第1438回 と も に
 
 令和 2年 8月20日〜

 浄土真宗における、基本的な
人間関係に関する姿勢は、
自利利他円満ということでありましょう。

自利というのは、自分がさとりを
開いて仏になるということであり、
利他とは他をさとりに到らしめる。
つまり、すくうということで、
それらが別々のものではなく、
自らのさとりが、そのまま他の
いのちのすくいであり、それが
まどかに(欠けるところなく)
できあがっているということで
あります。


 要するに「南無阿弥陀仏」のことで
ありまして、今、私がお念仏を聞かせて
いただくことができるようになったのは、
どれほどの方がたのお育てのおかげで
あるかということに気付き、私一人の
すくわれて往くことを喜ぶという、
自分のカラにとじこもるのではなく、
みんなが本当に喜べる生活こそが、
私も本当の喜びの生活であるという、
我・人ともにという生活のありように
気付かせていただくことが大切であります。


 灰谷健次郎さんの、
『ひとりぼっちの動物園』という本の中に、
次のような詩が載せられています。

 あなたの知らないところに 
 いろいろな人生がある
 あなたの人生が 
 かけがえのないように
 あなたの知らない人生も 
 またかけがえがない
 人を愛するということは 
 知らない人生を知るということだ


 誰でも自分の人生は、何よりも
大切でかけがえがない、とは言いますが、
同じかけがえのない“いのち”を、
私だけではなく、みんなそれぞれに
生きているのです。


 お念仏の内で生まれ、育てられて、
お念仏にささえられて生きる人びとを、
親鸞聖人は「御同朋・御同行」と、
手を合わせていかれました。


 人に手を合わされたのではなく、
すべての“いのち”に、ひとしく
はたらいて下さってある「南無阿弥陀仏」
に手を合わされたのであります。

 ややもしますと、自分さえよければ・・・・・・と、
自分のカラにとじこもり、自分の
ことだけを思う、一人ぼっちの淋しい人生を
歩みそうになりますが、共にお念仏の大道を
歩ませていただける喜びを、
一人でも多くの人と、分かち合いたいものです。


       聞法 小林顕英師著 より

          


           私も一言(伝言板)