていますよ。
嘆かれるお宅との、大きく二つに分けることが出来るようです。
そして、きつか 苦しかの方々は、高学歴で、立派な家に住み社会的にも
うまくいった方々に多いようです。

どうして、そうなのか。少し分かってきました。・・・

 私どもの宗教は、浄土真宗と申します。
難しいことは求められません。ただ一つ、それは
お話を聞いてくれ、仏さまの話を聞いてくれと、それだけでいいといいます。
ところが、簡単のようで、なかなか本堂に座れないものであります。
話を聞いてくれというのは、何の話かというと、これもただ一つであります。

仏さまは、おまえのことを、一人子のように、おまえを救う、
おまえのことが心配、我に任せよ。
仏さまは、おまえのために、おまえのことが、と 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と 呼びかけておられる これだけであります。


 私たち人間は 自分がやったことは、全部憶えています。
ああしてやった、こうしてやった、一つ残らず憶えています。
ところが、同じ事を、自分もやってもらったことは、
気づきもしない、全部忘れています。親の世話になんか、なっていない
自分ひとりがんばって 大きくなったと思っています。

 おまえのために おまえのためにと繰り返し繰り返し、聞いた人は、
頑張れば頑張るほど、自分のために多くの方々が、多くの力が働きかけて
くださっていることに気づくことが出来て、ものの見方が違って見えて
くるものです。
これを、恩を感じるとか、報恩感謝とかいっていますが、
私に対する はたらきかけを気づいた人と、気づかない人とでは
大きく違ってくるものです。

 特に、社会的にうまくいった人は、自分が知らないことは何もないと、
仏さまのお話など知っていると、聞く機会がなくご縁がなく、どうも、
つらい苦しい人生で 終わっておられるように見受けます。

 夫婦の間でも、相手の思い、行動を気づかなければ、自分ばかり
苦労して、相手は何もしない、と腹立たしくなってくるものです。
相手の思い、はたらきかけに気づくと 有り難く尊敬出来る、連れ合いと
感じられてくるものです。

 この本堂での結婚式をご縁に、仕合わせを感じ、味わう力を
感じ取る力を、受け取る力を 育てていく、そのきっかけを
持たせていただいたことを、本当に尊いご縁でした。

 こうした価値観にあえれば、むなしい人生でなくなりますよ、
逆に出会わなければ、辛い人生でおわりますよと、
先輩たちは教えてくれています。

 どうか、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とともに、と言われますが、
私ども僧侶は職場でも口にできますが、みなさんは職場では、
無理でしょうから、「よかった、ありがとう、おかげさま」を口癖に
味わい深い 豊かで、喜び多い人生を受け取ってくださいとの、
先輩たちの願いを、聞き取り、素晴らしい人生
有り難い人生を、味わっていただければ有り難いことです。

 本日は まことにおめでとうございました。
有り難うございました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


          


           私も一言(伝言板)