第1330回 憍慢のいましめ

 平成30年 7月26日~

 私たちは、自分が他の人よりすこしでも、高い存在でありたいと思っています。
高い存在というのは、たとえば社会的地位や、いろいろな能力についてでしょう。
もし社会的に立派な人間になりたい、人々のお役に立つために自分の能力を
高めたいということであれば、人間や社会の向上につながることですから、おおいに
奨励すべきことでしょう。


 しかし、自分を高めたいという気持ちは、すぐに、自分は他の人より、優れているのだ
という気持ちに変わってしまいます。
仏教で
慢」つまり、おごり、たかぶるこころです。
ですから自分は「高い」のだと思い込んでいる気持ちを否定されると、私たちのこころは、
すぐに怒りへと変わります。


 私たちには、ともすれば、自分の知識や考えのみが正しいと思い、
他の違った考えを、排除しようとするこころがあります。
しかし、私が正しく知っていると思っていることは、ほとんどの場合、自己中心の
こころで、ゆがめられていることが多いのです。
なぜかといいますと、私はよくわかっているという、おごりのこころが、正しい意見、
他人の考えに耳を傾けることを、さまたげるからです。


 この「
のこころ」は、私が他のすべてのものによって、生かされているという、
恩を知る心と、他の意見を聞き、自分を反省する眼を失わせます。
情報化社会といわれる中で、現代の人びとは、多くのことを学び知っています.
しかし、多くのことを知っているがゆえに、かえって自分自身のことが、
見えなくなっているのではないでしょうか.


 素直に、仏さまの教えに、耳をかたむけましょう.仏さまの智慧の光に照らされ、
自分を見直してみましょう.
人とくらべて、優れているといえるような私ではなく、むしろみずからを高しとする
ごりのために、真実を聞く耳をふさがれている、愚かで恥しい私だということを
知らされます.


 真実とはなにか、このような私になにができるのか、仏さまの教えに耳をかたむけ、
謙虚に聞かせていただきたいと思います。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                  朗読法話集 第一集 より

          


           私も一言(伝言板)