第1444回 後生の一大事

令和2年 10月 1日〜

コロナの影響で仏教行事が行えず、
こんな時には、ユーチューブ等を
活用することが重要だとよく言われます。
ユーチューブで「浄土真宗」を検索すると、
山本仏骨 深川倫雄、梯實圓 師等

懐かしい法座映像が沢山出ており、
その中に 私どものお寺に法供養で
おいでいただいた 稲城選恵先生の
お話もありました。

その一部分です。

お釈迦さまが お説きいただいたお経は、
私が頂いた お手紙という意味です。
この私の為に、私の名前で届けられた
手紙です。


宛て名が 自分の手紙なのに、
読みもせずにそのまま、お仏壇に
供えているだけの人は いないはずです。
ちゃんと読みます。 
字が読めない人は、字が読める人に 
見てもらうもの、読んでもらうもの、
これが、お経の意味なんです。

禅宗などでは 特定のお経は
決まっていませんが、どの宗派の 

お経でも  死んだ人には 一つも
関係ないもの、生きている人間、
生きている この私にしか 関係ない
ものです。


蓮如上人が お書きいただいた
「 ご文章 」も、お経と同じく 
私に 頂いた手紙 ですから、
それぞれの家に置いてあるのです。

ご文章は 「 教行信証 」を
くだいて書かれたもの。


教行信証は「 浄土三部経 」を
くだいてお書きいただいたもの、
だから、ご文章は お経と見て
間違いないのです。

そのご文章の内容は「 平生業成
(へいぜいごうじょう)」一つに

全部が収まります。
平生業成が、浄土真宗の根本なのです。


平生業成ということを 知らないので、
仏教は 死んでから先のことのように
思って、 歳とってから お寺は
参るものだ若い者には 関係ないと
思い込んでいます。


後生の一大事ということ、今ここの
問題を 解決しなければ仏法ではない、
そこで 平生業成なんです。

世界の宗教で  親鸞聖人しか 
この問題を 説いておられない。


親鸞聖人は 帰命尽十方無碍光如来を
よく使っておられる。

これは、お前が 居るところは、
どこに居ても 先に来て下さっている
ということなんです。


私は、逃げ場所も 隠れ場所も
ないということです。
私が どこに居ても、如来は
私が居るところには、いつでも
先に来て下さって居る。


 子供たちが、よくグッドバイと
いいますが、その意味は、    

神様は いつも あなたと一緒です。
という意味だそうです。

私たちには、阿弥陀さまが
いつも一緒にいていただく、
南無阿弥陀仏は  グッドバイと
同じように、阿弥陀さまは

いつも私と一緒です。

これから、さよならを言うときは、
阿弥陀如来は いつも一緒と言う
意味で、南無阿弥陀仏 と言いたい
ものです。


( 後生とは   後に来るべき生涯。
 一大事とは 最も重要なこと。
 転迷開悟 生死の問題を 解決する
 人生における 最重要事項 )


( 平生業成、臨終来迎で往生が
 決定するのではなく、平生に
 往生が決定する)


     


           私も一言(伝言板)