第1433回 仏様の視点

令和 2年 7月16日〜

 新聞やテレビなどで「終活」という
ことが言われ始めて久しいですが、

そのひとつに「エンディングノート」
というものがあります。
もしものことがあった時のために、
伝えておきたいことを書き留めておく
ノートのことですが、私もある機会に
書いてみたことがあります。


「私の人生の履歴書」という項目のなかに
「お世話になった人」という欄がありました。
私はこれまでを振り返りながら書き
入れてみました。

幼稚園や小中高校の先生方、部活の監督、
アルバイト先の店長、友人だち、と
書いていきながら、途中でやめました。
なぜなら書ききれなかったからです。


 考えてみれば、これまでの人生を私は
どれだけの方にお世話になったので

しょうか。家族親族はもちろん、名前を
挙げればきりがないほどの多くの方々に
支えられていたのです。
中には忘れてしまった人もいるでしょう、
接会ったことのない人もいるはずです。


 人だけではないですね、これまでの私の
血となり肉となってくださった多くのいのち、
さらにその全てを育んだこの地球、
いやいやその地球を包み込む宇宙。
私一人がここにいるためには、私の知らない
過去も含めてはかりしれないご縁が
あったのです。


 私たちの先人は、そのことを「おかげさま」
と言ってきたのです。

「そんなこと、仏さまの教えを聞かなくても
わかってます」と思われるかもしれませんが、
「おかげさまの人生と知りながら、本当に、
おかげさまと毎日を暮らしていますか?」と、
聞かれたらどうでしようか。


私は、そんなことはすっかり忘れて、
「自分が、自分が」と暮らしています。
うまくいったら得意げになって自分を誇り、
うまくいかなかったら、「自分がこんなに
頑張っているのにうまくいかないのは、
他のせいだ!」と思って生きています。


そんな忘れてばかりの私に、仏さまの
お言葉は、「自分が、自分が、と生きて
いくなかには、こころ豊かな人生は
ひろがっていきませんよ。
まのあなたがあるのは、無数の
『おかげさま』なのですよ。
どうかそのことに気づいてくださいね」
と、教えてくださいます。


 私たちの日常には、いろいろな場面が
あります。うれしいこと、楽しいこと、
感動することもあります。
しかし「誰も自分の気持ちなんか
かっちゃくれん」と愚痴をこぼす
時もあります。

「なんで私がこんな目にあわねば
ならんのじゃろか」と悲嘆にくれたり、
「こんなはずじゃなかっだのに」と涙を
ながすこともあります。
いろんなことがわき起こっては消えていく、
思い通りにならない人生しか生きて
いけません。


そんな時、少し立ち止まってみて、
「仏さまは、どうご覧になるだろう」、

「仏さまは、どんなお言葉を語りかけて
くださるだろう」と、一つひとつ確認して
いけるのが、浄土真宗の生き方だと思います。


そこにこそ、こころの視野が広げられ、
本当の安心を恵まれるのではないでしょうか。


   久留島法暁師 
 ※筆者は、伝道集団「アサカラザル」の
一員として、漫才法話をはじめ、新しい
形の伝道活動に取り組んでいる方です


          


           私も一言(伝言板)