第993回 たまたまの出あい  ~人生を左右する教え~

  平成24年 2月 2日~

寒い日の朝 親子ずれでの墓参りが 多い日があります。
きっと 中学とか 高校、大学の入学試験の日なのでしょう。
ご先祖様に 受験の報告へ来られるのか、何組もお参りされる日があります。

希望通りの学校に入った方、残念ながら 第二志望の学校の方もあることでしょうが、
どれも無駄ではない 意味があるのだと
 味わうことが出来るようになるのが 
お念仏の教えだと思います。


どんな 環境に入ろうと 希望道理にことが進まなくても、いろいろの出あいがあるもの 
一つとして 無駄なものは ないと
言える 素晴らしい人生をスタートしてほしいものです。


 このごろつくづくと 思うことがあります。

高校や大学ですと 専門の教科は それぞれの先生が教えていただきますが
小学校の場合、担任の先生の責任は 重大だろうと思うのです。
すべての教科から、生活指導まで一人の先生が一年間から数年間 全部受け持って
いただくのですから、しかも、その先生は
 子どもの方からは選ぶことは出来ません。

その先生の熱意や頑張りようによって、子どもさんの人生は 大きく違って
くるのではないかと思います。


同じように、小さな集落にある 町医者の方の力量で その地域の人々の
生命は左右されることも多いものです。


 これと同じように 所属の寺院の 住職との出あいが ご門徒の人生を
大きく左右するものだろうと、自分に言い聞かせています。

先輩たちが苦労して受け継いで頂いたお念仏の教えに、ご縁がある人生と
ご縁がなく、まったく世間の常識だけで送る人生 そこには大きな違いがあると感じます。

そういう意味で,住職という役目は 大変に責任が重大だと思います。
小学校の担任の先生は 一年か二年,数年経てば 新しい先生と変わり
新しい出あいがあります。

病気の場合も、近くのお医者さんだけではなく、大きな病院を選んで
診察を受けることも出来ます。

しかし、所属の寺院は なかなか思うように 自由に変われないもの、
住職も数十年と変わらないものです。

ご縁に会うことが出来なければ、南無阿弥陀仏に会えなければ その人は
一生涯 空しい、怒り 腹立ち、貪りの辛い苦しい人生となることでしょう。

或いは、間違った教えに誘われて 尚一層 悲しい苦しい人生で
終わることも考えられます。

住職は そういう意味で 責任が大きいものだと言い聞かせています。
それと同じように 自分の子どもや孫 連れ合いが、お念仏の教えとの
ご縁のないことは 最大の不幸だと思います。

どうか、南無阿弥陀仏のご縁に出遇っていただき、私の人生は本当にすばらしかった、
有り難かったと言えるように お互い成らせていただきたい
ものです。

そして身近の人、一人でも多く 南無阿弥陀仏を聞く生活 豊かな人生との
ご縁と 出遇っていただいたいものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとう ございました。
次回は、2月9日に新しい内容に変わります。


         


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