第1067回 幸せの見える人  〜飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ 

   平成25年 7月4日〜

  出来上がったばかりの冊子を お書きになったご本人から直接いただきました。
その中に こんな文章がありました。



教育者であり浄土真宗東光寺住職であった、今は亡き東井義雄先生が、
平成3年79歳で往生されて後、「おかげさまのどまんなか」 という

往生記念の本が出版されました。

この本の中で、青年医師であった井村和清氏のことについて
「幸せの見える人」 として触れておられます。


この方は、医者になってしばらくして、右膝に悪性腫瘍が見つかってすぐ、
転移をストップさせるため、自ら要請して右足を切断。しかしすでに癌は
肺に転移して、32歳の若さでこの世を去っていかれました。

一歳半の長女、飛鳥ちゃんと、まだお母さんのお腹の中にいる次女
を残して・・・・・。

井村医師は、自分が癌に侵され、あと幾許もない命であることを知って以来、
二人の子どもへの遺書ともいうべき手記を書き始められ、やがて亡くなられて
後に出版されたのが 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」 (祥伝社発行)という
本でありました。

この本の最初には、二人の子どもへの親としてのやるせない願いが、
先ず綴られています。



 悲しいことに、私はおまえたちが大きくなるまで待っていられない。
 いいかい。心の優しい、思いやりのある子に育ちなさい。(中略)


 思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、
 よろこんでいる人がいれば、その人のために一緒によろこべる人のことだ。

 思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。まわりの人を

 幸せにする人は、まわりの人々によって、もっともっと幸せにされる。
 世界で一番幸せな人だ。

 だから、心の優しい、思いやりのある子に育って欲しい。それが私の祈りだ。
 さよなら、
 私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。おまえたちが倒れても、
 手を貸してやることもできない。だから倒れても倒れても自分の力で
 起きあがりなさい。

 さようなら。
 おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。

この父親としての井村氏の願いは、すべての親が願うべきことではないかと思います。
お互いにこんな子どもに育てていくことを、共通の願いとしたいものです。

 ところで、この井村和清氏が、亡くなられる直前に詠まれた詩を
東井先生は、幸せの見える人とは こんなお方であると、前置きして
紹介されたのが、「あたりまえ」 と題された詩でありました。


 あたりまえ
 こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
 あたりまえであることを
 お父さんがいる お母さんがいる
 手が二本あって 足が二本ある
 行きたいところへ自分で歩いてゆける
 手をのばせばなんでもとれる 音がきこえて声がでる
 こんなしあわせはあるでしょうか
 しかし、だれもそれをよろこばない
 あたりまえだ、と笑ってすます
 食事がたべられる 夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
 空気をむねいっぱいにすえる
 笑える、泣ける、叫ぶこともできる 走りまわれる
 みんなあたりまえのこと
 こんなあたりまえのことを、みんなは決してよろこばない
 そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
 なぜでしょう
 あたりまえ


亡くなられる約一月前に書かれた詩であります。
恵まれているのにその恵に気づかず、むしろ不平不満で一杯の
私たちの中にあって、病気になり、あと残りわずかの命となって、
一つ二つ三つと失われていく過程の中から体得していかれた人生の真理。

つまり人間は生きているのではない、生かされて生きているのであるとの、
何よりの目覚めを促されていかれた井村和清氏ではなかったかと、・・・・・


      いのち賜りて 徳正寺 前住職 武内英真師よりの 贈呈本から

妙念寺電話サービス 次回は 7月11日に新しい内容に変わります。

  

         


           私も一言(伝言板)